第13話 さよならのあとで

「おっちゃん!晴は?」


ランドセルを背負ったまま飛び込んできた、娘同然の少女にマスターは微笑みかけた。


珍しく今日は別々に帰ってきたらしい。


カウンターに飛びつくようにして問いかけてきた早苗の前に、オレンジジュースを置いてやってから口を開く。


「おかえり。今日は遅かったんだねー。あいつなら、荷物置くなり飛び出して行ったけど。またみんなで野球かな?」


「・・・・・・ごちそうさまっ!野球はお休み中なの」


空になったグラスを押し戻してから、早苗はカウンターに飾られたつい先月までこの世の住人だった彼の美しい妻の写真に視線を送る。


それを目で追って、マスターが静かに目を伏せた。


自分の前ではいつも通り振舞っていた一人息子だけれど、一番仲良しの彼女の前では気丈に出来なかったらしい。


”寂しい”が伝染したような顔を見せる早苗。


けれど、マスターの様子に気づいて慌てて声を明るくする。


「まだ寒いからねっ!キャッチボールならあたしとやってるから!・・・・・・・心配しないで?晴の居場所ならちゃんと知ってるよ」


晴樹までいなくなったら・・・・と、まるでこの世のすべてを恐れるような、そんな臆病な気持ちに一瞬でもなったことを、目の前の少女は見過ごさなかった。


晴樹の寂しいのサインを一番にキャッチして、そして自分の言いようのない空虚感にも気付いてしまったらしい。


子供の方がずっと素直で、純粋なんだな・・・


しゃがみ込んでも、立ち上がる術をこの子たちは知っている。


誰に教えられるでもなく。


いつまでもずっと底辺の世界だけでは生きていけないことを。


薄れて行く気持ちや、忘れて行く切なさ。


それすらも受け入れて生きて行く、人の根源の強い光みたいなものを、体の中で大事に、大事に、育てているから。




ランドセルを置いてさっそく店の外に向かう早苗の背中に声をかける。


この店を1歩出たらそこから先は、晴と早苗だけの、子供の世界。



「・・・外は寒いから。遅くならないように帰っておいで。今日は藤野さんや先生たちも、こっちで御夕飯だからね。宿題、やっとかないとまた大目玉だよ?」


振り向いた早苗がにこりを微笑む。


何があっても、晴樹のことは自分が守ると。


その強い意志が現れたような、強くて、柔らかい微笑みだった。


「行ってきます!!」





☆★☆★






念のため、海沿いのグランドを覗いたけれど、やっぱり晴はいなかった。


カキンといい音でボールを打った大がこちらに気づいて手を振ってくる。


「晴連れて来いよー!!」


「あとでねー!」


初めこそ腫れものに触るようだった幼馴染たちも、最近では晴の扱いを覚えたようだった。


自分から歩み寄ってくるまで、辛抱強く待つこと。


それが、晴を受け入れることへの一番の近道。


ああ見えて、ものすごく繊細なタイプだから。


ズカズカと踏みこんで行ったら、問答無用で締め出されちゃうんだ。


華南と友世いわく”それやって許されるのはあんただけ”だそうだ。



・・・これでも結構色々気を・・・・・使ってないか・・・



おばさんの葬儀の日、あたしと一緒に泣いた晴は、真っ赤になった目であたしを見て笑った。




「・・・ちょっとすっきりした・・・なんで赤ちゃんがみんな泣くのか分かった気がする」



なんでいきなり、そんな人間の神秘みたいな話になるのか??



疑問符が浮かびまくったけれど、それより何より、晴を包み込んでいた、ピリピリした不穏な気配が綺麗に無くなっていたので。そっちの方にホッとしてあたしは頷いた。


ずいぶん長いこと吹雪の中を立ち尽くしていたので、あたしの髪には雪の粒が無数に散っている。


それを晴の意外に暖かい手が払ってくれた。


さらさらと舞う雪は幻想的で、こんな日なのに信じられない位美しい。



「なんだろ・・・雪なのに寒くないや・・」


「・・・・でも、髪冷やっこいよ・・」



あたしの髪に触れて、晴が顔を顰める。


真っ白な世界では時間間隔すら危ぶまれる。


一体いま何時なんだろう?


これから、おばさんを焼いて、骨をノウコツしにいくんだってお母さんが言ってた。


きっと帰るのは夜になるだろうって。


髪に触れた晴の手を握って、あたしは問いかける。


「どっかいく?」


どうするかは、晴が決めればいい。


けれど、煙の消えた煙突を振り返って晴が首を横に振った。


「・・・戻ろう・・母さん送ってあげなきゃ」


言葉に迷うあたしの気持ちに気づいて、晴がちょっと笑ってから、手を握り返した。






・・・・・・・・・・・





数年前から、早期自動化を!と叫ばれているものの我が町の小さな駅には、いまだに駅員さんが立っている。


もう年配の優しいおじさんだ。


夜22時までは有人。その後は無人。


だから、夜遅く空っぽの改札を抜けると、無性に寂しくなるのだと、父ちゃんが言っていた。


晴がここにいることは、なんとなくだけど・・・想像がついていたのだ。



・・・人が、行き交う場所・・だからかもしれない。



決して立ち止まらずに、晴とは全く別の世界を生きている人達。



そこに僅かでも触れることで、ちゃんと動いて、息をして、繰り返す毎日を、晴なりに受け入れようとしているんじゃないかと思うのだ。



・・・ムツカシイ言い方をするのなら。


・・・現実に折り合いをつけようとしているんだ・・




おばさんがいなくても、何一つ変わらなかった無慈悲な世界と。



そして、本当は、そこから動きたくて、でもひとりで動けないことを、あたしは知っているから。


だから、迎えに行かなくちゃ。


たぶん、晴は、あたしにしか、動かせない。


そんな確信があった。


どうしてかって訊かれても、分からないし、答えられない。



でも、強いシグナルみたいのが、あたしの中で光っているのだ。



だから、ちょっとだって迷わなかった。






横断歩道を渡って、古いタバコ屋の前を過ぎて、自転車が乱雑に留められた形だけの駐輪場を抜ける。


観光名所なんて何もありゃしないのに、見栄張って何代か前の自治会長が立てた駅前案内板。


その隣のガードレールに寄りかかって、晴はぼんやりと線路を眺めていた。


待ってる人がホームに降り立つことは無いと、分かりきってる表情で。




駆け足を止めて、一旦立ち止まる。


息を吸って、吐いて、呼吸を整える。




急いで迎えに来たんじゃ無くて・・・・たまたま見つけたんだよ。


よし。



ぐっと拳を握って、


あたしは1歩を踏み出す。




お母さんが買ってくれた、真新しいマフラーのぼんぼんが肩で跳ねた。


耳が痛いツンとした冷たさ。




「はーるー」



いつもの調子で呼びかけると、振り向いた彼があたしを認めて、目元を和ませた。


そうして、可笑しそうに口を開く。


「走って来たの?」


そう言って、どうやら跳ねまくっていたらしいあたしの髪を撫でつける。


・・・そこまで気が回りませんでしたっ・・・


解いたマフラーで髪を押さえこんで、もう一度巻きつける。


ホッと息を吐いたあたし。


「・・・・寒かったからね、走ってみたの」


と、左の頬を遠慮なく引っ張られた。


「早苗嘘つくの下手・・・」


「ひゃんひゃひ・・(なんじゃい)」


ぶすっと脹れっ面で、晴を見返すあたしの視線を受けて、肩をすくめる晴。


「先に帰ったこと怒ってんの?」


「音楽室寄るから先帰っていいって言ったのあたしじゃん。それは怒ってないよ」


「それは・・?」


じゃあ何?と視線で問いかけられて、あたしは唇を尖らせた。


「ココにひとりで来ることないじゃん」


20分も待てばあたしはお店に戻ったし。


そうしたら、一緒に宿題やって、それから遊びに行ったって全然よかったのに。


・・・置いてかれたって思ったんだ。


でも、同時に、しょうがないよな。とも思った。


だけど、それを、キョウジュ出来るほど、藤野早苗は大人では無いので!!!


文句も言わせて貰います。


家族はみんな健在で、近親者の死をほとんど知らないあたし。


だから、晴の気持ち100は分からない。


でも、他の誰より、100に近い場所にいたいのだ。


晴の気持ちを、晴の次に分かるのはあたし。


晴の、気付かない、晴の気持ちも、いつかは解れるようになりたいと思ってる。


並んでガードレールに凭れたままで、晴がポケットからほのかにぬくもりの残っているカイロを取り出した。


それをあたしの手に握らせる。


(っていうか、コレ帰りしなあたしが階段から投げたやつじゃん・・・)


「店帰ったら・・・・母さんの・・・好きな曲が流れたからさぁ・・・」


「うん」


「・・・・ここに来たくなったんだ」


病室で時折口づさんでいた、懐かしい曲を思い出す。


「おばさん、鼻歌なら誰にも負けないのよー!」


そう言って自慢げに笑った優しい人。


「父さんが、食器洗う手を止めて、聞き入ってた」


晴以上に、おばさんとの思い出に溢れているおっちゃんの、記憶の引出しを開けるには、その曲は十分すぎるほどの鍵になったんだろう。


「それで、出てきたんだ?」


「・・・ここに来たらさぁ。誰か、知り合いにでも会うかと思ったんだけど・・・ほら、そろそろ早苗のおっちゃんも帰ってくる時間だし、友世のおばさんも電車通勤だし・・・」


言葉を止めた晴が、小さく笑ってあたしを指さした。


小首を傾げるあたしに向かって続ける。


「でも、予想外に早苗が来た」


そのセリフに呆れてあたしは肩を竦める。


お母さんが酔っ払った父ちゃんの下らないギャグを聞いた時にやる格好。


「・・・・待ってたくせに何ゆってんの」


そう言ってやると、晴は一瞬目を丸くして次に真っ赤になって立ち上がった。


と思ったらしゃがみ込む。


・・・忙しいなぁもう・・・


「・・・・なんでバレてんの・・」


なんだそんなことか・・・


あたしは、晴と視線を合わせるためにしゃがみ込んでから口を開いた。


「んー・・・たぶん、あんたとおんなじ理由」


晴が、あたしの嘘見抜いたみたいに。


あたしも、晴の気持ちはちゃんと分かるんだよ。


交わした視線の先で、晴が泣き笑いみたいな顔をしたから、あたしは晴の髪をくしゃくしゃに撫でた。


父ちゃんに、撫でられると、ホッとするのと同じ。


あたしの手を掴んで晴が呟く。


「子供扱いすんな」


「二十歳までは子供でいいんだってさ。思いっきり親に甘えて、その後立派な大人になれってさ。父ちゃんたちが言ってたよ」


「・・・・立派な大人って・・なんだそれ」


立ち上がった晴に引っ張られるみたいに再びガードレールへ。


駅前に唯一ある、小さな街灯にも明かりがともった。


目の前の自動販売機の青白い明かりが、夕闇に溶けて淡く濁って消える。


風が雲を流していくから、きっと今夜も月が綺麗だ。


こういうとき、ここで生まれて良かったと思う。


晴の小さなサインが埋もれてしまうような、雑多な町に住んで無くて本当に良かったと思う。


ここは、みんな、優しいから。




踏切が鳴り出して、遮断機が下りた。


下りの電車がもうすぐやってくる。


「立派の意味は、父ちゃんに訊いてみよっか」


いつもはこの時間の電車に乗ってるから。


今日もおそらくいつもと同じ、2両目の真ん中のドアから降りてくるはず。


指さしたホームに、


3両編成の各駅停車が滑り込んできた。


帰宅ラッシュの時間と言っても、ここで降りるのはわずか数人程度。


列をなして電車を待つ様子なんて、生まれてこのかた見たことが無い。


「あ・・・おっちゃん降りてきた」


やっぱり2両目から、背広の上に厚手のコートを着た父ちゃんが下りてきた。


改札に立つ駅員さんに定期を見せると同時に、こっちを指さして笑いながら何か言われている。


「よぉチビ共ー!お迎え御苦労!」


片手を上げてこちらにやってくる父ちゃんに向かって、晴の手を引いたまま駆け出す。


スピードは緩めない。


まさに突進と言っていい位の勢いだったのに、さすが父ちゃん(父ちゃんのビール腹!)。


広げた両手でちゃんと、あたしと晴を抱きしめた。


煙草の匂いのする、大きな手で頭を撫でられてあたしと晴は笑う。



駅員さんに手を振って、家に向かって歩きながら、あたしは父ちゃんの腕を引っ張って尋ねた。



「父ちゃんに質問ー!」


「はいどーぞ。早苗ちゃん。ただし!父ちゃん宿題教えらんねーからな!」



自慢げに言われてあたしは、知ってるって!と突っ込む。


お勉強は母ちゃん!が我が家の鉄則だ。


「立派な大人ってどんなんですかー?」


あたしの質問に、父ちゃんは目を細めて笑った。


「・・・自分の幸せを、自分の足で、ちゃんと見つけられる人のことだな。そして、見つけた幸せに隠れてる、悲しいことから逃げないで、向きあえる人のことでもある」


「・・・・それが立派な大人ってこと?じゃあ父さんやおっちゃんは立派な大人?」


晴の言葉に父ちゃんが暗闇の空を仰ぎ見た。


「立派な大人になれるように、頑張ってる大人だなぁ。父ちゃん達が頑張ってるんだから、お前らもへこたれずに努力すること!」


そう言って父ちゃんがあたしと晴の頭を軽く叩いた。





・・・・その本当の意味が分かるのは、ずっとあとになってから。

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