2年目
第14話 遅ればせの春
二人暮らしになった晴とマスターの生活が、どうにか落ち着いた頃にやっと春が来た。
世間からはひと月近く遅れた春だった。
手付かずだった母親の遺品も、少しずつ整理を始めており、二階に顔を覗かせるたび、明らかに彼女の趣味と思われる小物がテーブルの上に並べられていたりする。
晴の母親のお気に入りの洋服を綺麗にダンボールに詰めて、屋根裏部屋へと持って上がる。
ログハウスの二階は一階の店舗と比べるとかなり手狭だったが、屋根裏部屋があることで、ほとんどの思い出の品をきちんと収納することが出来た。
唯一いつも着ていたカーディガンは、寝室のクローゼットに残される事になった。
早苗も何度も目にした、オレンジ色のロングカーディガンである。
真冬仕様だった寝具の毛布やシーツ類を、今日もヘルプを買って出た早苗の母親が、愛車に積んで近くのクリーニング店へ持っていく。
悲しいかな、藤野家と大山家は、晴の母親亡き後以前にも増して密な家族ぐるみのお付き合いをすることになった。
面倒見の良い早苗の母親が、男やもめの大山家を心配して、二人を強引に夕飯に引っ張り出すようになったからだ。
葬儀の後、食欲が落ちていた二人も、今ではすっかり健康的な身体を取り戻している。
早苗と晴は、母親から指示されて、薄いタオル地のシーツを広げてベッドメイクを始めた。
けれど、どうやっても晴の母親がしていたみたいにピンと張ったベッドにはならない。
「もうちょっとそっち強く引っ張って」
「おまえ絶対離すなよ」
「わかってるって!・・あ!!」
返事するなり手からシーツがすり抜けてしまった。
晴がげんなりして手元に滑ってきたシーツの端を掴む。
「へたくそー」
「あんたも下手だし!今度こそちゃんとやるから!ちょうだい」
「母さんどうやってたんだろ・・・いっつもひとりでしてたのにさぁ」
「わかんない・・・」
シーツの端を今度こそ強く握ってベッドに広げていく。
若草色の春らしいシーツは彼女の好みらしい。
この家には、いつも優しい色が溢れていた。
古い壁や、黄みの強いライトにしっくり馴染む柔らかい色合い。
開け放たれた窓からは、温かい風が吹き込んでカーテンを揺らしている。
今にもそのドアから彼女があのカーディガンを着て部屋の中に入ってくるような気がした。
じっと入り口を見ている晴も同じことを考えていたんだろう。
ふたりとも黙ったままだった。
「こらー!全然片付いてないじゃない!」
急に母親がドアを開けて入ってきて、早苗達の顔を見て目を丸くする。
「なーに、ふたりとも。ポカンと口開けたりして」
「・・・・なんでもない」
晴が慌てて答えた。
「あ、お母さん、シーツ上手く敷けないよ」
「コツがあんのよ。こーゆーのは、ほら貸して」
早苗の手から、シーツの端を引っこ抜くと、ふわりと手慣れた様子でベッドに広げて、枕元に手際良く織り込んでいく。
主婦歴10年以上の熟練の技は一瞬で皺のないベッドを作って行く。
「いい?ここで斜めに引っ張るのよ・・・・せーのっ」
三方を綺麗に織り込んだあと、母親は残りの一方を思い切り引っ張った。
けれど、さっきのようにシーツが外れることは無い。
ピンと張った若草色が広がる。
「すごい!母さんがしてたみたいだ」
「ねえ、ねえ、なんでそんなことできるの!?」
「んー、長年の経験かな。ふたりともよーく覚えておく事。将来必ず役に立ちます」
笑って早苗たちのおでこを弾いて、母親が階段を降りて行く。
家は和室だから、ベッドメイクなんてしたことがなかった。
布団のシーツを入れるのは得意だけど。
「藤野さんすいません。コインランドリーまで行って貰って」
お店の奥から、マスターがお礼を言う声がする。
「いーのいーの、うちのもあったし。これくらいさせて頂戴な」
「助かります」
「早苗ー、お母さん先に戻るからね、お店の邪魔しちゃだめよ」
「わかってるって!」
店を出る前にもう一度二階を覗いて、早苗を指差して言った後で、母親は帰っていった。
早苗たちはマスターの入れてくれたアイスカフェオレを飲みながら指定席となった窓際の席に座る。
数人いるお客さんも殆どが常連だ。
最近はご近所のみんなが毎晩のようにおかずを持ち寄るので、夕飯代が浮いて助かるとマスターは笑っていた。
ここに住む誰もが、晴とマスターを孤独にさせないように心を砕いていた。
その事が、本当に嬉しくて、誇らしい。
「今日は宿題珍しくないしなー・・・久しぶりに散歩でも行く?」
晴が自分から外に行きたがるのは久しぶりのことだった。
早苗は嬉しくて即座に頷いた。
ここのところずっと家から出ようとしなかったのだ。
早苗から無理やり外に引っ張り出すことは避けたかったので、何となくお店や二階で夜まで過ごすことが多かった。
空になったグラスをカウンターに置く。
「父さん、外で遊んでくる」
晴の言葉にマスターの表情が一気に明るくなるのを早苗は見逃さなかった。
「行っておいで、天気もいいし、思いっきり遊んでおいで」
笑って見送ってくれるマスターに手を振って店を出る。
太陽はまだ空の高くにいて、夜の気配を遠ざけている。
いつの間にこんなに季節が過ぎたのか。
若葉が青々と生い茂り、海辺を散歩する人も増えていた。
一気にタイムスリップしたような感覚だ。
晴の気持ちが麻痺していた分、早苗も同じように影響を受けていたらしい。
「海に足付けれるかな?」
早苗は砂浜に入るなり、大きく背伸びをしてからいそいそと靴を脱ぐ。
「まだ水冷たいだろ、無理だって」
寒そうなコバルトブルーの海を見やって晴が言った。
「こんだけ天気いいんだもん、大丈夫でしょ」
スニーカーと靴下を適当に放って、わかめの大群を踏みつけて海に入る。
「えええ、まじで?」
げんなりする晴の声を背中に受けたままそのままざくざく歩いて行った。
「つめたー!!!」
キンと冷え切った水が足元を濡らす。
けれど、ぎゅうっと堪えていれば、次第に冷たさに慣れてくる。
じわじわと足の指が緩むのを感じられる。
うん、大丈夫だ。
座って靴を脱ぐ晴を手招きする。
「ギリギリだけど、大丈夫!」
「ほんとかよ?」
晴は疑り深い顔で、けれど早苗に続いて海に入ってきた。
足を浸けた途端、歩くのをやめてしまう。
「大丈夫じゃないだろ!」
「いや、もうちょっと待ってみてよ。どう?」
「・・・・かなり微妙・・・」
ふて腐れた顔をする晴の腕を引っ張って歩かせる。
「歩くとそうでもないって」
「あー確かに・・・・」
その返事にほっとする。
最初はビックリするけど、その感覚にも慣れてくるのだ。
寂しさもきっと一緒。
じわじわ沁みこんできて、傷口をえぐるけれど。
少しずつ慣れてきて、今度は逆に自分のぬくもりで温かくすることが出来る。
太陽の光が届くところに居る限り、温度はちゃんと上がっていく。
晴の側にはあたしがいる。
立ち止まったら、背中押すから。
ゆっくり歩き出した晴を、今度は早苗が追いかけて、その手を捕まえる。
寂しくはさせない。
悲しくもさせない。
そう決めたんだ。
「ちなみにどこまで行く?」
晴の質問に早苗は簡潔に答える。
「どこまでも」
「日暮れまで歩いたら、さすがに風邪引くと思うけど」
「じゃあ、海沿い歩いて、市場でおやつ買って、裏道抜けて神社の階段に出るコースで」
「いつも通りじゃん」
「文句ある?」
文句言うなら目的地を決めろと目で訴えてやれば。
「ないけど」
「けどって言うな」
「じゃあ、ない」
晴の母親が入院するまで、早苗たちが学校から帰っていつも遊んだコースだ。
仲良く並んで海から上がる。
砂浜は、ちゃんと太陽光を吸っていて、温かい砂が足裏に心地良かった。
足を乾かすために、わざと砂の中に足を埋めるようにして歩いていく。
「チョコバー食べたいなぁ」
「駄菓子屋売ってるだろ」
「ばあちゃんが仕入れてたらね」
「賭けだな」
市場に入っている古い駄菓子屋は、御年84歳のおばばが仕切っている。
この町の大人も子供も、みーんなおばばの店のお菓子を食べて育つのだ。
ただし、小さい店なので、商品の数は極めて少なく、種類も多くは無い。
狙ったお菓子があるかどうかはそのときの運次第。
いまのところ早苗たちの勝運は5割ほどだ。
ちなみに早苗の父親が子供の頃は、もう少し種類も多かったらしい。
靴を持って砂浜を歩きながら、早苗は晴の横顔をぼんやり見つめる。
眩しい太陽に目を細めて、けれどしっかりした足取りで歩く晴。
”どこまでも”
その言葉はウソじゃない。
晴が行くならどこまでも。
ひとりにはしないから。
それだけは決めてるの。
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