第32話 不自然な呼び出し
「ただいま」
「お、おかえり。いひひ!」
謹慎明けの学校が終わり自宅に戻れば、愛する桜が変わらない笑顔で俺を出迎えてくれた。
そんな桜の姿に自然と笑みがこぼれると、殴られて切れていた口内に痛みがはしる。外傷や腫れた部分は治っていたものの、口の中だけは口内炎になってしまっていたからだ。
「だ、だいじょうぶ?」
「ああ、たいしたことない」
桜がその変化に気づいて心配そうな声を出したが、俺は口内炎に歯が当たらないようゆっくりと笑いなおす。
「……あ、あの」
「どうした?」
「その……お兄ちゃんの怪我だけど、さ」
「転んだときの怪我がどうかしたのか?」
「……ううん。やっぱり、なんでもない」
桜は何かを言いかけて途中でやめてしまう。それを誤魔化すかのように、いひひ! と笑った。
万願寺に話した通り、桜に謹慎のことは隠していた。もしかしたら、そうじゃないことに桜は勘付いているのかもしれないが、話したところでなんの解決にもならないため隠し通している。
そうしているのは、もちろん心配をさせないためだ。
小学生の頃の桜は正義感の強い子であり、イジメがあれば絶対に許さない性格だった。事実、イジメられている人を目の前にしたとき、桜がなんの躊躇いもなく止めに入ることが多々あり、慌てて追いかけた俺がイジメっ子たちと喧嘩したこともあった。
その頃から俺は喧嘩に多少の自信があり、負けたことなんて一度としてない。
桜が正義を語り、俺が武力で制圧する。
そんな構図が当たり前にあって、その当たり前は、桜がいるからこそ成り立っていると心から思っていた。
だから、俺が小学校を卒業しても、桜の正義は健在し続けると
まさか、制圧していた奴らが桜に復讐を始めるなんて夢にも思っていなかった。
それ以降、俺は桜に極力悪い話をしないようにしていた。喧嘩の話を隠したのは、それに伴って盗難事件のことも話さなければならなくなるからであり、悪を話せば同時に正義をも話さなければならなくなるからだ。
桜は悪を放っておけない。それが起因して俺が殴られたなんて話……桜にだけはしたくなかった。
もちろん、心配をかけてしまうからだ。
◆
万願寺が俺に「今日晩ごはんをつくりに行ってもいい?」と言ってきたのは、何気ない口約束から二日後のことだった。
それを二つ返事で承諾すると、彼女は嬉しそうに笑ったあと、しばらく無言で見つめてきた。
「あのさ、最円くんは……ずっとそうやっていくつもり?」
そして、突然わけのわからない質問をされる。
「なにがだよ」
「その……桜ちゃんにはさ、やっぱり何も言わないつもりなの?」
「謹慎のことか? それはもう終わったことだから言う必要はないな」
「そうじゃなくて! いや、そっちもだけどさ……うちが言ってるのは一限目のこと。最円くん、次も6組の可能性高いじゃん」
ああ……と、万願寺が何を言いたいのか察してしまう。それに関しては、与那国先生からも言われたこと。
――遅刻は今日を以てやめなさい。
俺は思わずため息を吐いた。
「これからも言うつもりはない。俺は桜に何かを強要しないと決めてるからな」
「それって強要なのかな? ……家族なのに?」
「家族だって何でも話せるわけじゃない。俺の都合で、桜を思い通りになんてしたくない」
「思い通りなんて……そこまで言ってないんだけどな」
万願寺は消え入りそうな声でそう言ったあと、会話は途絶えてしまう。
確かに、すこし誇張して言い過ぎたかもしれない。桜を話に出されてムキになるのは俺の悪いクセだ。
だが、言った言葉に嘘はなかった。
桜なら、事情を話せば必ず協力をしてくれるだろう。思っている感情を隠して、いつものように笑うだけなのだろう。
そして、それこそが俺の恐れることですらあった。
だからこそ、俺は桜にそのことを話すつもりはない。
「……そういえばさ、由利から聞いたんだけど」
そうしていたら、再び万願寺が口を開く。
「二組に戻してくれる件、断ったから」
「……そうか」
百江は万願寺にも話すと言っていたが、やはり表向には断られたしい。
まぁ、それに関して大切なのは万願寺の意思ではなく、百江がどうしたいか。
だから、万願寺が断ったからといって、彼女を2組に戻す計画が中断されることはないはず。
「最円くんが由利に提案したって聞いた」
「……お節介で悪かったな」
小言を言われるのだろうと先読みして謝る。
「ううん。ありがとう」
しかし、予想に反してお礼を言われた。
「たしかに……お節介だと思うけどさ、うちのことを考えて提案してくれたのはなんとなく分かるから」
「そ、そうか」
文句を予想して気構えていたのに、感謝されたものだから困惑してしまった。
「それにさ……うちも最円くんにするかもしれないし」
「なにをだ?」
首を傾げて訊いたら、万願寺は笑みを浮かべてみせた。
「――お節介」
その答えには笑いそうになってしまった。なぜなら、万願寺優という女の子は、そんなことを事前に言わなくたって、どんな時でもお節介をしてくる女の子だったからだ。
「そういえばさ、由利が放課後に屋上まで来てほしいって言ってたよ」
それから、万願寺は思い出したようにそんなことを俺に言った。
「またかよ……。内容は聞いてるか?」
「ううん」
そんな万願寺の反応に俺は呆れてしまう。
百江が俺を呼び出すときは、たいてい万願寺の話のはずだ。にも関わらず、その万願寺を伝言役にしているというのは百江にしては頭が悪い。伝言役にするのなら内容まで教えるべきだろう……。どうせあとから、万願寺に全てを話さねばならなくなるのだから。
「もしかしたら、告白とかだったりして」
そんなことを考えていたら、万願寺が突拍子もないことをほのめかした。
「アホか。6組にいる奴に告白しても損にしかならない」
そう返すと彼女はふーんと鼻を鳴らす。
「告白自体は否定しないんだね」
「否定してるだろ。ただ、6組の生徒に告白するほど百江は馬鹿じゃないって話だ」
「へぇ……。由利と仲良いんだね? さすがはうちに黙ってコソコソしてただけある」
「……皮肉はやめてくれ」
ともあれ、俺はその伝言に従うことにした。万願寺を伝言役にしたことだけが気がかりだったものの、もしかしたら、それすらも考えがあってのことなのかもしれない。
「じゃあさ、うち先にマンションに行ってるね」
「ああ」
「前みたくさ、桜ちゃんに連絡しといて」
「連絡?」
「うん。うちが先にマンション着いても、中に入れてもらえるように」
「……なるほど。わかった」
その返答に、万願寺は満足そうに笑ってから自分の席に戻ってしまう。
なんというか……彼女は百江が俺を呼び出した理由について何も気にしてはいないようだった。
万願寺の皮肉どおり、俺と百江はこれまで彼女に隠してコソコソと話をしてきた。それを考えれば、今回のことに万願寺がもう少し関心を寄せたっておかしくない。
なのに、彼女の態度はあっさりとしていて、それよりも今日マンションに行くことだけを俺に念押ししていた。
もしかしたら……万願寺は、百江が俺を呼び出した理由について本当は知っているのかもしれない。知ってて、知らないフリをしているのかもしれない。
なんて、ふと考えてしまう。
知ってて知らないフリをするような話――まさか、本当に告白じゃないよな……?
そんなことは絶対にないと分かっていても、ありもしない期待を膨らませてしまうのは、やはり悲しき男の性なのだろう。
俺は、万が一にも百江に告白されたときのために、無意識に受け答えのシミュレーションを始めてしまっていた。
「いや、お前の好意は嬉しいが、俺は6組だからさ――」
「最円くん……なぜひとりで笑ってるんですか……気持ち悪い」
それを京ヶ峰に見られたのは、人生最大の失敗だったかもしれない……。
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