ちょうどいい関係
「えっ、ちょっ!? スタン!? アンタ大丈夫なの?」
「うっ…………」
慌てて駆け寄るアイシャに、スタンがうめき声を漏らす。
「み、水…………」
「水? 水ね? ミミズじゃないわね!?」
「馬鹿を……言うな…………」
「朝起きたら干からびてる人の欲しがるもんなんてわかんないのよ! すぐ持ってくるから待ってなさい! おかみさーん!」
大声を上げながら部屋を飛び出したアイシャが、すぐにコップに水を入れてもってくる。が、スタンの顔は仮面に覆われており、どうしていいのかわからない。
「ねえこれ、どうすればいいの? 脱がしていいの?」
「だ、駄目だ……昨日の……口を…………」
「昨日? ああ、こういうこと?」
昨夜の食事の時の事を思い出し、アイシャは仮面の口元に手を伸ばすと、色々と触ったり力を込めたりしてみる。すると口元がカシャッと開き、アイシャはそこにカップの水を注ぎ込んだ。
「んぐっ……んぐっ……」
「飲めてるの!? ねえこれ、飲めてるの!? 飲んでるっぽいからいいのよね?」
ひたすら戸惑うアイシャだったが、カップの水を注ぎ続けるとスタンの手足がみるみる瑞々しさを取り戻していき……不意にそこから水が噴き出すと、飛び起きたスタンの手がアイシャの手を掴んだ。
「んぐっ……むごごごご!? ふがっ!?」
「きゃっ!?」
「溺れるわ馬鹿者が! 加減というものを考えぬか!」
「な、何よその言い方! アンタが水が欲しいっていうから、慌てて飲ませてあげたのに!」
「……ああ、うむ。そうだな。助かった……感謝するぞアイシャよ。だが助かったと同時に溺れ死にそうになった余の気持ちもわかってもらえぬだろうか?」
「それは……うん。悪かったわよ。ってか、アンタ一体どうしたの?」
感謝と謝罪と言い訳を絶妙に組み合わせた声を出すスタンに、アイシャもまた一応謝りつつ問う。するとスタンは再びベッドに横になりながら話を続けた。
「うむ。実は余の持っているファラオの秘宝に、ソウルパワーの充填を行っていたのだ」
「ソウルパワーの充填? それってピラミダーとかいうのがなかったらできないんじゃなかったの?」
「まともに運用するような量を充填するのは無理だ。が、どうしても必要な最低限くらいならどうにかなるかと思ってな。余の魂から直接ソウルパワーを抽出していたのだ」
「ええっ!? 魂からって、それ大丈夫……じゃないわよね、干からびてたんだし。何でそんな無茶したのよ!?」
「……昨日の訓練というか、模擬戦だ」
問い詰めるアイシャに、スタンがやや沈んだ声を出す。
「あれで思い知ったのだ。戦えぬとは言わぬが、今の余に大した力はない。いざという時にはどうしても、ファラオの秘宝に頼ることになるだろう」
「それは……でも、ドーハンさんはD級くらいまでなら十分やっていける実力だって言ってたじゃない!」
「D級というのは、つまり平均よりやや下と言うことであろう? 比較的安全な場所で我が身を守れる程度の実力では、強いとはとても言えまい。
対して脅威というのは、いつ何時どんな形で襲いかかってくるかわからぬ。無論余とてまだまだ成長の余地はあるだろうが、脅威がそれを待ってくれるはずもないしな。
情報が手に入ればすぐにでもサンプーン王国へと向かおうとも思っておるし、その旅路を考えれば早急に力を取り戻す必要があったのだ」
「だからって、あんな無茶したらそれこそ本末転倒でしょ!? アタシがいなかったら、アンタ死んでたんじゃないの!?」
「いや、余もそんなつもりはなかったのだ。単に楽な姿勢で充填していただけなのだが……どうも思ったより疲れが溜まっていたようでな。回線の接続を切る前に、うっかりそのまま寝てしまったようなのだ。ハッハッハ、失敗失敗」
「うっかりって、アンタねぇ……」
再び上半身を起こし、仮面を揺らして笑うスタンに、アイシャは思い切り頭を抱える。確かに人が死ぬ要因としては「うっかり」はかなり上位に来ると思うが、それが自分の目の前で起きていたとなると、とても笑える気分ではなかった。
「誤解の無いように言っておくが、この仮面には生命維持機能もついているのだ。なので今回の場合なら、最悪でも三日ほど昏睡するだけで済んだのだぞ?」
「済んだのだぞじゃないわよ! 三日昏睡って、全然無事じゃないじゃない! あーもう、決めたわ!」
「ん? 決めた? 何をだ?」
「お礼よ! アンタからもらうお礼! ドーハンさんがもらい損ねたお礼を、アタシがもらうわ!」
「? どういう意味だ?」
カクッと仮面を傾けるスタンに、アイシャがズビシッと指を突きつけて言う。
「アンタについていくのよ! アンタってちょっと目を離すとすぐ死にそうだし、それを見捨てたらこう……寝覚めが悪いじゃない!」
「ぬあっ!? 余に対するその評価は不敬ではないか!?」
「たった今干からびかけてた奴が何言ってんのよ!」
「ぐぬぬぬぬ……」
反論を秒で封じられ、スタンが悔しげに唸る。するとそんなスタンに、アイシャが表情を和らげながら改めて声をかけた。
「いいじゃない。アタシはアンタに助けられた。そしてアタシはアンタを助けた。アンタはファラオなんて凄い立場でアタシはただの一般人だけど、今のアンタは常識すらおぼつかないE級冒険者で、アタシは同じE級だけど、アンタより世の中のことをよく知ってる先輩。ほら、なかなかいいバランスだと思わない?」
「……まあ、うむ。やや不本意ではあるが、強く否定はできんな」
「何よ、照れてるの?」
「照れているわけではない!」
「ならいいじゃない! それとも……アタシと一緒じゃ不安? ドーハンさんみたいな上級冒険者じゃないと、ファラオのアンタには釣り合わない?」
「それは……」
少しだけ寂しそうに微笑むアイシャに、スタンは思わず言葉を失う。
アイシャとドーハン、どちらが優秀かと問われれば、誰もがドーハンだと答えるだろう。本気を見たわけではないが、スタンの見立てではドーハンは宮殿を護る戦士として十分通じるであろう実力があると感じている。
対してアイシャはどうかと言えば、おそらく自分がファラオの秘宝を使わずとも倒せたであろう悪漢相手に襲われ、負けた程度の実力だ。確かに自分より常識に詳しいなどの点は認めるが、それはドーハンであろうとも同じ……というか、それすらも経験と実績のあるドーハンの方が上であろう。だが……
「いや、そんなことはない。確かに同行者として優秀なのはドーハンだろうが……純粋に共に旅をしたいと思うのは、そちの方だ」
その選択に、合理的な判断はない。ただ何となく……本当に何となく、離れがたいとまでは言わずとも、ここで別れてしまうのは名残惜しいという気持ちがスタンのなかに生じていた。
そんなスタン自身すら自覚していない気持ちを耳にして、アイシャがニヤリと意地の悪そうな笑みを浮かべる。
「えっ!? 何それ、ひょっとして口説いてるの?」
「そんなわけなかろう! そもそも余には婚約者がおる! そちのような小娘などに懸想するはずが……ぬおっ!?」
「ええっ!? アンタ、婚約とかしてるの? 何なに、相手はどんな人?」
「何故そんなに興味を示すのだ!? 余の婚約者のことなど、そちには関係あるまい?」
「関係あるかないかが関係ないのよ! 女の子なら誰だって恋バナに興味があるに決まってるじゃない! で、どういう子なの? あ、ファラオって王様……まさかアンタ、ハーレムとか作ってないでしょうね!?」
「ええいうるさいうるさい! 今の話は全部無しだ! 余はもう起きるぞ!」
「あっ、こら! 待ちなさいよー!」
慌ただしくベッドから飛び起きると、スタンはさっさと部屋を出て行こうとする。だがそんなスタンにアイシャが追いすがり、宿の女将の生暖かい視線を受けながら、二人は並んで外へと出て行く。
「ねーねースタン。教えてよー!」
「近寄るな! 余は朝食を取りにいくのだ!」
「へー。でもアンタ、まだこの国のお金持ってないでしょ? 何処で何が食べられるのかだって知らないんだし。アタシに話を聞かせてくれたら、とっておきのお店で朝食も奢っちゃうわよ?」
「フンッ! 金など金貨を換金すれば……」
「換金できる場所は知ってるの? 言っとくけど、冒険者ギルドは無理よ?」
「ぐぬぬぬぬぬぬぬぬ…………」
「はい、アタシの勝ちね! じゃ、行きましょ!」
悔しげにカタカタと仮面を揺らすスタンの手を引き、アイシャがご機嫌で歩いて行く。切れそうで切れない二人の奇妙な縁は、どうやらまだ続いていくようだった。
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