神様を殺す日

千哉 祐司

第1話

 僕には神様がいた、ほかの誰でもない僕だけの神様。

 その神様は僕より一つ年上で誰よりも傲岸不遜な態度なくせに誰よりも繊細で弱い人だった。

 彼女の一言一言が僕の心を打ちぬき、脳へといとも容易く侵入していった。彼女の仕草一つ一つが僕の眼をくぎ付けにして動けなくした。

 僕は彼女の敬虔な信徒で信奉者だった。いずれ僕の為ではなく彼女の為だけに生きるようになるはずだった。

 しかし僕は神様を殺した。僕が僕であるためには彼女を殺すしかないと思ったから。

 段々気温が上がっていく春の終わりの放課後、僕たちがいつも二人で集まっていた教室で僕は彼女を殺した、僕らが逃げ隠れたカタコンベのような教室で尊い神様は動かない死体になってしまった。

彼女の緩やかに動かなくなっていくあの感覚が呪いのように手のひらに消えずに残っている。


 死はね永遠と同義なんだ

 カーテン越しに彼女が一言呟いて振り向いた、

 「永遠ですか?」

 だって死んだらもう変わることないんだよ

 「でもそれって悲しくないですか?」

 そんなことないよ

 ローファーの固い音が少しずつ近づいてくる。カツ、カツと軽快な音が少しずつ寄ってくると同時に言い表せない気持ち悪さが足元から這い上がってきた。

 どんなに悪いことをしても、いい事をしても死んだらそこで感謝も罪悪感も消せなくなって心を蝕むんだよ。

 だからね、私は永遠になりたいの。

 そう言った彼女の顔は笑っているようにも泣いているようにも見えた。

 僕はその顔を見ると何も言えなくなってしまった。

 だから私はみんなの頭に消えないくらい強烈に死にたいの。

 「死にたいだなんて、そんなこと言わないでください」

 僕がなんとか絞り出したのはどこのでもある酷く安っぽい陳腐なセリフだった。

 皆の中で生き続けるってとても陳腐で素敵でしょ。

 何か言おうとしてももう僕の口からは言葉は出てこない、出てくるのは無力感と後悔だけ。

 彼女はそんな僕を見て一言呟く。

 死んで永遠になるの


 チャイムの音で目を覚ました。

 何かひどい夢を見た気がしたが内容をはっきりとは思い出せなかった。

 「おい顔色悪いけど大丈夫か?」

 「昨日徹夜したからかな、まあ寝てすっきりしたよ」

 「その割には悲しそうな顔してるぞ」

 「え?」

 確認するように顔をなぞる目の周りに薄っすらと湿っぽさが残っていた。

 「なんだろうな、変な夢でも見たのかな」

 それを聞いて興味を失ったのかフーンと気のない返事をしてかばんをまさぐり始めた。

 「それよりさっさと飯食おうぜ」

 「今日は違うところで食うから他の奴と食ってくれ」

 それだけ言ってカバンごと持って教室から出て何時もの空き教室へ向かう。


 生徒がよく使う本棟から少し離れたところに立つ旧校舎の二階の一室を僕らの集会所として使っていた。

 少し硬くなった引き戸を開けると埃っぽさが残った空気が鼻につく。

 「ごめんなさい、少し遅れました」

 いつもの癖でそうつぶやく言葉に返す声も無くどこにもなく寂しく響いて消えていく。

 向かい合っている二つの机、少しガタガタする机を僕の定位置にしていた。

 一人で黙々と弁当を頬張る、五分もしない内に食べ終わってしまった。

 「永遠か」

 死んでしまう前に何をおもったのだろう、なぜあんなことをしてしまったのだろうか。

 頭に浮かぶのは彼女の事ばかり。寂しさだったり、罪悪感だったり色んな感情が渦巻いて無い答えを探して彷徨ってしまっている。

 「永遠なんてどこがいいんですか?」

 そう聞いても答えが返ってこないことは分かっている、でも聞かずにはいられなかった。


 キーンコーンカーンコーン

 始業五分前の予鈴がなった、弁当箱とこの部屋に散らかっていたものを乱雑にかばんの中に詰め込んで僕らのカタコンベを後にする。

 「さようなら、ありがとうございました」

 僕がこの部屋に来ることも少なくなっていくだろう、そんな考えが僕の中に呆然と広がっていった。

 いずれ先輩との記憶も風化してこの部屋の埃の一部になるのだろう。

 あの時は若かったとか若気の至りだとか言うようになるのだろう、それがいわゆる大人になるということなのは分かっている、ただそれを悲しいと思ってしまうのは我儘だろうか。

 教室に戻るとクラスメイト達が所狭しとざわついている。

 近くにいたクラスメイトを一人捕まえて話を聞く。

 「どうしてみんなこんなに騒いでるの?」

 「なんでも学校の裏山でこの学校の女子の死体が見つかったらしいんだよ」

 「そう・・なんだ」

 死体というショッキングな単語に驚いてしまった。

 「ちなみに誰か分かってるのか?」

 「なんでも先輩だって聞いたが名前までは分かってないって聞いたぞ」

 一抹の不安と安堵がないまぜになってため息となって出て行った。

 そんなことを言っていると担任の教師が部屋に入ってきた。

 「おーい、今日は先生たち少し用事が入ったからもう帰っていいぞ、気を付けて帰れよ」

 生徒からの質問から逃げるようにそれだけ言ってすぐに引き上げていった。

 半数以上の生徒は興奮冷めやらぬように教室に残って話を続けていた、僕はすぐにかばんを取って帰路に就く。


 「今日なんだか体調悪いからご飯はいいや」

 家に帰るなりそれだけ言って二回の部屋に直行した。

 かばんを粗雑に投げてベットに倒れこむ、幸いなことに眠りにつくまでに時間はそんなにいらなかった。

 目を覚ますと真っ暗でカーテンの隙間から月の光が薄っすらと射し込んできていた。

 スマホを見ると時間は深夜の三時を少し越したあたりを示している。

 微妙な時間に起きたし、少し歩こうかな。

 寝汗をかいたからか言い表しづらい気持ち悪さがあったから家を出る前にシャワーを浴びることにした。不快感をこそぎ落とすように体を洗ったら幾分か気分も持ち直すことに成功して気持ちも切り替えることができた。

 家を出た僕の足は知らず知らずのうちに今話題の裏山まで伸びていた。

 山に入って少し歩いたところであっけなく件を見つけることができた。

 まるで結界を張るかのように張り巡らされた黄色いテープがおぞましいくらいにその場所を誇示していて月明りに照らされた青いビニールテープは神聖さえも携えているかのようだった。

 深夜と言っても幾人かの警官が巡回しているようで懐中電灯のライトが近づいてくるのを察知して僕はその場を逃げるように後にした。

 帰り道も家についても頭にはあの森の光景がぐるぐると頭の中を回り続けていた。


 教室は昨日と変わらずざわついてクラスメイト達が所かまわずに噂話を語っている。

 「あの人援交してたらしいよ」

 「えー、私は美人局って聞いたよ」

 「私もそれ聞いた!なんでもそれでヤクザの人から恨みかったんでしょ」

 誰かが口を開けばまた誰かが違う噂話を口に出す。

 気持ち悪い、際限なく広がっていく噂話が人の悪意が気持ち悪い。

 ガラガラと建付けの悪い音を出しながら担任が教室に入ってきた、強張っている顔で僕の机の前で止まる。

 「ちょっといいか」

 「はい」

 「進路のことで話があるから職員室に来なさい」

 「分かりました」

 進路調査の紙を一昨日に配ったばっかだっていうのに何の話があるのだろうか。

 「他の皆は自習しときなさい。行くぞ」

 「はい」

 担任と二人連れだって廊下を歩きついたのは職員室から数部屋隣の校長室だった。

 「失礼します、彼を連れてきました」

 教師は数回ノックした。

 「入ってくれ」

 朝会なのでよく聞いた声ではなくもう少し若く硬めの声が帰ってきた。

 扉の先には二人のスーツを着た男の人がいた、一人が来客用の椅子に座って、もう一人が扉のすぐ横に立っていた。

 立ち尽くしているとソファーに座っている男が口を開いた。

 「刑事をやっている、今日は森で死体が見つかったことで聞き込みにきてね、まあ座ってくれ」

 何も抵抗すもすること無く指さされた刑事の対面のソファーに腰を掛ける。

 「率直に言うが君がこの間森の中で死体で見つかった少女に関係していると思っている」

 「はい」

 「何か知っているか?」

 「僕が殺しました」

 「そうか」

 刑事はそう言って一つ深いため息をついた。

 そのまま二人とも何も言うことなく時間が過ぎていく、カチカチと掛け時計の秒針だけが音を立てている。

 長いようで短い時間が過ぎたころに刑事がおもむろに胸ポケットから封筒を二つ取り出して机の上に置く。

 「その女子の家から遺書が見つかった」

 「遺書・・」

 「一通は普通の遺書だが」

 そこで区切りをつけて自分のほうに一通の封筒を滑らしてきた、そこには僕の名前が彼女の少し可愛らしい文字で書かれていた。

 「もう一通は君あてだ」

 微動だにしないのを何か勘違いしたのか僕に直接渡してきた。

 「どうした?君あてなのだから見てもいいんだぞ」

 「あ、はい。ありがとうございます」

 封筒を受け取ったはいいものの開け口に指を掛けることができなかった。

 「この遺書に書いていることは大きく分けて二つだ」

 遺書と書かれた封筒から紙を取り出してから読み上げ始める。

 「簡単に言って一つは殺人ではなく自殺であること、もう一つは死体を君に運搬してもらったということだ」

 「違う!僕が殺したんだ、この手で首を絞めたんです。僕が、僕が殺したんです」

 「知り合いが死んだんだショックを受けるのは分かるが君がすべてを背負わなくてもいいんだよ」

 刑事さんは優しかった、多分僕の明るい未来だとかそんなものを心配しているのが伝わってきた。ただその優しさが僕にとってはちっとも優しくなかった。

 「その痛みも時間が解決してくれるさ、だから今日は帰ってゆっくり休みなさい」

 純度百パーセントの優しい言葉、ただその優しさでは僕の心の傷は癒えるどころか亀裂を増すばかりだった。

 僕が欲しかったのは優しい言葉ではなく叱責だったのだろう、優しさの欠片も無い言葉で僕のぐちゃぐちゃの心を粉々にしてほしいだなんてみっともないエゴだろう。




 校長室を出るとそのままの足で僕たちの教室へ向かった。

 最後に見なかったらもう彼女の言葉を知ることはできない、そんな強迫観念が僕の手を開け口に手を掛けさせた。

 中には一枚だけA4用紙が折りたたんで入っていて、そこには僕の名前が女の子にしては角ばった丁寧な字で僕の名前が書いていた。

 震える手で開く。


 『親愛なるあなたへ

  あなたに会えたことは私の人生で一番の幸運でした

  君が呟いた言葉一つで私は何度も救われた

  最後にあんな事を頼んでごめんなさい、でももし君が嫌がってしなくても別にいいんだ

  昔君に言った通り私は永遠になりたい

  私は永遠になりたかった、他の誰でもない君の永遠に

  君がこれを読んでいるなら多分私は永遠になれたんだ、だから君は生きて、生きて私の永遠を続けてくれ

  だから長生きしてくれないか、そして私たちの嫌いな将来とか夢とかの延長線上で、私のことを振り返って酒の肴にでもしてください。 君の神様より』


 彼女はいつだって僕のことをお見通しなんだろう。

 あの日僕が教室に入ったときには彼女はもう亡くなっていた、残されていたのはロープと書き時一つ、書かれていたのは屋上から投げ捨ててくれ、そんな一言だけ。

 屋上から下を見たら彼女だった物から手を離すことなんてできなくなっていた。

 もしここから手を離したら、彼女だったものは見るも無残になるのは分かり切っていた、それこそ皆の記憶に強烈に傷を刻み込むのは明白だった。

 ただ僕は彼女がそんな形で永遠になるのが嫌だった、そんな醜い我儘で僕は神様だったものを見つかりやすいたただの森に置いた。

 彼女はいつだって僕のことをお見通しなんだろう、僕があの日逃げたのも、今日カバンの中に入っているロープも彼女は最初から分かっていたのだろう。

 あの日僕の彼女は確かに死んでしまって、僕はこれからも生きていかなくちゃいけない。

 将来だとか期待だとかの抑圧から逃げ込んだこの小さな教室で彼女は死んでしまった、彼女は永遠になった、みんなの記憶に、そして僕の心に永遠と刻まれていくのだろう。

 もう彼女は僕に言葉をくれないし、僕に答えをくれることはもう無い。

 あの刑事さんが言ったようにいつかこの出来事も、この悲しさも消えてなくなってしまうのだろうか、若いころの思い出だと言って酒の肴に成り下がってしまうのだろうか、僕はそれがなんだか悲しくて許せなかった。

 この先の将来とか希望とか何一つ分からないけど、ただ一つだけ言えるのは僕の神様は永遠になったのだ、だから僕が神様を殺す日は永遠にこない。

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神様を殺す日 千哉 祐司 @senya_yuji

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