第11話 内緒話
「さなちゃんいつも来てくれてありがとうね」
ベッドから起きる事の出来なくなったおばさんはそれでもあたしが来るたびに笑顔で迎えてくれる。
彼女が苦痛や、不安を表情や口にすることは一度もなかった。
あたしの知っている晴のおばさんは、いつも笑顔だ。
「・・・おばさん、すごいね、いっつも笑ってる・・・痛いでしょ?」
この頃、かなり強い鎮痛剤を投与しなくては痛みが抑えきれなくなっていたおばさんは、家族がお見舞いに来る可能性のある昼間は、鎮痛剤の投与を拒み続けていたらしい。
痛みが薄れれば意識も薄れてしまい、家族との会話が出来なくなるからだ。
想像を絶するであろう激痛を堪えながらも、ひたすら残された時間を家族と過ごすことだけに注いでていたのだ。
晴がおじさんと家の片付けに追われて、来るのが遅れた土曜の朝。
あたしは二人きりなのをいい事に、思い切って質問してみた。
おばさんは、にこりと笑って、マフラーを編む手を止めてあたしを手招きする。
あたしはベッドの端に腰掛けておばさんと同じ目の高さになった。
また白くなったおばさんは、陽の光に透けて消えてしまいそうで、何度も薄くなった胸が上下していることを確かめずにはいられない。
「早苗ちゃんと一緒。いつか、怪我したとき、自分が痛いって言ったら友達が気にするからって言ってたでしょう?」
晴と仲良くなるきっかけになった半年ほど前の出来事を口にされて、そんなものとは比べ物にならないはずなのにと、悲しい気持ちになる。
両親には、晴のおばさんの体調優先で、あまり病室まで押し掛けないようにと言われていたが、おばさんは、こうして顔を出すたびいつも歓迎してくれた。
恐らくこの頃すでに、おじさんは迫りくる期限を感じ取っていて、最後の時間は自宅で家族三人で過ごせるように、ひっちゃかめっちゃかだった二階の居住スペースを片付け始めていた。
男手だけではどうにも上手く行かず、おばさんの入院以降は毎日のように親子そろって藤野家で食卓を囲んでいたマスターが、整理整頓のコツをお母さんに尋ねたことで、世話好きに火が付いたお母さんは、あたしを引き連れてすぐに大山家へと向かった。
置きっぱなしの段ボールから生活用品を探し出しては、定位置を決めて並べて行く主婦の手腕は見事なもので、丸二日ほどかけてほとんどの段ボールは空にすることが出来た。
残ったのは夫婦の寝室と思い出の品だけ。
今頃、自宅の二階で晴とマスターはどんな会話をしているのだろう。
おばさんの居心地の良いスペースを作ってあげられているだろうか。
「でも・・・あたしよりずっと痛いでしょう?」
これまで経験した一番の痛みを思い出しながら伝えると、おばさんが優しく微笑んだ。
「痛みに大きいも小さいもないの。でもね、私が痛いって言ったら、おじさんや晴樹はもっと痛くなるの。私の痛みが解らない分、ずっとずっと痛いのよ。だから”痛い”はしまっておくの。皆に分けるなら、嬉しいや、楽しい、がいいでしょう?」
「うん」
痛いを誰かにぶつけることは当たり前だと思っていた自分が情けなくなった。
俯いたあたしの髪をおばさんの細い指が撫でて、肩に触れる。
「・・・・・・・ねえ、さなちゃん。これから、晴樹が泣く事があるかもしれない。そのとき、晴樹の側に居てくれる?晴樹のお友達1号のさなちゃんなら、晴樹の事お願いできるかな?」
「うん・・・・」
「私は、大人になってしまったから、晴樹と同じように世界を見ていくことが出来ないの。でも、これから大人になるさなちゃんは晴樹と同じように世界を見ていける。一緒に大人になって行けるってとても素敵な事なの。だから、一緒に、大きくなって行ってね」
「・・・・でも、あたしは何をすればいいの?」
おばさんの話は簡単なようでとても難しくて、11歳のあたしには、すぐに答えは出せなかった。
漠然と1本の道をふたりで歩いていくようなイメージ。
それくらいしか浮かんでこない。
物凄く大切な事を託されたはずなのに、やり方が分からない。
「晴樹が、間違った事をしたら注意して。悩んでいたら相談に乗って。楽しい事をいっぱい探して。嬉しい時には一緒に喜んで。そう・・・・ずっと友達でいてねってことかな」
一番分かりやすい答えが聞こえて来て、ホッと胸をなで下ろす。
それなら頼まれるまでも無い。
「それなら任せて!!あたし、ずっと晴と一緒にいるし。だってね、ふたりで年取ったら宇宙旅行行く約束したし!」
あたしの言葉に、おばさんは目を丸くして声を上げて笑った。
「宇宙旅行!?すごい!!いいなー・・・」
「たぶんおばあちゃんになった頃には行けるだろうって。お父さんが言ってたから、ふたりで長生きしなきゃ!」
「うん、そうねー、うんと、長生きしてね」
ほっそりした白い手があたしの手を握った。
驚くほど冷たいその手をしっかり握り返してあたしは頷く。
「宇宙旅行に行くまで生きるから、大丈夫」
嬉しそうに、おばさんは笑った。
心にじんわり染み入るような、優しい笑顔だった。
何もかも包み込んでくれる優しくてどこか神秘的な笑顔に、ただただ綺麗だなと見惚れてしまう。
それが、あたしがおばさんと会った最後だった。
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