第79話 光ってるのが未来
なんで”海”なのか分かんない。
だけど、考えゴトしたいとき。
悩み事抱えてるとき。
あたしが向かうのは、いつだってやっぱり海なのだ。
朝早い、日が昇ったばかりの海。
夏の朝は好き。
太陽が強くって、白い砂をキラキラさせる。
うだるような暑さはまだ押し寄せて来ない。
肌に心地よいさわやかな風が吹いている。
一番好きな静かな夏の朝。
人っ子ひとりいない貸し切り状態の砂浜に、遠慮なく寝転がった。
見上げた空は・・・真っ青。
「・・・・どーしよ・・・」
誰にともなく呟く。
考えるまでもなく、空を見上げるときいつも晴のことを思った。
この空のどこかに、たぶん天国に繋がる階段みたいなのがあってそこを延々と登れば、晴やおばさんや死んだじーちゃんたちに会えるのだと心から信じている。
最近ようやく、”寂しい”じゃなくて”大切”だと思うようになった。
あの頃の記憶は、なによりも大切だと。
恋しがるんじゃなく。
これからの自分の生きる糧にしていこうって。
たぶんそういう、気持ちの変化があったから・・・・・こうなったのかもしれない。
もっともっとどんどん幸せになれってことなのだ。
これは、間違いなく。
晴からの、暗示。
俺の分も生きろってことなのだ。
現実から逃げずに。
ちゃんと自分の、自分だけのこの足で。
だから、そうするために必要な最強のアイテムを・・・・・・こうやって用意していた。
深呼吸して胸に手を当てる。
規則正しく動く心臓。
ちゃんと、あたしが生きてるって証。
震える指をゆっくりとさらに下へとずらす。
まったくこれっぽっちも考えてなかった。
まっさらな未来が・・・降ってきた。
「さなえーっ」
めずらしく焦ったような声が斜め後ろから聴こえた。
海岸に下りる堤防の階段の上から
颯太が居なくなった妻の名前を呼んでいる。
・・・・・・あらら・・以外と早かったな・・・・・
家出では無いしこれはただの散歩だ。
それでも、まあ、いまの状況を考えれば彼が焦るのも無理はない。
もしも逆の立場だったら、間違いなく仰天して家を飛び出して来ただろう。
寝そべったままでひらひらと右手を上げて見せたら、少し間があって颯太がいつもの口調で言った。
「・・・そっち行ってもいい?」
その言葉に思わず笑ってしまう。
颯太は、いつもそうだ。
なんで、そんなあたしの気持ち読んでるの?
一緒に暮らしはじめてからずっと。
いきなり胸の中に飛び込むような真似は絶対にしないのだ。
了承を返した早苗の隣りに並んで寝転がって颯太がゆっくり息を吐いた。
朝起きたら、妻が隣りにいなくて焦っただろうに、今の彼はちっともそんな素振り見せない。
見せないように、しているのかもしれない。
冷えた指を握られて、自分の体温の低さに驚いてしまう。
大きく息を吸った。
空を・・・・・・見上げた。
「・・・あのね・・・・」
「うん」
「・・・赤ちゃんできた・・・」
「うん」
「・・うんってあれ?知ってた?」
「検査薬の箱がベッドの下に落ちてた」
「あー・・・テンパっててごめん」
「謝るとこ?」
「・・・謝んないとこ」
早苗の言葉を聞いて、颯太がようやく笑った。
穏やかな笑顔は心底ほっとした時に見せるそれで、ああ心配させてしまったなと反省する。
「俺は・・・素直に嬉しかったよ。やっと・・・早苗と家族になれると思った」
「・・・・・・」
「二人だけじゃ、作って行けないものってあるよ。”夫婦”じゃなくて”家族”になろう。早苗が、大事に出来るものを、もっともっとこれから増やしていこう・・・・早苗とお腹の子供と・・・これから先の未来全部・・・叶わなかった分も。今度こそ俺が守るよ」
晴と描いていた未来なんてない。
あたしは、あの日がただこのまま永遠に続くと思っていたのだ。
だけど。
続いていたら。
生きていたら。
きっと、叶ったであろう当たり前の未来が目の前には、広がっていた。
・・・・・・・・・・
ふたりの身長がちょっとずつ伸びて。
視線の高さに差が出てきて。
違う場所を目指すようになって。
それでも。
最後は一緒の家に帰ろうって。
いつかは、子供を産んで、めいっぱい可愛がって育てて、歳とったらふたりで縁側で日向ぼっこして、約束通り、宇宙旅行に行く。
毎日を過ごすことに全力で、あたしたちに迫ってるすぐ近くの未来なんて、あの頃は少しも考えたことが無かった。
だけど・・・駄目になった、叶わなかったそれも。
颯太は拾ってくれるって。
拾ってくれるんだってさ。
「・・・・っ・・・ありがと・・・」
頬を雨みたいに伝う涙を必死に手の甲で拭う。
胸に浮かんだのは”幸せになんなきゃ”ってこと。
胸を張って、生きなきゃ。
今度こそ。
今度こそ、あたしは、自分の足で歩く。
颯太と、一緒に。
身を起した颯太が、泣きじゃくる早苗の顔を覗き込んできた。
目尻をそっと親指で拭われる。
拭いても、無駄。
だって当分泣きやめそうにない。
少し躊躇うような表情をした彼が不安そうな顔で口を開いた。
「・・・生んでくれる?」
「産むよ!」
1秒だって、一瞬だって迷わなかった。
自分の中で、ちゃんと息してる新しい命が・・・あるのだから。
力いっぱい頷いたら、颯太が泣き笑いのような顔になって、それから、そっと早苗の腕を掴んで引っ張り起こした。
あ・・・ちょっと目ェ回ったかも。
と思ったら、彼の腕の中だった。
「・・・ありがとう・・」
それは間違いなくこっちのセリフだ。
あんな状態の早苗のことを引き受けてここまで一緒に来てくれたのは、他の誰でもない颯太なのに。
忘れないままでもいいよって、そう認めてくれたから。
だから、ここまで来られたんだよ?
「・・・なんで?」
呆然としながら尋ねたら
「・・・嬉しいから」
と呟いて、颯太がきつく早苗を抱きしめた。
「颯太」
「・・・ん?」
「あたし、元気な子産むから・・・いっぱい愛情かけて育てるから・・・」
「うん」
「それで・・・・・その子がおっきくなって独立して、いつか、結婚して・・・孫が生まれて・・・お・・おじいちゃんと・・・おばあちゃんになるまで・・・絶対生きてね。お・・お願いだから・・・死なないで。ひとりで・・・年とるのヤダよ・・」
「うん。分かってる」
颯太はしっかり頷いて、早苗の髪を撫でた。
これから何千回の朝を迎えて、夜を見送ってそうやって、生きていくの。
ゆっくり、ゆっくり。
・・・・・・・・・・
「早苗ー・・・そろそろ冷えてくるから縁側閉めよう。中入りな」
ダイニングで育児雑誌を読みふけっていた颯太が早苗を手招きする。
すっかり大きくなったお腹をひと撫でして秋の夕暮れにお別れを告げる。
この庭で見る夕日が大好きなのに、あっという間に日が沈んでしまうのが寂しい。
古びた板張りの廊下に手をついたらすかさず腕を取られた。
「足元、気をつけて」
「ありがと」
つっかけをポンポン脱ぎ捨てて廊下に上がる。
二人分の身体はどうにも重たくて、愛しくて困る。
台所からは颯太が煮込んでいるシチューの良いにおいがしていた。
いつの間にか部屋の中も片付いている。
早苗がぼんやり日向ぼっこしている間にマメマメしく動いてくれたらしい。
義妹の多恵からきいてはいたけれど、本当にすごい出来た“主夫”だと思う。
「・・・・・そうだ、名前考えたよ」
古い一人がけ椅子に身重の妻を丁重に座らせてから颯太が言った。
「男か女かも見てもらってないのに?」
「どっちでも大丈夫な名前だから」
「・・・なんての?」
じっと彼の顔を見たら、嬉しそうに目を細めて颯太が人差し指を窓の外に向けた。
見えたのは・・・オレンジの夕日と・・
「
「・・・・・・・いい名前だぁ・・・」
「いつも、早苗を見守ってくれてるだろ?」
あたしがいつも見上げてきた空。
あたしをいつも見下ろしてきた空。
いつだって、側にあった。
「・・・・ありがと・・・」
晴れた空の先には、天国がある。
あたしのそばには、これからずっと・・・・・”空”がある。
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