第2話

 萌依が社長室にいると、冬村と南郷が訪ねて来た。十二月の事業の準備のためとはいえ、幾日か多忙に過ぎていった。サンタ宅配便はアルバイトの準社員などの期間限定社員が大半を担当するので、当面は萌依と、出向中の冬村と南郷の三人で仕事を回す構えとなった。総務・人事・経理などの事務作業の大半は、鷹司産業の社員が兼務していた。

 航大は、萌依に対して事業計画書が完成したかとは尋ねなかった。萌依の目には、航大が短時日で、計画書が完成するとは思っていない風に見えた。

 一方で、営業部長の南郷は予定より早く、仕入・販売ルートのリストを完成させており「今後については、心配せんと任せてください。自信がありますねん」と、胸を叩いた。南郷は、指の股に挟んだ加熱式タバコを口に咥えると、自信のほどを示した。ただし、――トナカイなどの動物をどうするか……、経費が算出できないと、正確な事業収支が立てられない――と、不満を付け加えた。

 萌依は南郷の話を聞いて、安堵していた。萌依は――仕販ルートが構築できればあとは何とかなる――と確信し、表情を明るくした。

 航大は自信を強めて、付け加えた。

「フィンランドから一頭で百万円するトナカイを数十頭輸入するのが無理なら、他の方法でトナカイをそろえるつもりや。京都市内の自宅にトナカイ用の檻をつくり、餌も執事や自分で与え世話をするのや。ハイテク仕様の橇は、実際の道路上を走行できる優れものにせなあかんな」

 南郷は、後ろに控えていた冬村を見た。冬村は、表情を険しくして告げた。

「無茶苦茶な計画やないですか。予算オーバーは確定的ですな。会長や青野さんに相談せなあかん。ほな、反対されるのは当然の結果ですわ。航大社長も、そう思いますやろ?」

「資金的に不足するようなら、俺がポケット・マネーからいくらか出すつもりや」

「その覚悟が、おありですか? それならよろしいです。しかし、会長には却下されるでしょうな。会長は公私のけじめに、何かとうるさいお方ですわ」

「予算ありき、計画ありきですわ。それが決まったら、楽勝ですわ」

「そう甘くないけどな。営業は、君に任せるが……、事業収支の道筋は俺がつける」

「トナカイに、橇を引かせるような無茶をやめたらどうです。そこがクリアできたら、大分ラクになりますやろ?」

「いや、トナカイに橇を引かせてこそ、サンタ・クロースらしくなるのや。犬や猫に代役は務まらん」

「そうですやろか?」

「クリスマス商戦は、演出で決まるのや。力を抜いたら、それで終わりやと思うとき」

「サンタ・クロース役とトントゥ役は、近いうちに面接するつもりや」

「トナカイも人間にやらせたら、どないですか? 着ぐるみで、うまく誤魔化すのですわ」

「あかん。子どもの目は誤魔化せないよ」

 萌依は、兄の悩みをすべて理解していた。航大はサンタ・クロースの宅配便を走らせ、子どもたちに一生モノの素敵なファンタジーを届けようとしている。いや、現実はそんな生易しいものではない。萌依には、いくつもの抵抗に遭遇し、向かい風にさらされるのが予想できた。

 スマホが鳴動するのに気づいたが、萌依はそれを無視して、手鏡で自分の顔を見た。

 ネクタイを緩め、ワイシャツの第一ボタンを外して寛いでいた航大が「スマホが鳴っているから、早う、出た方がええ」と反応した。

「はい、鷹司です」

 電話の向こうの声は、南郷からでサンタ宅配便の面接の日程調整と、萌依にも面接を担当して欲しいとの要望だった。

 南郷は前向きに――あとは、トナカイの件が気がかりなだけです――と、告げていた。

 萌依は、職場では隙を感じさせないスーツ姿で臨んだが、休日は白のトップスにブルーのデニムのカジュアルな装いを好んだ。生来、IQが高く、短大を首席で卒業していたが、自慢話や他人の悪口を嫌い、誰に対しても平等に接して来た。運動神経が良く、スポーツ万能型だが、特に格闘技に力を入れていた。

 温かい家庭と、裕福な生活。欲しいものが手に入る環境を友人たちは――萌依には、ほかに何が必要なの? あなたほど恵まれた人はいない――と、羨ましがっていた。それでいて、萌依は自分が大人になっても、今以上の暮らしは望めないのではないかという不安に苛まれていた。

 萌依たちの生活と、彼らの家とは完全なまでに似ていた。だから、この家を訪れたものは、二人にいっそうの親しみを覚えた。人々はこの家のゲスト・ルームで本革張りのゆったりとしたソファーで寛ぎ、無垢材の一枚板のテーブルに載せられたアール・グレイやダージリンの紅茶を飲み、マロン・グラッセやマドレーヌに口をつけて、萌依や航大と会話できるのを何よりも貴重な時間だと感謝していた。

 萌依の部屋は広く、全体が黄緑色で統一されていた。書き物用の机と椅子は窓側に配置し、書斎の壁の二面が床から天井まで書棚が配置されており、そこにビジネス書はもちろん、学術書や小説や文芸評論、各種の辞典などの本が並んでいた。さらに、様々な本に混じって、目立つところにサンタ・クロースの絵本があった。

 この部屋でもっとも目に付くのは、トレーニング用のマシーンやダンベルと、ハンガーにかけられた合気道の道着だった。ベッドの上や部屋の隅に、ぬいぐるみが置かれていなければ、男性の部屋のようにも見えた。

 剣道五段、合気道八段の腕前は、確かなもので大抵の男は、花のように美しく、華奢に見える彼女の敵ではなかった。

 ライト・ブラウンのベッドは、大きい方の書棚と反対側の壁の前に置かれている。

 航大は、萌依の書斎に入ると周囲をぐるりと見回した。パソコンの画面は、サンタ・クロースやクリスマス関連の情報が表示されており、アウトプットされたPPCペーパーには、トナカイに関する情報が印刷されていた。

「俺は、トナカイは本物でないとあかんと思うていたが、無理やな」

「ヘラジカも手配が難しいし、代替案を採用してもらうしかないのよ」

「南郷部長が言うような人間が着ぐるみを着て、子どもの前でおどけるのは、賛成しかねるな」

 航大の案では、トナカイの代わりに二ホンジカに小さな橇を引かせる代替手段だが――、萌依は言下に反対した。萌依は、サラブレッドの頭部に大きなヘラジカの角をつけ、背中にサンタ・クロースを乗せて子どもたちの前に登場させてはどうか――と、提案した。

「サラブレッドが、どないや言うねん? どういうつもりや?」

 萌依の大胆な発想をどう判断していいのか、航大は分からないのか戸惑いの表情を浮かべていた。

「二ホンジカに橇を引かせるのは、無理やと思うし、だいたいスケール感がないでしょ?」

「そうやろか? 俺はええ案やと思っていたのやけどな」

「ダメダメ、それは絶対にダメやと思う」

「なんか、ええ案があったら教えてくれ」

 航大は、萌依の部屋から出ると一階に下りた。萌依が続いて下りると、航大はインスタント・コーヒーをカップに入れて、湯を注いだ。ダイニング・ルームには、スパニッシュ・マスティフのサンチョが長い舌を出して、床に寝そべっていた。

 萌依がサンチョの頭や胴体を撫でてやると、サンチョは嬉しそうにした。

「犬は呑気でええなあ。悩みも何もない」

「サンチョに似た、大きな犬を集めて犬橇にするのは、イメージを損なうしね。こういう動物は、人間にうまく甘えて、寵愛を受けて生涯を終えるのが幸せなのよ」

 航大はコーヒーを飲み干し、キッチンにカップと受け皿を戻した。

 萌依は、二階から持ってきた資料を食卓テーブルいっぱいに並べると、さも残念そうに伝えた。

「何度、資料を見ても、トナカイに変わるええ案は見つからへんね」

「サンタ・クロースをトラックに乗せて、子どもの家に行っても、風情も、何も、ないやろ。どないか、せなあかんな」

       ※

 萌依とすれ違うように、航大が駐車場から出てきて、通りを横切るとビルの中に入っていくのが見えた。

 事務所に戻ると、航大は「鷹司産業グループ本体の仕事で忙しいから、今まで同様に、サンタ宅配便事業に長い時間はかけられへん。できるだけ、お前が中心になってやってくれ」と、萌依の顔をすまなさそうに見た。

 面接初日の早朝、会社に着くと萌依は唖然とした。履歴書が山積みになっていて、その大半がトントゥ役への応募だった。サンタ役は百人必要だが百五人しか応募はなく、橇を走らせるルドルフ役は、同じ百人の募集に対して、僅か五人が応募していただけだ。

 サンタ・クロースのモデルは、リキュアのミラで大主教を務めたニコラオスだ。聖ニコラオスはオランダ語で、ジンタ―・クラースと呼ぶのが訛って現在のようにサンタ・クロースと呼称されている。サンタ・クロースが赤い服を纏うのは、司教が儀式の際に着る服がモデルだ。萌依の基準では、サンタ役としては、滲み出る優しさと厳かな雰囲気がないと、務まらないと思っていた。

 ルドルフ役は橇の馭者という、特殊技能が必要とされるため、応募が少ないものと予想できた。

「とりあえず面接して、トントゥ役だけでも先に決めたら、どないですやろ?」南郷が萌依の様子を案じて、意見を口にした。

「今日来てくれる人、全員に会うわ」

「そうですか? トントゥ役は応募が二千人を超えていました。けど、書類選考で厳選して面接の対象を五百人に減らしておきました」

「トントゥ役は、一台の橇に三人乗るから、百台で三百人必要になる。書類選考で間違っていたら、取り返しがつかへんのよ。南郷部長は、ちゃんとした基準でチェックしたやろね」

「マニュアル通りに営業部員に申し付けて、ちゃんとチェックさせましたから、大丈夫です」

 土日を利用してサンタ・クロースとトントゥ、ルドルフの面接が始まった。サンタ・クロースと馭者のルドルフ役は、一台の橇に一人ずつだが、妖精のトントゥは一台に三人が必要となる。百台の橇を稼働するのに総勢五百人で臨む必要があった。

 萌依も航大もメイン・キャラのサンタ・クロースは、小太りで白髪の髭の長い老人のイメージにぴったりの人物を選ぼうと思っていた。

 面接は土日を終日費やし、二ヶ月をかけて行った。長引いたのは、サンタ・クロースとルドルフの応募者が少なかったためだ。といって、参加者全員を合格にするとクオリティーが下がるのは必至だった。

 萌依は心理学を応用した、あらゆるテクニックを駆使して、子ども好きで、信頼できて、配慮が行き届いた人物を選抜するために、すべての面接に立ち会った。

 一次面接から、最終面接まで萌依は細かくチェックするつもりでいた。航大からは、社員を信用して任せるようにアドバイスされていたものの、最終面接以外では、マジック・ミラー越しに様子を観察する方向で臨んだ。

 サンタ・クロースは、小太りで笑顔が明るい中高年層の応募者から選出した。一次選考で二十五人が落とされ、定員割れの八十人だけが残った。

 採用面接の席では、担当者は萌依が用意した基準に従って一次選考の段階から「あなたは、子ども好きですか?」「お孫さんはいますか? よく遊んであげますか? 玩具をプレゼントした経験はありますか?」「自分を野心家だと思いますか? 理想家だと思いますか?」などの質問で、応募者を困惑させていた。

 面接官を担当した人事部員は、サンタ・クロースの衣装を着せて、大きな袋を担がせ、似合うかどうかチェックするほど、念には念を入れていた。

 トントゥ役の女の子では、トムテはリーダーなのでしっかり者で責任感のある人物が適正に合い、ニッセは明るくて思いやりのある性格の人物、パッカネンはおとぼけキャラなので、面白い演出ができる人物と考えて、人選に迷った結果、一次選考で三百二十人に絞られた。

 ルドルフ役は、一次選考では五人全員が合格したものの、馭者の経験があるのはたった一人だった。その後も、ルドルフ役は簡単には見つからなかった。

 馭者や乗馬の経験のある者という条件を下げて、萌依はサンタ宅配便の馭者を養成する方針に切り替えた。計画がスタートすると、観光地で馬車を走らせている企業に問い合わせ、百人の馭者を養成するのに三ヶ月をかける計画になった。

 萌依は、漠然と会議での身の処し方を考えながら、堂々としていて都会的な風情のあるビルのロビーを横切り、エレベーター・ホールへと向かった。エレベーターの直前に行く前に、ドアが開いて航大が姿を現した。

「どこに行くの?」

「外の空気を吸おうと思うてな」

「会議に間に合うように戻ってね」

「ああ、それは分かっている。すぐに戻るよ」

 たいていの場合、航大がこんな行動をするときは、タバコを買いに行くか、目を覚ますために、よく行く喫茶店でブラック・コーヒーを飲むか、どちらかだと萌依は想像した。

 聞くところによると、クリスマスはキリストの生誕祭だが、語源はラテン語の「クリストゥス・ミサ」でクリストゥス(キリスト)+マス(礼拝)を意味している。

 元々は、神聖にして厳かな一日だった。クリスチャンの萌依にとっては、サンタ宅配便で子どもたちを喜ばせるミッションは、絶対にやり通さなければならなかった。

 事業計画の進捗を検討するため、役員や管理職たちが集められた。会議室には既に三人の男が陣取り、全員が長机の前で腕を組み、険しい表情をしていた。会社で個室に入れないものは、現状について多くを知らなかった。たとえば、経営計画がどういうものか、会社の抱える問題はどうなのか……。

 逆に、萌依はとうに会社の内情を見抜いていた。萌依は、幹部たちが何を目論んでいるのかを知っているだけに、目の前の局面を乗り切りたかった。

 青野は、一瞬だけ両手を腰に当てるとさっと下ろし、顎を上げたままサンタ・クロース・カンパニーの役員の顔を順々に見ていった。

 部屋の人工的な明かりの中を、一匹の蠅が円を描いて飛んでいた。萌依は、窓を開けて蠅を逃がそうとした。ブウンと羽音が聞こえたと思うと、力哉はノートを丸めて躊躇なく蠅を叩き落とした。それが、力哉の内心の苛立ちを証明しているかに見えていた。

 萌依は、ふたたびサラブレッドにヘラジカの角をつけ、サンタ・クロースを乗せる案を提示した。次いで、サラブレッドの橇にサンタ・クロースが乗る様子が分かる画像を加工して、全員に示した。

「そうや、この案で行こうや」航大が呆気なく、萌依の案に賛成したので拍子抜けした。画像で提示すると、サンタ・クロースが乗るのにふさわしい大きな橇であるのを効果的に示せていた。

 航大はこのタイミングを利用して、計画成功に役立つ指示を次々と、鷹司産業のグループ会議で発言した。

 萌依が画像入りの資料を配布すると、会長派の幹部も含めて全員が真剣な表情で見ていた。沈黙を破り南郷が口を開いた。

「思ったより、スケール感がある。ほんま、ええ感じが出てますな。この感じが出ていたら、自信を持って営業できます。早速、営業用の資料に焼き直したいと思います。それに……」南郷が言い終わる前に、八所美津江部長が口を挟んだ。

 会長派の美津江は大柄な女性で、目つきに険があり、いかにも気の強そうな雰囲気を滲ませていたが、力哉や青野の前では別人のように従順に振舞った。

「子どもだましやね。お金を出すのは、子どもではなくて、親なのよ。所詮、子どもは騙せても、大人は騙されませんわ」美津江は、巻き返しを図ろうとするように語気を荒げた。

 萌依は、美津江を可哀そうに思っていた。美津江が青野の言動に注目し、お追従を言葉にし、叱声を浴びそうになると、慌てて前言を撤回する有様は滑稽に目に映り、不憫にも愚かしくも見えた。仕事の大半を青野や力哉の顔色を窺うのに費やし、身を削るのが美津江の日々の努力だとすると、それは己の人格や見識を尊重する姿勢だとは言えなかった。

「会社はオーナーの道楽やないのですわ。儲からないと、会社や、株主や、社員全体に迷惑がかかるだけや。その辺は、分かっていますのやろな」青野は、鋭い目つきで尋ねた。

「私も、萌依もよう分かっています。そやけど、希望のない企業は、守銭奴の集団と同じですわ。頭の黒い鼠ばかり集めても、理想は実現できませんやろ」航大の言葉はいつになく辛辣だった。

「社長は相変わらず、いけずな人やわ。そやけどね。あなたたちにとっては、そこが問題なのです。怖い、怖い」美津江は、肩を竦め身震いして見せた。

「どう思う? 萌依、問題なんか、たいしてないよな」

「何とかするしかないでしょ」

 美津江は、不意にクスクスと笑いだして「あなたたちって、本当に阿保なのやね。一年は、何日あるのよ。何年間も、そんな仕事が続くわけがないでしょ? そんな儲からない企業に何の値打ちがあるの。言うている意味が、分かりますか?」

 当初の航大の計画では、サンタ宅配便は数ある鷹司産業の事業の一つとして進める構えだった。それが認められず、サンタ・クロース・カンパニーを設立し、航大から萌依に、経営の全権が移されていた。閑散期は、鷹司産業の下請け受注で食いつなぐ目論見だったが、美津江の口調が気になっていた。今では、自分の気の迷いや、判断ミスは許されない状況となっていた。

「まだ、サンタ・クロース・カンパニーは、設立して間もない企業です。試行錯誤を通じて、儲かる企業にしてみせます。それに……」

 萌依が言い終わらないうちに、美津江は忍び笑いを続けながら、今度は大きな声で笑うと「ほんまに阿保やねえ。若い、若い、青二才に、何ができるのでしょうね」と揶揄うように告げてから、他の実務をやるために、その場を立ち去った。

 周囲では、航大や冬村のように、萌依の長所を認め評価する者と、力哉や青野のように世間知らずの夢想家のように思い危険視する者とが存在した。

 しかし、人間のやる取り組みには、準備したり、学習したり、記憶した内容を想起したりする必要のないものがある。そうしたものには、天性の素質や才能が成否を分けるケースが多くあった。萌依は、無謀と謗られようと、自身に備わる勘によって――サンタ宅配便事業は、必ず成功し、ずっと継続できる――と、確信していた。

 成功しても、失敗しても自分の好きな仕事ができるのは、萌依にとっては、毎日が充実していて楽しかった。一方で、失敗は経営者として何としても避けたかった。

「十分な準備をして臨みますから、信用してください」萌依が懇願すると、力哉は「そこまで自信があるのやったら、やればええ。そやけど、わしも甘い顔ばかりはせえへんからな」

 腕組みをして、気難しそうな表情を続けていた力哉は、両脚を組み換えると、腕時計を何度も見た。さらに、わざとらしく咳払いをすると、萌依に聞こえるように「そろそろやな」と、言葉にした。

 青野が自分の存在を主張するように、肩を怒らせると会議室にいる全員の顔を見回した。

 冬村は老眼鏡を外すと、胸ポケットに仕舞い、額を何度もこすった。

 力哉は立ち上がった。「わしは、他に用事があるさかい、これで失礼するわ」会議室にいた全員が立ち上がり、会長の力哉に敬意を表し、頭を下げようとすると「ええから、ええから、会議をそのまま続けなさい」と申し付け、ドアの外に出た。

「会長がああ言われるのやから、サンタ宅配便事業自体はやるしかない。けどな、ええ加減な計画やったら、徹底的に反対したいのも本音や。さっきも言うたけど、儲けなあかん。私の言いたいのもそれだけですわ」

「青野さん、私も萌依もよう心得ていますから、まあ、見といてください」

「子どもたちの希望を叶えてあげたい。サンタ・クロースの愛に触れた子どもたちは、大人になっても他人に優しい立派な人に成長すると思うのです」

「萌依社長、会社の経営言うものは、あなたの言うような夢物語ではない。それだけは、よう心得てください。頼んますよ」青野は相変わらず、ぎろりとした目で、萌依の顔を凝視していた。

 萌依がサンタ・クロース・カンパニーの社長に就任してから、周囲は二人を区別するために「航大社長、萌依社長」と呼び分けた。

 萌依は激高しそうになったが、理性の光がさっと胸の内を照らすと、自暴自棄的にふるまう愚かしさを悟った。

 大会議室は円形にテーブルと椅子が配置されていて、天井には隈なく照明が施されていた。上座には会長と、航大社長が並んで座り、末端の席に課長クラスの管理職が腰かけていた。

 青野は、掛け時計で時刻を確認すると「両社長、どうですやろ、予定時刻を過ぎているし……」

 会議に出席していた者たちは、青野の呼びかけに応えて退出していった。会議室に残った四人は声を落として、協議した内容を振り返った。

「不完全燃焼やけど、サンタ宅配便事業が認められたのは収穫ですな。これでやりやすくなる。営業部に任せてくれたら、それなりの形をつくりますさかい。両社長は、様子を見てアドバイスしてください」

「南郷部長の気構えは、立派やと思う。しかし、企業は予算が立たなあかん。今の計画のままやったら、反対派が盛り返す展開も考えられるでしょうな」

「私はコストを圧縮して、中途半端なものをつくるつもりはないですからね」

「俺は萌依にすべてを任せるつもりや。結果は後からついてくる。子会社のサンタ・クロース・カンパニーが経営不振になったとしても、鷹司産業の屋台骨に影響はない。萌依に伸び伸びとやらせてもらいたい」

「航大社長、お考えが甘いのとちがいますか? ――千丈の堤も蟻の一穴から――いう言葉がありますやろ。何事も、石橋を叩いて渡るぐらいの用心深さがないと、大企業の経営者は務まらないのと違いますやろか」

「冬村さんの意見は、会長一派の主張と同じで面白みがない。けど……、よう考えておきますわ」

 会議室を出ると、四人は各々の持ち場に戻って行った。新設会社サンタ・クロース・カンパニーのオフィスは、鷹司産業の営業部の一隅を間借りするかたちで配置されており、萌依が常駐する社長室も、仮囲いの中の小部屋でしかなかった。

 昼休みに食事を終えた萌依は、横目で、喫煙室の中でタバコを咥えながら話し続ける冬村と南郷の姿を見た。二人は熱弁を振るって意見交換していた。

 萌依にとっては、有難かった。――希望のある企業は熱気を帯びている――と、萌依は考えていた。鷹司産業から、サンタ・クロース・カンパニーに転属されたメンバーは、待遇に対する不平不満を口にしないばかりか、目に希望の光が宿っていた。

 財力を基準にして権勢を誇り、己の欲望のために性根の腐った行動をする者は世の中に多いが、鷹司一族は創業以来、社会貢献を社是としつつ、理想の実現を目指していた。世情を考えて――綺麗ごとだ――と、非難する者も見受けられたが、萌依は理想の実現のために尽力しない企業など、益体もないと断じていた。

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