第6話 濡れた女子高生

 傘を持っていたとしても広げる暇なんてなかった。


 雨宿りよりも、男たちから遠ざかることを優先した俺は、降り出した雨によって全身を濡らしてしまう。それは共にいた万願寺も同じで、ようやく一息ついた古い家の軒下で彼女の姿見ると、濡れたまま膝に手をついて息を整えていた。


 濡れた髪が、頬にかけてぺたりと張り付いている。


「うちで温まっていくか? 一応、妹はいるが」


 無我夢中で走ったとはいえ、無茶苦茶に走ったわけじゃなかった。


 そこは自宅マンションからほど近い場所。


 家に誘ったのは純粋な親切心だったものの、変な邪推をされてしまうかもしれないことを懸念し「俺一人じゃないですよ」と、妹の存在を示唆しておく。


 顔をあげた万願寺は、乱れた息のまま俺を見つめ、すぐには返事をしなかった。それが、行きたくないからなのか、申し訳なくて行けないからなのかの意が分からず、結局、返事を待たずに俺は背を向けてしまう。


「あまり分別なく勧誘するなよ」


 それだけ言い残して軒下から出ようとした。

 


 が、今度は俺の腕が掴まれてしまう。……なんだ?



「あー……、ありがとう。つかさ……なんで助けてくれたの?」


 お礼を言われたあと、濡れて張り付いた髪を耳にかき上けながら訊いてきた万願寺。落ち着きない視線は、掴んだ腕の辺りでうろうろしていた。


「助けてほしそうな目で見てただろ」


 それは、店で偶然視線があったとき。


「そ、そうだったんだ」


 そうだったんだ、って。


 まるで、他人事みたいな反応。


「違ったか?」

「いや……合ってた。あの人さ、全然離れてくんなかったから」


 その言葉で確信してしまう。

 


 やはり、万願寺はわざと宗教勧誘をしていたらしい。

 


「別に俺じゃなくても助けようとしたんじゃないか? あそこに居合わせたのがたまたま俺だったってだけで」

「そう、かな? でも、向こうは二人もいたのに来てくれたのは凄いなって、思った」

「俺は最初無視しようとしたからな。早いやつは店にいた時点で助けたはずだ」

「……そか」

「……」


 話が続かん。にも関わらず、万願寺は掴んだ腕を離そうとしない。


 そうしているうちに、彼女がクシュンと小さなくしゃみをした。


「……別に何もしないからあがっていけよ。それとも家は近いのか?」

「遠い、かな」

「降ってるからすこし走るぞ」


 そう言うと、彼女はコクリと頷きようやく腕を解放してくれた。そのまま軒下を出て、雨宿りできる場所を転々としながら自宅マンションへ向かう。


 万願寺はその後を付いてきた。

 


「――暗証番号があるマンションって、うち初めてかも」


 マンションに到着すると、万願寺は十階以上あるマンションの先端を見上げながら「ほえー」とそんな感想を呟いた。


 その挙動は、上京したての田舎者を彷彿とさせる。なんか騙されやすそう。


「うち濡れてるけどさ、このまま入っても怒られないかな?」


 そして、ダメ押しの田舎者っぽい質問。


「いや、濡れてるから呼んだんだが……」

「そ、そっか! 制服を乾かすって話だったもんね!」

「ああ……」


 万願寺の噂は、本人の言動によるところが大きいのだろうが、何となく遊んでそうな雰囲気も影響しているように思う。だが、よくよく見てみれば彼女は高価なものなど何一つ身につけていない。それどころか、制服やカバンが濡れてしまっているこの状況でも、何一つ気にしていなかった。


 まあ、あんな状況のあとだから濡れてることに気が回らないだけかもしれないが。



 ともあれ、彼女を部屋にあげるのなら、俺にはやらなければならないことが一つあった。


「少しここで待っててくれないか?」

「わかった」


 エレベーターで自宅がある階まであがってから万願寺を通路で待たせる。それから、鞄から鍵を取り出すと我が家の扉を開けた。


「ただいま」


 ガランとした室内に向けて呼びかけるように帰宅を告げる。


 それに対して無反応が続いたものの、しばらくしてから聞き慣れた足音がパタパタと聞こえてきた。


 その足音は、視界に見える廊下付近で止まり、その正体がひょっこりと頭をだす。


 プラチナブロンドの髪が廊下で揺れた。


「お、お兄ちゃんおかえり!」


 最円桜。世界で一番かわいい我が妹。


 フィンランド出身である母から受け継いだその相貌は、今日も今日とて人形のように整っていた。見つめてくる瞳の色彩は深海を彷彿とさせるブルー。俺も目の色だけは母親から受け継いでいるものの、桜ほど水深は深くない。


 そのせいか、昔から似てない兄妹だと言われてきた。


「いひひ!」


 桜は引きつった笑みを俺に浮かべた。こういうときは、決まって俺の顔色を窺っている合図。そんな桜の頭を撫でてやると、ぎこちない笑い声はふにゃふにゃとした柔らかさに変わる。


 そのありさまはまるで天使のよう。背中に羽が生えていないか確認するレベル。


 そんな錯覚に陥ってしまうのは、桜が修道服のコスプレをしているせいかもしれない。桜の趣味というわけじゃなかった。もちろん、俺の趣味でもない。


 それは、桜にとって制服のような意味合いを持つ。

 

 学校に行くとき俺がブレザーに着替えるように、会社へ出勤するサラリーマンがスーツに着替えるように、毎日桜は修道服のコスプレに着替える。



 桜は学校に行っていなかった。



「桜、クラスメイトをあげてもいいか?」

「……えっ」

「雨に濡れたから乾くまでだ。その間、桜は部屋にいてくれていいから」

「い、いひひ!」


 桜はあからさまに動揺したものの、最後にはぎこちなく笑ってパタパタと部屋に戻ってしまった。


 どうやら、OKらしい。


 遠くで部屋の扉が閉まる音を聞いた俺は玄関を開ける。


 万願寺はすこし離れた場所で壁に寄りかかっていた。ポタポタとスカートの端から水滴が落ちて水たまりをつくっている。


「あがっていいぞ」

「あ、うん」


 家には、家族以外を入れたことはない。奇しくも、彼女がこの家に遊びに来た友達第一号となってしまった。


 まあ、友達じゃないんだけど。

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