第33話 足止め

 放課後。普通教室棟の屋上に向かうと、すでに百江が待っていた。


「2組に優を戻す件だけど……断られたわ」

「やっぱ万願寺のことじゃねーか!」

「えっ……な、なに……?」


 そして、内容はやはり万願寺のことだった。


 しかも……それは既に、俺が万願寺から直接聞いた内容。思わずツッコミを入れてしまったものの、俺は冷静を努めることにした。


「……言ったはずだ。その件に関しては万願寺の意思は関係ないって。大切なのは、お前がどうしたいかだ」

「う、うん。それはそうなんだけど、一応あんたに報告はしておこうと思って」


 ため息混じりに吐いた言葉に、百江は申し訳無さそうに答える。いつもの堂々とした姿とは違い、そこには弱気な百江がいた。


「それで? アイツに断られたから、やっぱり2組に戻すのはやめるのか?」

「そうじゃないんだけど、優が言ったの。「まだ6組に居たい」って」


 それを聞き、俺は呆れてしまう。


「……そんなのは後付けに決まってるだろ。よく考えればわかるはずだ。自分から6組に残りたい奴なんかいるわけがない。それは、お前に踏みとどまらせるための言い訳でしかない」


 元のクラスに戻すことを万願寺が真っ向から否定するわけがない。むしろ6組に残ることを、さも望んでいるかのように述べるに決まっている。


 そうすれば百江を止められると理解しているから。


 そして、その問題はやはり、「百江自身がどうしたいか」を優先すれば問題にすらならない。


「お前は万願寺の幸せを願って2組に戻す、それだけ考えていればいいんだ。それでアイツが怒ったって関係ない。そもそもアイツのやり方じゃ、ハッピーエンドにはなれない。……というか、このやり取り前にもしなかったか?」


 言ってて気づいてしまう。その時は百江も理解して納得してくれたとばかり思っていたが、今の彼女は浮かない顔のままだった。


「もしかして、まだ不安なのか?」

「そういうことじゃない」


 百江は首を横に振ったあと、しばらく何かを考えていたが、やがて諦めたように息を吐く。


「優は……まだ6組に居るべきよ」


 そして、俺を見据えてハッキリとそう断言したのだ。


「は?」


 わけがわからずマヌケな声がでてしまった。


 こいつは何を言っているのだろうか? 本気でそう思った。


「それが優にとって良いことだと思うし、優の幸せを願ってる私にとっても、そうするべきだと思ったの」

「あー、待て待て。意味がわからん」


 急に意見を変えた百江には混乱するしかない。それから、なぜその考えに至ったのかを推測してみる。


「お前……もしかして、クラスリーダーの座が惜しくなったのか?」


 そもそも万願寺は、学内であまり良い噂をされていない。そんな彼女を戻せば、クラス内で何かしらの反発があってもおかしくなかった。


 万願寺のために手に入れたクラスリーダーという地位。しかし、結局その地位が惜しくなって万願寺を裏切る。


 それは十分にありえる話だ。


 しかし、


「あなたが考えているようなことは何もないわ。私は、私の考えで優をもう一度追放する」

「……」


 先程の弱気な態度とは打って変わって、そこには有無を言わせない明確な百江の意思があった。


「……わかった」


 取り敢えず反論はせずにおく。


 反論したところで、それを変える術が俺にはないからだ。


 百江の考えはわかった。そして、それを肯定したうえで、俺はさらに彼女へ問う。


「わかったが……、それを俺にわざわざ言う必要あったか?」


 俺にはそれをどうすることもできない。そんな奴にわざわざ報告する必要なんてない。


 それが万願寺のためだと信じるのなら、勝手にそうすればいいだけのこと。


「ほ、ほら。一応、報告しとこうと思って」


 そしたら、百江は再び申し訳無さそうに言った。


「……なるほど?」


 やはりよくわからなかったが、そういうことにして呑み込むことにする。


 二人が話し合い、それで納得してしまっている以上、今の俺が口を挟める余地はない。


「で、話は終わりか? 終わりなら、もう帰るよ」


 そう言って踵を返したら、


「まっ、待って!」


 わりと大きめの声で引き止められてしまった。


「……なんだよ」


 振り返ると、いつの間にかスマホを取り出し、画面を見ていた百江が俺に再度視線を向ける。


「さ、最円ってさ、誕生日いつなの?」

「……は?」

「私は十月十日なのよ」

「それ「プレゼントよろしく」って意味ですか?」

「そんなわけないじゃない!」

「え、じゃあ、なんで誕生日なんか教えるんだ」

「あなたの誕生日を聞くために、私から答えてあげたの」 

「……それが何なんだよ」

「いいから答えなさい」


 百江の真意が読めなかったものの、俺は答える。


「……五月二十九日だ」

「ほんと!? もうすぐじゃない!」

「いや、言っておくが、サプライズしようとか考えるなよ?」

「は? なんであなたにサプライズなんてしなきゃいけないわけ?」


 急に真顔で言われました。えぇ……じゃあなんで誕生日なんて聞いたんだよ……。


「……話が終わりなら、もう帰るからな」


 無駄に傷つけられた心を隠し、再び百江に背を向けたら、


「まっ、待ちなさい!」


 また、呼び止められた。


「……今度はなんだよ」

「そ、その……好きな食べ物とかある?」

「やっぱりサプライズする気じゃねぇか!」

「はぁ!? サプライズするわけないって言ってるでしょ! 変な期待しちゃってキモいんだけど!」


 そして、もう一度心をえぐられました。


「お前……なんなんだ。俺をどうしたいんだよ」

「いや、なんか気になったから」

「はぁ?」


 意味のない質問には呆れるしかない。百江ってこんな奴だったっけ?


「……」


 もはや言葉を失い、ため息を吐いた時だった。


 ふと、スマホ画面をチラリと確認する百江の姿が目に映る。


 それはまるで、誰かからの連絡でも待っているかのよう。


 もしくは、画面に映る時計を確認でもしたかのよう。


 いや、もしかしたらそのどちらでもあるのかもしれない。


「百江。お前……早く帰りたいんじゃないのか?」

「え? なんでよ」

「さっきからスマホ画面をチラチラ確認してるだろ。それ、早く家に帰りたい奴がする行動だぞ?」

「ただ……確認しただけよ」

「何度も?」

「……ええ」


 返答の歯切れが悪かった。


 俺は万願寺ほど敏感じゃないが、常人並みの洞察力はあるつもりだ。


 そんな俺から言わせてもらえば、


「お前――俺になにか隠してないか?」

「……」


 その無言の間は、あまりにも分かりやすい図星。


「何も隠してないわ」

「じゃあ、なぜ俺を引き止める?」

「話したいことがあるからよ」

「その話は終わったはずだ。万願寺をクラスに戻すかどうかはお前の好きにすればいいし、俺がそれにとやかく言うつもりはない」

「……わかった」

「今度こそ帰っていいよな?」

「……さぁ?」


 百江は苦しそうに首を傾げてみせる。


 その反応で確信した。


「俺を引き止めてどうするつもりだ」

「引き止めるなんて……」

「何を企んでる?」


 思わず向けた敵意。一歩彼女に近づくと、百江はビクリと肩を震わせる。


「な、なにも!」

「時間稼ぎか?」


 もし、これが時間稼ぎであるのなら、俺を帰したくない理由があるはず。


 そう考えた瞬間。



――私、先にマンションに行ってるね?


 

 万願寺の顔が頭に浮かんだ。


「……万願寺か?」


 聞いた言葉に、百江の目が泳いだ。


「俺より先にマンションに行って何をするつもりだ?」


 まさか、本当にサプライズなんてするわけじゃないだろう。


 何も答えない百江に詰め寄ると、彼女は後退る。


 しかし、容赦なく距離を詰め、その腕を掴んだ。


「言え」


 なんとしても聞き出さなければならない。


 なぜなら、それは桜に関わることかもしれないから。


「待って! 痛い!」

「アイツは何をするつもりだ?」


 込めた力を弛めることなく問いただす。


 罪悪感などありはしない。


 桜のためなら、俺はここで彼女の腕を折ってしまうことすらいとわない。


「十秒以内に答えないと腕を折る。十……九……」


 そのカウントに百江が目を見開き、泣きそうな表情をする。


 しかし、同情すら沸かない。


「五……四――」


「まっ、待って! 妹さんをどうにかしようなんて考えてない! それに、これはあなたの為でもある!」

「……俺のためだと?」

「そうよ! あなたが優にしたようにッ……優も! あなたを救いたいと思ってるだけ!」

「具体的に何をするつもりだ?」


 自分の喉から出てきた声は、思っていたよりも低かった。


 百江は泣きそうになりながらも、噛み締めていた唇を弛める。


「ゆ、優は……あなたの妹さんに……あなたがこれ以上遅刻しないよう話すって――」


 そこまで聞いた俺は、掴んでいた百江の腕を乱暴に放すと、そのまま屋上から飛び出した。


 彼女と話していた時間は十分もない。


 先にマンションへと向かった万願寺は、まだマンションには着いていないはず。


 急げばまだ間に合う……!


 それでも、無意識のうちに舌打ちがでてしまった。


「あいつ……余計なことを」


 屋上から最速で階段を降り、そのまま誰かとぶつかってしまうことすら考慮せずに速度をあげる。


 その勢いのまま、俺は脇目も振らずに廊下を駆けた。

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