第3話
三ツ松デパートは、三ツ松鉄道グループの流通部門で近畿圏では、その名を知らない者はいない百貨店だった。
「あそこの社長は、感じのええ人ですわ。社員も皆、うちに好意的ですから、会ってみてください。萌依社長が出向いてくれたら、助かります。向こうも喜んでくれますやろ」
「分かったわ。南郷部長がそう言うのやったら……、社長就任の挨拶を兼ねて、近いうちに都合をつけて、会ってみるわ」
「よろしゅう、頼んます。萌依社長だけが,頼りですねん」
「部長の熱意には、負けますわ」
サンタ・クロース・カンパニーは、百貨店だけではなく、通販会社、家電量販店、玩具店を回り、営業先を獲得する必要があった。既に海外からの輸入玩具などを卸売りしている企業から、サンタ宅配便への問い合わせが来ていたものの、営業先を増やせるかどうかの手腕は取締役部長の南郷に委ねられていた。
忠実な南郷は、さっそく萌依の命令を実行した。対象エリアの企業リストをもとに有望と思えるターゲットを絞り込み、各先の決算書類を調べ、周辺企業との関係に――取引上の支障はないか――を問い合わせるなど、与信チェックを実施した。
南郷は「新規営業と言っても簡単やないのです。終日、無為に歩き回って、徒労感に悩んだものの中にも、後で優秀な営業マンになったものが大勢いるのです。営業は、努力を重ねて、やっと一人前になれる……厳しい世界ですわ」と主張する。
経営幹部でありながら、トップ・セールスマンでもある南郷のお陰で、萌依は営業成果に気を揉まずにいられるのを実感すると、感謝の気持ちが胸の奥から湧き出していた。
南郷は「サンタ宅配便事業に、命がけで取り組みます。新規開拓営業は必ず、成功させますさかい、萌依社長は、よう見といてください」と、満面の笑みを浮かべて告げた。
萌依は南郷の思いを聞いて、心を打たれずにはいられなかった。
今のタイミングで、大手百貨店の三ツ松デパートと関係強化を図るのは、サンタ・クロース・カンパニーにとっても、有意義だった。
スケジュールを調整するため、三ツ松デパートに電話すると、先方の都合に合わせて、明日の午前中にもう一度、電話を入れる約束になった。
三ツ松デパートの担当部長には、午前中に電話すると伝えておいたものの、目が覚めると同時に直接、訪ねてみる方向に変更した。
萌依は三ツ松デパートにではなく、南郷に電話すると「直行する先があるから、会社には午後から出社する」と告げた。
十時きっかりに萌依が到着した時、大口取引先の三ツ松デパートの倉持大膳社長は、受付窓口の近くで待っていた。
「都合をつけてくれたので、有難いですわ」倉持は、笑顔を見せた。
「こちらこそ、倉持社長の大事な時間をいただいて恐縮です」
「それで、どうですやろ? マスコミでも話題になっているサンタ宅配便の件ですけど、教えてもらえませんやろか?」
マスコミでは、地元テレビに一度出演しインタビューを受けた経験があり、週刊誌でも二度ほど、サンタ・クロース・カンパニーと、若手有望株の女社長としての萌依が、インターネット・ビジネスや、ファッション・ビジネスを手掛ける二十代の数人の女性経営者と一緒に取り上げられていた。
マス・メディアに取り上げられて、世の中に注目されると、群れの中の獣の匿名性を失い、人混みの中を歩くと、無数の矢のような視線を浴びる展開になっていた。
萌依は、倉持社長の前でケースを開くと、三冊で一セットになったパンフレットを見せた。パンフレットは、サンタ・クロース・カンパニーの会社概要、サンタ宅配便事業の説明とイメージ画像、料金体系がそれぞれ一冊ずつ印刷されていた。
倉持社長は、パンフレットを手に取ると注意深く見つめた。他人の胸の内は読めないし、自在にコントロールするのは不可能だが、誠意を尽くせば分かってもらえると、萌依は信じていた。
倉持社長は、愛想よく笑うと、萌依の説明に耳を傾け、身を乗り出して「うん、うん」と頷いた。時折、口元に手を持っていくのも、好意的によく考えているのを示しているのが、萌依には理解できた。
「さすがに、鷹司産業のグループ企業だけはあるな。ほんまに、面白い企画を考えるものやな」倉持社長は、パンフレットを見ながら質問を重ねた。
「サンタ宅配便は、二十三日から二十五日まで稼働するのは、間違いないですね」
「一年目は、三日間だけにします。二年目以降は、日数を増やす予定です」
「二十四のクリスマス・イブや二十五に配るのは分かるのやけど、二十三日は何をするのですか?」
「二十三日は、子どもたちを橇に乗せて、サンタ・クロースやトントゥたちと一緒に市内を周回するイベントを実施する予定です」
「そうすると、玩具の宅配は二日間だけになりますな」
「ご指摘いただいた通り、一年目はそうです」
「とりあえず、二年目以降の計画は良いですわ。一年目の決定事項だけ教えてもらえますか」
「ええ、分かりました」
「二日間で何世帯、回れそうですか?」
「百台の橇が百件回りますから、一万世帯に配れます」
「おう、それは、凄いですな」
「楽しく演出し、子どもたちに希望を与えたいと思っています」
倉持社長は、萌依から料金体系とコースの説明を受けると「ちょいと、ここで待っておいてください」と奥に姿を消した。
十五分前後待たされてから、奥から三ツ松デパート社長の上機嫌な声が聞こえて来た。「お待たせして、すんませんな、鷹司社長……。面白い企画やさかい、うちも協力させてもらいますわ」
「契約書にサインしていただけるのですか?」
「そや。契約書類はお持ちかな? 今すぐにでも、契約を締結しましょ」
「ほんまに、ええんですか?」
「私なりに、考えて判断しました。社印は用意していますさかい、すぐに捺印もできますわ」
倉持社長は、萌依が差し出した契約書の内容を目で追うと、頷きながら判を押した。
萌依には、南郷が段取りをつけ、自分に花を持たせたのが有難かった。
社内電話を手に取ると、鷹司社長は「秋月君、第一応接室に来てくれるか」と、命じていた。萌依には、秋月という名前に聞き覚えがなかった。
応接室に秋月華音が来ると、倉持社長は自分の隣席の椅子を勧めた。
ミス・三ツ松デパートと呼ばれる華音が、サンタ宅配便のトントゥ役を手伝いたい――と、志願して来た。
美しい人だと思った。華音の澄んだ瞳を観察すれば、心のうちにある美質が目に反映しているのに気づかされる。萌依が見たところ、瞳の深みと輝きがほかの誰とも違っていた。華音がほほ笑むと、頬の両側に小さなえくぼが現われた。すらりと手足の伸びた体つきには、三ツ松デパートの制服が似合っていた。
スタイルが良く、艶やかな髪、温かみのある大きな目に、肉感的な唇の膨らみは、華音が、自分と同年代の女性の中でも際立っているのが萌依にも分かった。
「一階の化粧品売り場に勤めている秋月華音です。今からでも、トントゥ役に応募できますでしょうか?」
正直なところでは、トントゥの応募者は多く、充分な人数を確保できていた。しかしながら、萌依が視線を向けた先に、上品に微笑む少女は、萌依が頭の中でイメージしていたトムテに似ていて、好印象だった。まだ三次審査を終えたばかりなのも、悪くないタイミングだった。萌依は華音を推したくなった。
「私も、あなたにトントゥ役をやって欲しい」
「本当ですか? 私にできるかしら?」
「正直言って、サンタ・クロース役よりも難しいです。サンタやトナカイの魅力をうまく引き立てるのは、あなたたちにかかっています。どないですか? 秋月さんに、できそうですか?」
「もし、私にやらせていただけるのなら、精一杯、頑張ります」
「ほな、決まりやね。他の担当者には報告しておくわ」
「私も、今から楽しみになりました。クリスマスは応援に行くさかい、うちの秋月君をよろしゅう頼んます」
面接の結果とは別に、トントゥ役の一人として、萌依から見て、二歳年上の華音を選んだ。華音は、誰の目から見ても愚かなまでに美しかった。
華音は萌依の良き相談相手になり、サンタ宅配便ビジネスの打ち合わせや段取り以外にも、友人として出歩くようになった。萌依と華音が二人で繁華街を歩いていると、振り返らない男がいないほど、周りを惹きつけた。
華音とは、これまで出会った誰よりも、深い結びつきがつくれそうな気がしていた。それは、萌依だけではなく航大にとってもそうではないかと予感していた。航大は華音に一目ぼれした様子で、華音がサンタ・クロース・カンパニーに来る日は、朝から浮き浮きしているのが、目に見えて分かった。
エレベーターのインジケーターが点滅を繰り返し、一階に近づくのを確認すると、萌依は一歩前に出て身構えた。萌依がエレベーターに乗ろうと、スマホをハンドバッグに仕舞おうとしたとき、背後から航大の声が聞こえた。
「誰と、話していたのや?」
「華音ちゃんにトムテ役のレッスンの進み具合を確認していたのやけど、彼女謙遜してばっかりやから、自信を持てば大丈夫やと、励ましといたのよ」
二人は一階に来たエレベーターに乗り込むと、航大がボタンを押しながら「華音ちゃん、ええ子やから、あんまり苛めんようにな」と、念押しした。
一週間後、取引先向けに説明会が開催されると、大勢の企業が参加して特設会場は満席になった。プレゼンテーションでは、航大は熱弁を振るい、萌依は司会進行から、プロジェクターの用意や、部屋の空調まで気を配った。
鷹司産業ビルの駐車場が満車になりかけると、萌依は乗ってきたポルシェを自らハンドルを取り、従業員専用スペースに移動し、足早にエレベーター・ホールに戻った。
会場に戻ると、関係各社の出席者たちは、それぞれの椅子に座り、説明会が始まるのを待っていた。萌依の顔なじみが何人も出ていたので、一人一人の席に出向いて丁寧に挨拶した。
「鷹司産業に溢れ返るマインドは、豊かな想像力と遊び心です。それなくしては、当社が創業以来、ここまで社業を発展させられなかった」と、航大は告げると壇上に置かれたミネラル・ウォーターに口をつけた。
「つまり……、チャレンジ精神を失った企業に価値はないのです」航大は、部屋の全体を見回すと、マイクを手に持ち「皆さん、ほな、頼んまっせ」と付け足した。
航大の語り口が普段の関西弁に戻ったので、役員たちは爆笑した。会長派の役員の何人かは、楽しそうに笑った後で思わず口を手で覆った。力哉は憮然とした表情を崩さなかった。
正面には、大スクリーンに映像が映し出され、鷹司産業の歩み、サンタ・クロース・カンパニーの設立趣旨、サンタ・クロース伝説、子どもたちに夢を与える心理効果、ビジネスとしてのサンタ宅配便と、順々にスライド画像が示された。
航大の挨拶の後に、前に歩み出た南郷は、スクリーンを見ながらアンテナ・ペンを伸ばし、詳細を説明した。会場にいた取引先関係者は、スクリーンと壇上にいる南郷の姿を交互に見ながら、熱心にメモをとっている様子だ。
プレゼンテーションが失敗すると冷ややかなムードが流れ、成功すると熱を帯びてくる――と、萌依は予想していた。今回の説明会は、客観的に見ても明らかに成功だ――と、彼女は確信した。
「今日は、皆さんにお集まりいただいて、ありがとうございました」萌依が演壇に立つのを見届けてから、航大と南郷が壇上を下りた。
「サンタ・クロースは復活したキリストのような慈愛の存在です。子どもたちに夢を与え、優しさでふんわりと包み込めるのは、他の誰でもなくサンタ・クロースに課せられた使命でしょう。世界中の子どもたちに愛されるサンタ・クロースが届ける贈り物は、何よりも価値があり、子どもたちの胸の内に、大きな望みを育む絶大な力が宿っていると……、私は、確信しています」
萌依が言い終わると、会場は万雷の拍手が響き渡り、マスコミ関係者は一斉にカメラのフラッシュを光らせた。自分のスピーチには説得力があると、萌依は感じた。壇上を下りると、南郷が近づき「萌依社長のスピーチ、良かったですよ」と、頷きながら微笑んだ。
※
翌日、会長室に呼び出されると、力哉は「昨日はご苦労やったなあ。説明会は大盛況やった。君らが準備した甲斐があったというものやな」と言葉にしながら、航大と萌依の顔を交互に見た。
力哉は何か企んでいるように、にやりと笑った。
「青野君に作らせたものや。これに目を通せば、君らの計画の杜撰さが分かるやろ」
力哉はブリーフケースを開けると、分厚い書類の束を航大に手渡した。
「君らの計算根拠は、でたらめやと分かったやろ。一年のうち、クリスマスだけ宅配便を走らせても、社員を養えるわけがない。どや、分かったか?」
「私は、サンタ・クロース・カンパニーの設立起案を出す前に、鷹司産業の一事業部門としてサンタ宅配事業をやろうとしていました。萌依も、そこの事業部長にする考えでした。それを認めなかったのは、あなたたちやないですか?」
「よう、考えてみるのやな。会社は、利益を出さなあかん。甘い理想家に、経営者は務まらん言うことや」
航大や萌依の考えでは、十二月だけ宅配便を走らせるのは、初年度のみで二年目以降は通年事業を推し進めるつもりでいた。が、まだ何も決まってはいなかった。
力哉の議論は、事業採算性の問題に偏っていた。冬村と同様に数字に強く、決算関連書類を愛読書にしているため、理想の実現、公共の利益、企業イメージの向上等々の言葉を絵空事のように軽んじ――そんな調子で、ほんまに儲かるのか――と、口癖のように問いかけた。
萌依は、航大が長い間、力哉の経営姿勢を敬っていたものの、今では望みのない殺伐とした議論ばかりするのに、うんざりしているのを知っていた。
会長派と社長派に分かれて対立が生じたのも、サンタ宅配便事業に対する野心派と理想派の立場の違いがつくっていた。株主たちは野心派の中でも、同族とは違いたたき上げの実力者として、青野を高く評価していた。青野は株主と会長の支持を得て、爪と牙を伸ばし、会長、社長を脅かすほどの勢力の拡大を進めているのが歴然としていた。
鷹司産業では、表向きは会長派と見られているものの、力哉にとっても、獅子身中の虫といえる存在が青野だと、噂されていた。
自分が望んだ状況とはいえ、こんなに乱暴にビジネスの世界に投げ出されるとは、萌依は考えもしなかった。しかしながら、仕事に取り掛かると、周りには萌依の心の余裕のなさを見透かして青野のようにプレッシャーをかけてくるものが存在する反面、信頼できる協力者たちが笑顔で迎え入れていた。
ビジネスでは、どんなに良いアイディアを持っていても、一日の内に結果は分からない。もし、それが分かるのなら誰でも同じビジネスに参入し、過当競争になる。困難が伴うからこそ、やりがいもあった。
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