第76話  君に託すこと

日に焼けた畳の上で胡坐をかいて、新聞に目を落とす父ちゃん。


声をかけようとすること3度。


そのたびに思いとどまってしまう。


言わなきゃ、言わなきゃ。


スーハー深呼吸して、ぎゅっと目をつぶって。


「と・・・」


さー言うぞ!と気合を入れたら、こちらに背中を向けたままで向こうから呼ばれた。


「どーした」


「ひょえっ!!」


気配を殺していたつもりだったのに、ばっちり気付かれていたらしい。


「早苗ーどしたよ?」


「・・・・・父ちゃん・・」


「んー?」


もう何十回とおぶって貰った広い背中。


あたしは膝歩きをして行って、父ちゃんにぺとんと凭れる。


「重てーよ・・・ったくお前はいつまでたっても父ちゃん子だなぁ」


苦笑交じりで言って、父ちゃんがあたしの頭をぐりぐり撫でた。


煙草の匂いの染みついた大きな手のひら。


いつもこの大きな手のひらが、最後はあたしを抱きしめてくれた。


晴れの日も、雨の日も、どんなときも。


そうでもないよー。のいつもの返事が今日ばかりは出てこない。


「あのさぁ・・・・あの・・・・」


知らず知らずのうちに握りしめていた拳。


「・・・・颯太と・・結婚するね」


あたしの一言に、父ちゃんはただ一言だけ。


「そうかぁ」


ほっとしたような、寂しいような。


そんな色んな気持の混ざった声で答えた。


あたしはやっと言えた一言に胸のつっかえが取れて、父ちゃんの背中に凭れたままで呟く。


「・・・色々心配かけて・・ごめん・・・」


「娘の心配すんのは親の務めだ。気にすんなぁ」


「・・・寂しい?」


「寂しかねェよ・・・安心したよ・・・母ちゃんに言ったのか?」


「ううん。まだ」


まずは、おっちゃんと、父ちゃんにって。


ずっとそう思ってきたから。


だってきっと、お母さんは泣かない。


「・・・・なあ、早苗・・・・・」


父ちゃんが新聞をめくりながら、反対の手で目頭を押さえた。


あたしは気付かないふりをする。


っていうか、こっちももう泣いちゃそうだし。


「はいよーう?」


「お前が自分で決めた未来だ。・・・・・迷うな、自信持ってけ・・・お前は俺の自慢の娘だ・・・一等幸せんなれ」


「・・・うん」







・・・・・・・・・・・







「こんにちはー」


ベルの音と共に店内に入ってきた颯太を見て、マスターは目を細めた。


「珍しいねぇ。一人かい?」


「早苗は仕事なんで・・・」


そう言って颯太はぐるりと視線を巡らせる。


自分の他には常連客の老人が一人、窓辺に座っているのみだ。


「・・・マスター・・あの・・・・」


颯太の言葉を遮って、マスターが椅子をすすめた。


「ブレンドでいいかな?」


「・・・はい」


その返事ににこりと頷いて、マスターは棚からカップとソーサーを取り出す。


昼下がりの店には静かなジャズが流れている。


やがて、暖かな湯気と共に、使い込まれたカップに並々と注がれた珈琲が出てきた。


カウンター越しにマスターは颯太と向かい合う。


定位置に飾られている懐かしい写真の中の息子に一瞬だけ、視線を送った。


まるで何かを問いかける様に。


「・・・・話、訊こうか?」


いつもより、僅かに固い声音で言われて、颯太はカップから視線を上げる。


言うべきことは決まっていた。


「・・・・早苗と結婚します・・・その、報告に来ました」


何十回も自分に問いかけた。


けれど違う答えは出なかった。


これから先の人生に早苗がいないなんて考えられない。


たとえ、天国の彼に恨まれることになっても。


その言葉に、マスターは颯太の目をまっすぐ見据えて、笑った。






・・・・・・・・・・・





「・・・・決めてくれてよかったよ」


心底そう思った。


日に日に鮮やかに咲き誇る愛娘同然の彼女の幸せだけを願って来たのだ。


「あの子が、一生独りでいるなんて絶対にいけないと思っていたから・・・・でも、僕や、この町の誰かじゃあ・・あの子を変えられなかった。颯太じゃないとだめだったんだなぁ・・・さなちゃんは・・きっとこの町に帰って来てから、ずっと君のことを待ってたんだな・・・」


「・・・・兄弟みたいに暮らそうって言ったんです」


恋人じゃなく、家族から始めようって。


形に拘る必要なんてないから。



「さなちゃんにはそれ位の関係の方がいいかもなあ・・・そうか、まあ・・・そこまで理解されてるのも癪に障るけどなぁ・・・・」


そう言って自分用に入れたコーヒーを口に運ぶ。


「野暮なことは言わないよ。あの子が自分で選んだ相手だ。あの子の目と感覚に、僕は全幅の信頼を置いてるんだよ。ちゃんと、自分の幸せを見つけられる子だって、信じてる。だから、そんなさなちゃんの選んだ君を信用してるよ」



晴樹を失ってから、泣くことも出来ずに必死に顔を上げて歩いて行くことを自らに課した早苗。


そんな彼女が、ようやく見つけた新しい家。


祝福以外に掛ける言葉なんてあるはずがない。





・・・・・・・・・・・




「ちゃんと。守って行きます」


晴樹の分も、とは言わなかった。


会ったことが一度も無い彼と早苗の楽しい記憶は、今も彼女の中に息づいて、彼女のことを守っているから。


自分がすることは、これからのまっさらな未来を守り、築いていくことだと思った。


明日の早苗が、今日よりずっと幸せであるように。



マスターは目を細めて頷いて、写真立てを引き寄せた。


定期的に替えられているそれは、セーラー服の早苗と学ランの晴樹が、町の幼馴染たちと一緒に写った一枚。


今にも動き出しそうな、笑い声が聞こえそうな、眩い一枚だった。


「・・・ありがとう。・・・一つだけ、いいかな?」


颯太が頷くと、マスターは写真の晴樹を愛おしそうに撫でてから、穏やかな、けれど強い口調で言った。




「・・・頼むから、長生きして欲しい。もう、あの子を残して、誰にも先に逝って欲しくないんだ。さなちゃんが、誰かを失って泣くことが無いように。どうか、頼むよ」


「・・・はい」


颯太の返事に、ちょっと目元を緩めてマスターが笑う。


「たぶん、ウチの連中はみんな同じことを言うと思うけどね・・・」


「早苗が、どれだけここを大事にして、大事にされてるか知ってますから、覚悟してます。俺が、出来るすべてのことで、早苗を幸せにします」



目映い未来を歩いて行く。


これからは、ふたりで。








晴樹が言いたくて、言いたくて、言えなかった言葉。


それをやっと聞けたから。



ようやくこの一言を伝えることができる。



「・・・・颯太、おめでとう」

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