第12話 みおくる

晴の誕生日の次の日、晴の母親は天国へ旅立った。


よく晴れた、風の冷たい冬の始まりだった。


「晴の誕生日までは絶対頑張るって言ってもんなぁ、まどかさん」


喪服で泣き崩れる妻の肩を優しく叩きながら、早苗の父親が苦い顔で言った。


同じ母親として、子供を残して先に逝くことの悔しさを痛いほど感じていたのだろう。


気丈な母がこんなに泣くところは初めて見た。


見た目に反して一番涙もろいのが父親で、子供向けのアニメ映画を見ても号泣する夫にハンカチを差し出すのが、母親の役目だったのに。


最近は臨時休業が続いていたリナリアには、たびたび地元の常連客が顔を出しており、ドアの前にお見舞いのお花やお菓子が届けられていた。


この短い時間の間に、晴も、マスターもすっかりこの土地の人間になっていたのだ。


体調が良い日には、晴の母親が藤野家を訪れて、台所で二人で料理を作る事もあった。


これまで都会のマンション住まいで、ご近所付き合いが希薄だったらしく、母親同士の交流を心から楽しんでいた。


「おばさん・・・・綺麗な、綺麗なお顔だったね」


「そうね、優しいお母さんの顔してたね・・・ほんとに・・・病気が嘘みたいに」


母親がハンカチで目頭を押さえて鼻を啜る。


早苗が手招きされて、側にいくと、母親が涙目になってこちらを見て来た。


「早苗、あんたは強い子だから、晴樹くん元気付けてあげようね」


「うん」


「晴が元気ないときは、いつでも家連れて来い。毎日でもいいぞ」


「うん」


こくんと頷いた早苗の頭を、苦い顔で父親ががしがしと撫でる。


早苗は泣けなかった。


母親に抱きしめられるのは随分と久しぶりで、優しく回された腕がいつもより弱く見えて、どうにか母親を励まさなくてはと思ったのだ。


「お母さん、泣かないで」


そう言ったら何度も頭を撫でられた。


父親はそれ以上何も言わなかった。


その代わりに、咥え煙草を灰皿に押し付けると、黙ったままで早苗たち二人を太い腕で抱えるみたいに抱きしめた。


父親の苦いはずの煙草の匂いが、不思議といつもよりずっと甘く感じた。






・・・・・・・・・・・








「母さんが、俺と父さんの手を握って何回も、何回も、愛してるって言った。いい人生だったって。幸せだったって。最高の家族だったって」


火葬場の外で、小雪の舞う中。


耳が痛くなるような凍った空気を震わせて。


晴が言った言葉は雪に巻かれて落ちていく。


「愛してるってさあ、俺全然わかんないけど。母さんが、いい人生だったって。そう思ってくれたなら・・・・・・・俺も母さんのことを愛せてたってことかな。母さんの幸せになれてたのかなあ」


早苗は、何度も何度も頷いた。


こういう時、学校で勉強してきた事はほんとうになんの役にも立たない。


家族を失くしたことのない人間が、家族を失くした人間に本当に心から贈れる言葉なんてなにも無いのだ。


ご愁傷様です、なんて薄っぺらな言葉はただの逃げ口実だ。


一番力になりたいと誰よりも思っているのに、こんなにも自分が無力で情けない。


どんなに辛かったねと寄り添ったって、晴の痛みには到底届かない。



「絶対そうだよ。幸せだった。あんたみたいないい子を子供に持って幸せでないわけないじゃん!あたしも、晴にいっぱい嬉しい気持ちもらってるしそれが幸せってことでしょ?あたしがこんなに幸せなんだもん、おばさんはきっともっと幸せだったよ!間違いないよ」



そうでないはずがない。


晴が大事で、大事でしょうがないから。


あたしに晴をよろしくって、おばさんは言ったんだ。


俯いて、涙を堪える晴の腕を早苗は力任せに引っ張った。


そのまま肩を抱きしめる。


母親が自分にしたみたいに。


けれど、とうとう堪えきれずに早苗のほうが先に泣き出してしまう。


駄目だ、駄目だと息を飲んで、ぎゅうぎゅうに晴を抱きしめた。





「泣け!!」


背中を強く叩いてやると、晴は声を震わせて泣き始めた。


今日までどれだけ我慢して、どれだけの不安を飲み込んで、どれだけの恐怖と戦って来たんだろう。

 

病室を覗くたび、母親の姿を目にするたび、近づいて来る死の足音を必死に遠ざけて、笑って。


とてもじゃないが、この小さな肩に抱えきれるものではなかったはずだ。


けれど、晴は、彼の母親同様に、早苗の前で悩みを吐き出すことも、涙を見せることも無かった。


どうにか綱渡りの感情を押さえつけて、ここまでやって来たのだ。



「うん、うん。泣いとこう」



きっと泣きたかったんだ。


お通夜も、お葬式も、泣かずにここまで頑張った。


だから、もういいんだよ。


今日くらい大泣きしたってかまわない。


おばさんも、きっと許してくれる。




雪が本格的に降りはじめて、早苗と晴の泣き声も飲み込んでくれる。


二人で抱き合って、大声でわんわん泣いた。


耳の奥がキーンとなって、声が枯れるまで泣きじゃくった。


終いにはどっちが抱きしめてるのか分からなくなるくらい、必死にお互いにしがみ付いて泣いた。




あたしが今、晴にしてあげるべきことは励ますことじゃない。


ただ、一緒にこの哀しみに暮れることだけだ。


だって、あたしは賢く無いから。


哀しみを吐き出してしまわないと前向きにはなれないのだ。


あたしが空っぽにならないと晴の寂しさや、悲しさは引き取ってあげられない。


だから、今はただ。


泣いて、泣いて。


いいんだよ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る