第15話 二度目の夏
小学校最後の夏休みが始まった。
早苗は去年と同じように、宿題片手に店へと向かい、晴と日がな1日を過ごした。
お昼をそのまま店で食べる日もあれば、ふたりで家に帰って食べる日もある。
晴は、夏休みに入ってすぐマスターからコーヒーの入れ方を教わった。
最近では、早苗が店に行くと有無を言わさずアイスコーヒーが出てくる。
それも毎日違う味の。
お馴染みの店のドアを開けるとカウベルが鳴った。
午前中の早い時間とあって、常連のおじいちゃんがひとりだけ。
早苗の顔を見て、マスターとおじいちゃんが揃って片手を上げて挨拶してくる。
「おはよーございまーす」
「さなちゃん、アイツまだ上だから」
「うん、だと思った」
「台所に食器が残ってるかも」
「それも了解」
ここのところ繰り返される同じ会話。
おじいちゃんに手を振ってから早苗はカウンターを通って二階に上がる。
階段には新聞や雑誌が括ったまま積まれている。
入ってすぐの小さなキッチンにはやっぱり、昨日のカレー皿がそのままになっていた。
洗濯機の音と、掃除機の音が聞こえる。
自分の部屋片付けているようだ。
優秀じゃないのと一つ頷く。
大雑把なマスターの性格を受け継いでいるかと思いきや、きちんと母親の素質も引き継いでいた晴は、意外と綺麗好きだ。
早苗は、テーブルに置かれたままのここ数日の新聞を階段の山に積み上げた。
食べかけのトーストと、明らかに賞味期限切れの佃煮はゴミ箱へ。
出しっぱなしの調味料を冷蔵庫にしまいがてら、中身をチェックする。
牛乳、玉子は大丈夫。
豆腐は、ギリギリ目を瞑って。
真っ黒になったバナナと、干からびた白菜は取り出す。
冷凍庫に入れられたカチカチの牛肉も念のため処分する。
窓を開けて、空気を入れ替えて、食器を洗う。
鍋に残ったカレーはすでに異臭を放っていた。
さすがに2日前だしな。
店のことには煩いマスターも、さすがに家の中まで目が届かないらしい。
早苗がカレーのコゲと格闘していると、晴の部屋のドアが開いた。
「お、来てたんだ」
「おはよ」
「はよ、あ、佃煮やっぱりヤバかった?」
掃除機を掛けながら大声で訊いてくる。
ゴミ以外のものを吸い上げる、異様な音が聴こえた。
「2週間前に切れてた!ってか、絶対紙かなんか吸ったって!!」
「多分いける」
「いや、やばいから!」
そのまま無理やり掃除機を動かす晴の手からホース部分を奪い取る。
ローラーの巻き込みを見ると、やっぱり型紙のきれ端が挟まっていた。
「コレ、こーゆーのほっとくと、詰まって使えなくなるって」
「掃除機ってメンドクサイな」
こういうところはしっかりと父親似の彼である。
「気持ちは分かるけど・・・自分の部屋片付けた?」
「かなり気合入れて。階段見た?」
「見た見た、来週廃品回収ってー忘れず出せよー」
「おっ!ちょうどいーな」
「次はおっちゃんの部屋か」
「ほとんど寝に帰ってくるだけだからな、父さん」
毎晩日が暮れると集まるご近所さんたちのおかげで店は遅くまで人が絶えないのだ。
母親の葬儀の後暫くは、宴会場はお馴染みの藤野家になっていたが、マスターがリナリアを閉める時間がバラバラなので、それならと、近所の住民が飲み会の会場をこっちに移してしまったのだ。
最近では、早苗の父親は職場から真っすぐここに帰って来ることすらある。
「布団干そうよ、手伝うしさ」
「ついでに、屋根で昼寝とか良くない?」
「めっちゃいい!!」
晴の提案に大賛成の早苗は、早速マスターの部屋を開けた。
飛び込んできたベッドを見て驚く。
信じられないくらい綺麗に整えられていた。
いつか早苗の母親が教えてくれたみたいにピンと張ったシーツがお目見えしている。
早苗の疑問に気付いたのか、晴が掃除機を置いて部屋に入ってくる。
「父さんがさぁ、母さんに教えたらしいよ」
「そうなんだ」
「全然そんな風に見えないのに、意外と変なトコまめなのな。毎朝これだけはちゃんとやってる」
晴がベッドカバーを捲って、窓からそれを1階の屋根に出す。
早苗は掛け布団をもう一つの窓枠に引っ掛けた。
ここは屋根がないけれど、十分陽が当たるのだ。
晴の布団も干し終わると、早苗は、再び食器洗いに戻った。
晴はマスターの部屋を掃除している。
相変わらずクローゼットの一角だけは綺麗なままだ。
この家の勝手も分かって来て、大抵のモノの場所なら把握できるようになった。
晴と一緒に夕飯の買出しに行くようになって、料理も始めた。
初めて二人で作った味噌汁はダシを入れ忘れてさっぱりだったけれど。
マスターは笑って
「何事も経験だ、経験」
と言ってくれた。
食器洗いを終えたら、風呂場の掃除をする。
途中から晴も応援に駆けつけて、二人で真剣にカビ取りスプレーを壁にまきまくった。
風呂場の窓を開けてラジオから流れる曲に合わせて無料カラオケ大会をしたりして。
すっかりぴかぴかになった壁に感動して、シャワーをかぶって髪を濡らしたり。
家が綺麗になるころにはお昼を回っていて、マスターの差し入れのオープンサンドを干した布団の上で齧りながら休憩した。
2階部分の屋根のおかげで日陰になる狭いスペースに膝を抱えて並んで食後のアイスを齧る。
「あーよく働いた」
「宿題もしないとな」
「後でいーよー。晴、父ちゃんが今日素麺大会するから来いってさ」
「おー行く行くー」
「おやつ抜きの勢いで、行かないとね」
「どーせいつもの流し素麺大会だろ?」
2リットルのペットボトルの容器を縦半分に切って作った、早苗と晴の傑作の流しそうめん器である。
去年の夏休みの課題工作だ。
二人の共同制作として学校に持っていったら、一部の先生には大うけだった。
当然早苗の父親もえらく気に入って、その年は何回も大会を開催した。
参加者は、近所の人や、お店の常連客や、クラスメイトつまり、いつものメンバーである。
みんなが素麺と、かやく片手に藤野家の庭に集まってみんなで全長3.5メートルに渡る流し素麺を楽しむのだ。
中には特上のうなぎやスイカの差し入れなんかもあって、なかなか豪華な流し素麺大会になる。
すでに今年の夏は2回開催されていた。
「今年うちの父ちゃんPTAの役員してるから、浜ちゃんセンセらも呼ぶってさ」
早苗が担任の先生の名前を出すと、晴が驚いた顔をした。
「浜ちゃん!?ってことは近藤センセも?」
「たぶんねー。あのふたりコンビだから」
副担任の名前を告げると晴も頷く。
二人とも5年、6年の担任と副担任であり、地元で生まれ育った先輩でもある。
とくに、副担任の近藤は、早苗が4年生の時に新任として赴任して来た超若手の先生で、担任の浜田と並んで生徒から絶大な人気を誇っていた。
「うわ、うるさくなりそー」
「今のうちに体力回復しとかなきゃ」
早苗は、温かい布団の上にごろんと寝転んだ。
陽射しは強いけど、気持ちいい。
晴が隣に寝転がる気配を感じながら目を閉じた。
・・・・・・
「おーい、そろそろ布団入れような」
マスターの声で目を覚ますと、空はすでにオレンジ色に染まっていた。
4時間近く眠っていたらしい。
早苗たちは伸びをして、眠い目を擦りながら部屋に戻るとぐーぐー鳴る胃を抱えつつ早苗の家に向かった。
すでに庭先で流し台を設置しているのは噂の浜、近コンビだった。
タオルを巻きつけた額に浮かぶ汗が良く似合う体育会系の二人である。
「せんせーもう準備してんの?」
「おー、おまえら電話で呼び出そうと思ってたんだ!晴樹!こっち持て」
浜田に指示されて晴は台を支える。
「早苗、お前は裏に回ってホース引っ張って来い」
「えー近ちゃん人使い荒い!仮にも家の庭タダで開放してんのにー家主に向かってそれはない!」
「お前の父ちゃんの家だろが!あーちなみに、今日は俺教師としてで無くひとりの人間としてここにお招き預かったので、宿題の事とか聞くの無しな!」
「右に同じ!」
「げ!職務放棄じゃねーの!?」
晴がすかさず言い返す。
「教師にも夏休みは必要さー」
浜田がなぜか沖縄なまりに言う。
近藤もうんうん頷いて晴の肩を抱いたりしている。
早苗は諦めて縁側に回ってホースを伸ばして戻って来た。
家主である父親が帰ってきたらどんちゃん騒ぎの始まりだ。
「ごめんくださーい!早苗ー晴ー!」
「冷やしトマト持って来たよー。ガンちゃん、スイカちゃんと持って」
「枝豆茹でてきたー。友世が羊羹だってさー」
「早苗ー父ちゃんが、ビール持ってけってー!」
縁側に次々と子供たちが集まって来る。
夏休みでさらに真っ黒になったガンと大とは対照的に、揃って隣町の塾に通い始めた山尾と友世の白さが際立つ。
「出し巻きコレくらいでいい?」
「から揚げはどうしましょ?」
「もう全部あげちゃって!」
「あ、うちの子たちも来たのね!あんたたちー手ぇ洗ったら麦茶入れなさーい!」
台所は早くも火の車だ。
近所の主婦達が集まって、夕飯準備に追われている。
早苗の母が指示を飛ばしながら、早苗がガンから受け取った大きなスイカを見てから勝手口を指さした。
「外の冷蔵庫に入れてね。ついでにビール取って来て。きっとすぐ無くなるから」
「はーい」
巨大なスイカを必死に抱えて勝手口の外にある納屋まで歩く。
昔、家で使っていた冷蔵庫は普段は氷の保管場所兼ビール置き場と化している。
けれど、こういう行事があるたび大活躍するのだ。
空が薄紫に染まって、日が暮れ始めた頃、ようやく第三回流し素麺大会は始まった。
ビールとジュースで乾杯から始まり、皆が持ち寄った山盛りの素麺が流される。
すぐ隣では、カセットボンベをフルに使って次々と素麺が茹でられていく。
早苗たち子供組は、差し入れされたおやつと素麺で空腹を満たしつつ、縁側の奥の和室で、本日のメインイベントに取り掛かった。
「さって、早苗、お前国語終ってるな?」
ガンが珍しく真剣な表情で確認する。
「バッチリこの通り、華南、理科は?」
「個人研究以外のはやってきた。社会の山尾っちは?」
「歴史新聞は個人担当だけど、穴埋めは完成、算数は?晴」
「一応全部終ってる」
「あ、一応歴史新聞の材料だけは人数分揃えてきた。うちの姉ちゃんと従姉からな」
夏休みの宿題は毎年大抵同じなので、上の兄弟がいると過去の提出部物を上手く再利用できるのだ。
「んで、俺のは読書感想文、どれでも好きなの選べよ」
ガンは3人兄弟なのを活かして、これまでの読書感想文を毎回用意してくれていた。
きちんと自分で読書をする山尾、友世以外は、いそいそと手を伸ばした。
「でこれは、人権、平和、差別、時間、虫歯のテーマのポスターね」
友世がひとり一人に出来上がったポスターを配っていく。
「僕のは、貯金箱、女の子はこっちで、男子がこっち」
大が取り出したふたつの紙袋の中には、キャラクターの貯金箱がいくつも入っていた。
それぞれの兄弟やら得意分野をフルに生かした夏休みの宿題の攻略法である。
「これでバッチリ宿題終るね!!」
華南が笑顔で言う。
「早速大人が飲んでるうちに、写しあいっこしよ!」
早苗が先頭を切って縁側から和室に入っていく。
みんな手にはそれぞれお菓子とジュースを持っており準備は万端だ。
「いやー、今年は早苗のおっちゃんが2回も素麺大会してくれて助かったな。俺と友世は塾の課題もあるからさぁ」
山尾がジュースを飲みながら言う。
和室のコタツテーブルに出来上がった宿題を広げて顔を突合せながら、それぞれの夏休みを報告し合うのも毎年お馴染みの光景だ。
「去年はたしか夏休み中に2回だったよね?」
「焼肉大会と、焼きそば大会」
「大、よく覚えてるね!」
「今年はもう一回くらいあるかもよ?浜ちゃんと近ちゃん乗り気だし」
「2年に1回のクラス替えって親も俺らも便利だよなぁ」
晴が社会のプリントを引き寄せる。
「去年の時点で、俺は今年の夏休みもいけるって確信したな」
ガンが早苗の国語を必死に映しながら強気で言った。
「かなり良い分担方法だしね」
早苗の言葉に友世も頷く。
「個人の特性を十分に活かしてるし。ほんと塾の課題多いから助かる・・・山尾っち特進だからもっと大変でしょ?」
「んー・・・まあ、去年よりは遊べてないな」
「でも、これで残りの夏は遊びまくろうね!!」
華南の声にみんなが拳を振り上げた。
全力で宿題討伐にあたる子供たちを遠目に、大人たちは次々とビールや焼酎の瓶を空にして行く。
ガンの家が酒屋をしており、大抵こういう会では大量の差し入れを届けてくれるので、酒が足りなくなったことは無かった。
「おーい子供達よー!!勉強やっとるかぁ!?」
ほろ酔いの浜田が上機嫌で縁側に座って手を振ってくる。
みんな瞬時に自分の宿題を引っ張って器用に隠した。
向こうも酔っ払ってるし、気付かないだろうけれど、念には念をだ。
全員でニコニコと手を振り返す。
「やってまーす!」
「がんばってまーす!」
「つーか先生飲み過ぎじゃねーの?」
「こらガン!そんなことゆうヤツにはデザートのアイス無しだぞー!」
「あー!うそうそ!先生もっと飲んでいーよ!!」
近藤が持ってきた箱入りアイスを受け取りながらガンが大慌てで言った。
「お前らが大人しく勉強してると、なーんか変な感じすんのはなんでだろ」
「やあねえ、たまには真面目に勉強してもらわないと!」
早苗とガンの母親が顔を見合わせて、近藤の肩を左右から叩いて笑う。
周りのおばさんたち一同もうんうん頷いている。
ちゃんと頑張ってるよと引き攣った笑みを子供たちが浮かべた矢先。。
「なーんだお前ら!勉強なんかあとだ後!!」
割り込んできたのは、完全に出来上がっている早苗の父親である。
母親がジト目で夫を睨んで、すかさずYシャツの首根っこを引っつかむ。
「お父さんー!?」
「いーじゃねーかよ、今日くらいぱーっと遊べ!パーっと!!」
缶ビール片手にぎゃははと笑った父親が、この夏は~一度きり~と適当な歌を歌いながら大人連中のところへ戻って行く。
「いーなー。早苗のおじさんて絶対勉強しろって言わないよね」
「言われなさ過ぎて不安になるけどね」
「たしかに、宿題したか?とか聞かれたこと無いなー」
晴がプリントの見直しをしながら言った。
「大抵うちら見つけても、何して遊んだ?しか聞かないし」
「嫌でも中学入ったらしなきゃいけないんだから、今のうちに遊んでおかないとな」
山尾が早速アイスバーに齧りつく。
「来年は中学生かぁ」
「華南、早くセーラー服着たいっていってたじゃん」
「うん、あ、お姉ちゃんのあるから今度早苗も着てみなよ」
「着たいー!そんで堂々と買い食いして帰るの!」
「今でもしてるくせに」
晴の鋭い突っ込みに、皆で笑った。
晴がこんなに笑うのは本当に久しぶりで、早苗は、そのことに嬉しくなって、また、笑った。
翳した手。
夏の風。
途切れる事無い笑い声。
撥ねた水しぶきに見えた小さな七色の虹。
このままどこまでもいける気がした。
8月の夜。
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