第14話 思わぬお見舞い

「お、おじいちゃん?」


 桜の何気ない一言に、俺の心は深く傷ついた。ほのかに香る湿布しっぷ特有のメンソールが鼻を抜け、心なしか涙が滲んでくる。



――おじいちゃん。



 別にそれは悪口じゃない。


 筋トレのオーバートレーニングで腰を痛めてしまい、思うように動けなくなってしまった今の俺を桜がそう表現しただけだ。


 しかし、自分はまだ若いという意識が先行しているからか、まるでそれを真っ向から否定されたような気持ちになってしまい傷ついてしまう。


 そして、桜に悪気はないのだと理解しているからこそ、そのダメージはより大きい。


 最初はウイルス性の風邪かと思った。


 全身の節々が痛くて倦怠感にさいなまれ、医者から「オーバーワークですね」と病院で診断されるまで、自分が無茶をしていたなんて自覚すらなかった。


 結果、あまりの辛さに学校まで休むハメになってしまう。


「おじいちゃん??」


 もしかしたら、湿布の臭いのせいもあるのかもしれない。実家にいた頃、桜はよく祖父に湿布を貼ってあげていたから。


「おじいちゃん???」

「桜……頼むから若気の至りって言ってくれ」


 再度呟いた桜の言葉に、今度は我慢できず涙がこぼれる。


 溺れる者は藁をも掴むとはまさにこのこと。


 俺は溺れたのかもしれない。6組に追放され、桜とのかけがえのない時間が一限目とダブルブッキングしてしまう。去年までは簡単にクラスに残れていたから、戻ることも可能だと考えていたものの、百江と話をして価値残りシステムを甘く見ていたことに気付かされた。

 

 だから、焦ったのだろう。


 どうやら、モテるために筋トレするというのは浅い考えであり、筋トレしている人たちはやたらめったらトレーニングをしているわけではならしい。


 そもそも考えてみれば、モテるためにどうすればいいか? なんて答えを京ヶ峰から得たのが間違いだった。


 彼女の容姿は間違いなくモテるだろうが、実際に彼女がモテているのかと問われれば疑問がのこる。だから、モテるための正しい答えを彼女が持っているはずがない。


 それでも、モテれば票を入れてもらえるという考えは一理あるため否定はできず、言われるがまま京ヶ峰の提案に乗った俺がバカ。


 そうやって自分の愚かさを嘆いていたら、玄関のインターホンが鳴った。


 ……誰だ?


 身体の苦痛に耐えながらインターホンのモニターを起動する。


 そこに映ったのは万願寺だった。



 ◆



「どうした?」

「どうしたって、お見舞いにきたんだけど」

「お見舞い……?」


 制服姿であることを見るに、どうやら学校帰りそのままに来てくれたらしい。


 万願寺はお見舞いと言ったが、正味見舞われるほど病状が深刻なわけじゃない。それに、学校には軽い風邪とだけ連絡したはず。


「なにが目的だ……?」


 俺は、目の前にいる万願寺を奇妙な目で見ざるを得なかった。


「目的って、それちょっと酷くない?」

「いや、見舞われるほど仲良いわけじゃないだろ、俺たち」


 そう言ったら、万願寺はため息を吐いてから鞄からノートを一冊差し出してきた。


「これ、今日授業でやったとこ」

「わざわざ写してきたのか……」

「困るかなと思ってさ」


 それは、今日やった授業の内容を丁寧に写したノートだった。しかも、俺が本来出席するはずのない一限目から写してある。


 だが、これは……。


「別に困らないぞ?」

「え?」


 そう返したら、万願寺は不意を打たれたような声を漏らした。


「いや、困らないというか、ノートだけあっても意味がないって話だ。ノートなんて、理解を深めるためだけのメモだからな? 授業を聞かないと」

「はあ?」


 そして、今度はイラだったような声を上げ、万願寺はしばらく呆然としていた。


「最円くんってさ……モテないでしょ?」


 やがて、今の俺にとって一番キツイ言葉を発した万願寺。


「……今、それ関係あるか?」

「普通さ、ありがとうくらい言わない? なんで、そんなこと言っちゃうの?」

「役にたってないのに感謝するのは違うと思うが」

「そうじゃなくてさ、こういうの気持ちの問題じゃない?」

「気持ちって、それただの自己満足だろ」


 そう言った瞬間、彼女の表情が強張った。


 それには、さすがにマズイと感じる。


「……あっそ」


 溢れた言葉は冷めていた。彼女は差し出してきたノートを鞄にしまい、さっさと帰る支度をしてしまう。


「待て」


 その腕を掴むと、怒気を孕んだ瞳で睨みつけられた。


「あー……、俺が言いたいのはだな? ノートだけじゃ意味がないってことだ」

「だから、ノート意味ないんでしょ? 余計なことしちゃってごめんね」

「そういうことじゃない。できるなら授業の内容まで教えてくれってことだ」


 そこまで説明して、万願寺はようやく抵抗をやめた。


 そして、脱力するように大きなため息。


「それなら、そう言ってくれないと分かんないよ」

「言う前にキレただろ」

「あんな事言われたらさ、普通キレるくない?」

「キレるのは、自分のやったことが相手にとって有益だと勝手に決めつけてるからだろ」


 そう言ったら、万願寺はもの言いたげな目を向けたまましばらく黙っていた。


「それは、確かにそうかも……」


 そして、一応納得はしてくれたものの、表情は未だ不服なまま。



 仕方ないな……。



 俺は周囲を見渡し、桜がいないことを確認する。


 そして、


「桜は学校に行ってないんだ」


 そんな話を切り出した。


「なに? 急に……?」

「イジメが原因だったんだ。もう二年近く学校には通ってない」


 万願寺の疑問を無視して話を続けると、彼女は訝しげな視線を俺に送っていた。やがて、諦めたように目を伏せる。


「学校に行ってないのは……なんとなく気づいてたけど」

「話すつもりはなかった。原因はイジメだが、問題は俺にあったからな?」

「最円くんに?」


 それに俺は頷く。


「俺は、勝手に桜の気持ちを推し量っていたんだ。ロクに会話もしないくせに、桜は不自由なく学校生活を楽しんでいると決めつけていた」


 ハッと息を呑む音がした。


「俺は桜を想ってはいるが、そうやってやった事すべてが桜のためになってるなんて思っちゃいない。全部、俺の自己満足なんだよ」


 万願寺は固まったまま何も言わなかった。それは逆にありがたくもあった。慰めて欲しいなんて思っていなかったから。


「誰かのためを想うのなら、最後までそいつの意見をすり合わせるべきだ。それができないのなら、所詮は偽善であることを自覚しなきゃならない。その程度の行為に感謝されて嬉しがるなんて、それこそ酷い話だと思わないか?」


 万願寺の言ったことが理解できないわけじゃなかった。


 何かを施されたのなら、たとえそれが必要のないものだったとしても嬉しがるべきだろう。


 人はそれを社交性と呼んだ。


 だが、俺にはそれができない。その演技に、俺自身が騙されてきたから。そうやって、大切にしなければならないことを見落としてしまったから……。


 だから、万願寺が差し出したノートに手放しで感謝するわけにはいかなかった。



 ……いや、もしかしたら、そうやって拒絶することで、俺は彼女へ伝えようとしているのかもしれない。



 こっそりお金を百江の机に忍ばせたところで、百江は何一つ喜んではいない、と。


「……そっか。なんか、ごめん」

「謝る必要はないだろ。あとは、授業の内容を教えてくれればいいんだから」


 そう言ったら、彼女はどこか気まずそうに頬をかく。


「あー……、実はさ、うち授業の内容あんま理解してないんだよね……」


 それにはしばらく言葉を失った。


「お前……やってること結構ヤバいぞ?」

「やばいかな?」


 小首を傾げた万願寺に、俺はどう説明すべきかをすこし悩む。


「控えめにいってヤバいな。それでお前のテストの点が悪かったら、結局俺が負い目を感じることになるだろ」

「負い目、か……でもさ、普通そんなの感じなくない?」

「お前の普通を俺に押しつけんな」


 万願寺が度々口にする普通。そんなのは、彼女が勝手に作りだした妄想に過ぎない。しかし、それが前提にあるからこそ、万願寺は周囲の人間を無視してしまうのだろう。


「最円くんはさ、なんか優しいね」

「やめてくれ。俺はその言葉が一番嫌いだ」


 優しいと評されることに、俺は嫌悪感を覚えてしまう。


 仮に俺が優しい人間であったのなら、きっと桜がイジメられていたことに気づいていたはずだ。


 だが、そんなことはなく、桜はある日突然限界を迎えた。


 イジメていた奴らを憎む気持ちは当然としてあった。しかし、何も気づかなかった自分に対する憤りのほうがずっと強い。


 俺が優しい人間であるというのなら、それは桜という犠牲があったからに他ならない。


「それでもさ、普通の人とは違うよ」 


 万願寺は静かにそう言って俺を見つめた。その瞳は、まるで“最円薫という人間”に、焦点を合わせるかのように瞳孔を小さくしていく。その様子が、なんとなく怖くなって無理やり視線を外した。


「取りあえず、ノートは借りてもいいか?」

「うん」


 それがたとえ、意味のないものだったとしても、俺のためにやってくれた好意は受け取るべきだろう。


「ありがとな」


 そして、その好意には感謝をすべきだ。


「それ早く言えば良かったのに」

「いや、だから――」

「分かってる」


 面倒な説明が必要かと思ったが、万願寺はそれを遮った。


「うちの為じゃなくてさ、最円くんのために言ってるんだよ」


 彼女の瞳孔は未だ、小さいまま。


「そんなんじゃ、元のクラスに戻れても、どうせまた追放されるよ」


 そして、いつの間にか、声音すらも平坦で低くなっていた。 

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