第5話 選択肢の誘導
マルチ商法でも宗教勧誘でも、危ないのは物理的に退路を絶たれることだ。
どんな相手だろうと、逃げ場のない場所に閉じ込めさえすれば、契約まではするしかなくなる。
たとえば建物内の上階層、鍵のかかった部屋、山奥の別荘。契約するかどうかの意思なんて関係なく、諦めさせて契約までこぎつけること自体が彼らの目的。
そしてそれは、ナンパやイジメですら同じ手段を取ることがある。
「車なんかに乗ってたら、為すすべなしだな……」
俺は店の周囲にある駐車場を見て回っていた。
万願寺の向かいに座っていた男を思いだしてみると、免許を持っていてもおかしくなかった気がする。
もちろん、彼が善良なナンパ師である可能性は否定できない。むしろ、万願寺に騙されて怪しげな宗教の建物に向かってしまった純情な人間かもしれない。
しかし、万願寺の口から出てくる言葉はあまりにも怪しいとされている
普通の人なら、すぐにヤバいと気づいて離れるだろう。それくらい万願寺は、怪しげな定型文を並べていたはずだ。
まるで、「自分は怪しい宗教勧誘者です」と自ら触れ回っているかのように――。
いや、まさかな……?
不意にありえない可能性を想像してしまい、すぐに頭からかき消す。なにはともあれ、今の俺にできることなんて限られている。
それは、さっきの店の付近で、人目につかない場所をしらみ潰しに見て回ることのみ。
もしも何かが起きるとしても、そう遠くまでは行けないはずだ。そうなったら場合、いくら万願寺でも逃げようとするはず。二人が向かったとされる目的地は、彼女の案内によってのみ到着するところだから、男が不審な動きを起こすとしたら絶対に早めだろう。
まあ、あくまでも可能性のはなし。
それが、ただの杞憂であることを俺は願った。
のだが、
「――宗哲高校って真面目な子しかいないと思ってたけど、キミみたいな子もいるんだねー」
「今どき変な宗教なんてやめたほうが絶対いいって!!」
“宗哲高校”という単語が聞こえて立ち止まったのは、大通りから一本外れた狭い路地。市街地の再整備がまだまだ進んでいない仄暗い場所で、先程の男を見つける。
しかも、そこには男が一人増えていた。
「あの、じゃあ……お兄さんたちも一緒に行きませんか……?」
そして、たくましくもその男すら勧誘しているのは、彼らに囲まれた万願寺優。
ただ、その声はどこか頼りなくて、明らかに震えていた。
あいつ、何やってんだ……。
「そんなに洗脳されちゃってるの逆に面白いねー」
増えたもう1人の男は色黒で、派手な金髪と耳のピアスが薄暗い路地でも目立っている。顔にはサングラスをかけており、見るからに前時代的チンピラを模したような風貌だった。
「ごめんね? 実は今から予定があって、キミが教えてくれるっていう組織の所には行けそうにないんだ。今度必ず行くからさ、取り敢えず連絡先だけでも教えてくれないかな?」
万願寺と一緒にいたイケメンがそう言って、スマートフォンを取りだした。
どうやら、イケメンとチンピラは互いに顔見知りのようだが、彼らが偶然
そういうことか……。
イケメンとチンピラは、一見すると一緒にいるような同類には到底思えなかった。外見だけで人を判断するのはあまり褒められたことじゃないが、同じ穴のムジナというのは、やはり同じ地位に居なければ不自然に感じてしまうもの。ファーストフード店の隅っこの席を、無意識に選んで座っていた俺と益田が良い例。類は友を呼ぶというが、同じ地位にある者は自然と同じ場所に集ってしまうものだ。あれ? なんか……悲しくなってきたぞ?
ともあれ、そこから考えるに、彼らは単なるオトモダチじゃない可能性が高い。
彼らには最初から役割があったのだろう。
声をかけるナンパ役と、その後に合流して脅すコワモテ役。一種の
「わ、わかりました……」
万願寺は、そんな彼らの言う通り、自らスマートフォンを取りだしてしまう。
「それとさ、次は車で迎えに行ってあげるから家の住所も教えてよ」
親切を装って付け加えてきたイケメンの申し出に、彼女の手がピタリと止まった。
万願寺はおそるおそる二人を見上げる。その口からでてきたのは、誤魔化すような空笑い。
「ははは……それは、ちょっと……」
「いーじゃん、教えてよ。ね?」
やんわり拒否を示した彼女に、チンピラが軽いテンション感で圧をかけた。
それに彼女はまた笑う。笑うしかないのだろう。
そのうえで、男たちは優しい顔をして万願寺に選択を迫った。
A おとなしく教える。
B それでも断る。
――ただし、Bは選択肢にないものとする。
「教えてくれたら今日は帰っていいから」
さらに、Aを選んだときに得られる交換条件まで提示された。もちろん、そんなのは交換条件でもなんでもない。
「あー……、わかり……ました」
しかし、万願寺はそれに承諾してしまった。
おそらく、考えることをやめてしまったんだろう。人はそれが危険だとわかっていても、他に取れる手段がないと気づいたとき、思考を放棄して諦めるしかなくなる。「はやくこの場から解放されたい」という現実逃避がそうさせてしまうのかもしれない。
そんな胸くそ悪い光景に、俺は拳をつよく握りしめていた。
「ありがとー。あと前にさ、嘘の住所教えられたことがあって、めっちゃ疑心暗鬼になってるから一応学生証で確認させてよ」
「あ……はい」
もはや、それをナンパと分類するにはあまりにも一線を超えていた。そんなことが許される世界ではないし、もはや時代ですらない。
そもそも、二対一なんてのも卑怯だと思う。しかも場所が人通りの少ない路地。
どんなにおどけてみせたところで、そんなのは怖いに決まっていた。
俺は、その場でスマートフォンを取りだして顔の前までかかげる。
彼らには……その怖さを思い知ってもらわなければならない。
カメラ機能から動画モードを設定し、画面内にある動画開始ボタンをタップする。
――ピッ。
路地が薄暗いせいか、自動でフラッシュライトが三人を照らした。
「……あ? お前、なに撮ってんだよ」
気づいたチンピラがこっちを向いてすぐさま威圧的な声をだした。イケメンのほうも、眩しそうに眉根を寄せてこちらを向く。その様子はバッチリ撮れている。
画角には、二人の間で驚いた表情の万願寺もよく写っていた。
「めずらしい光景だからSNSに投稿しようと思って。バズりますかね? これ」
「……はぁ?」
彼らは顔を見合わせたあと、なおも唖然とした表情をこちらに向けた。
どうやら、状況を理解できていないらしい。
「動画タイトルは『二人がかりで女の子をナンパする男たち』なんてどうですか?」
「何言ってんだ。いいから、やめろよ」
チンピラが一歩近づいてきたので俺は後ずさる。
手を伸ばされても届かない距離は、被写体たちを画角内に完璧に収めていた。
「こういう動画ってコメントすぐつくし、拡散されやすいんですよ。ネットって正義のヒーローがたくさんいるので」
「知ってるかい? 勝手に撮るのは犯罪だよ?」
イケメンが落ち着いた声で笑いかけてきた。悔しいが動画写りもいい。
「俺が今撮ってる光景も犯罪だと思いますけど」
「犯罪じゃねーよ」
チンピラがまた近づいてきたので一歩さがった。
「じゃあ、犯罪かどうかは投稿してみて、ネットの人たちに判断してもらいますね」
「だから……それが犯罪だって言ってんだろ!」
業を煮やされたチンピラがとうとう怒号を飛ばす。
それでも、俺は動画を撮り続けた。
「編集とかできないんで、顔とかそのまま晒しちゃいますね」
もちろん、SNSに投稿する気なんてさらさらない。
だが、彼らはそうは思わないだろう。いきなり現れた俺がどんな人間かわからないから、本当に投稿される可能性を考えてしまうはず。現に、そんな事例は腐るほどあった。
そして、投稿された未来を彼らは想像するに違いない。
拡散、炎上、顔バレ、社会的地位の喪失。現代人にとって、それはあまりにも簡単な連想ゲームだ。
無論、無断で投稿したら訴えられるかもしれない。しかし、動画の内容を考えれば彼らより傷は浅いだろう。
自分にとって有利な環境で、多勢によって逃げ道を塞ぐ。
やっていることは彼らと同じ。
ただ、向こうは二人なのに対し、こちらは不特定多数というだけ。
それが分かっているからこそ、彼らの表情には焦りが滲んだ。こんなにも繊細な画質で撮れるなんて、スマートフォンのカメラ機能も侮れないな。
彼らには今、二つの選択肢がある。
A 撮影を止めてもらう。
B 投稿を止めてもらう。
――ただし、撮影をやめてもらったとしても、俺が投稿しないとは限らないし、投稿をやめてもらったとしても、本当に投稿しない保証もない。
だから、彼らがとる選択肢なんて実質一つしかなかった。
「お前さあ……いいから撮るのやめろってッッ!」
つまりは、強引にスマートフォンを奪い取ってしまうこと。そうすれば、撮影をやめさせることができ、
……まあ、革新的というよりは短絡的か。
怒鳴りながら迫ってくるチンピラの男は、とてもつまらない回答をしたと思う。なぜなら、それを俺が予期しないはずがなかったからだ。
襲いかかってくるのなら、せめて二人がかりが正解だった。
そうすれば、その隙に万願寺が逃げられただろうから。
スマートフォンへと伸びてきた手を
妹のおみやげに買った店の紙袋は、迎撃態勢を取ったが故に路地のアスファルトへと落ちてしまう。ああ、もったいない。
「食べ物の恨みは怖いぞ?」
俺はそのまま、彼の空いた土手っ腹に、恨みの籠もった拳を捩じ込んだ。
「がはっ!?」
驚愕とともに吐きだされた悶絶。彼は、あ、あ、と口を開けながらよろめいたあとで、ついには両膝を落としてうずくまってしまった。
そんなチンピラの情けない姿を動画におさめられたところで、俺はようやくスマホをしまう。
「あーあ。これじゃあ、俺が悪者になっちゃうんで投稿は無理ですね」
「は? お前……ふっっざけんなよ!」
仲間がやられて逆上したのか、イケメンも激昂して殴りかかってきた。
しかし、既に不正解を引いた彼らには、どう足掻いても不正解しか残っていない。
……だから、せめて二人がかりが正解だったのに。
イケメンの方はこういったことに慣れていないのだとすぐにわかった。
向かってきたのは、なんの変哲もない勢い任せのただのパンチだったから。
もはや躱す必要すらない。腕よりリーチのある足で、向かってくる彼のお腹に前蹴りを決めるだけ。
「うぐっっ!?」
足裏がみぞおちに深く沈む感覚のあと、彼もまた、うめき声をあげてうずくまってしまう。
逃げるなら今だろう。
「万願寺!」
「……へ?」
名前を呼んだものの、万願寺が返したのはあまりにも気の抜けた声。状況下を理解できていなかったのは、どうやら彼女も同じだったらしい。
馬鹿ばっかりかよ!
仕方なく急いで彼女に駆け寄ると、呆然と立ち尽くすその手を掴まえる。
「走るぞ」
「え、あ……うん」
そうして、うずくまる男たちとは逆の方へと駆けだした。
くそっ、せっかく買ったおみやげが……。
それを拾うことはできたかもしれないが、喧嘩というのは何が起こるかわからない。俺はただ彼らの油断を誘い、奇跡的にそれがうまくいっただけに過ぎない。
一歩間違えば、うずくまっていたのは俺のほうで、万願寺も連れ去られていた可能性は大いにある。
強欲は禁物だ。俺と万願寺の二人を同時攻略しようとした彼らに習おう。
そうやって無我夢中で走っていたら、空を覆っていた分厚い雲からぽつぽつと雨が降りだした。
それでも俺はとにかく走った。握る万願寺の手は、血の気を感じないほどに冷え切っていた。
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