第72話 爪先分の未来
夏が終わって秋が深まる頃。
ずいぶん慣れた正井家の縁側で座ってぼんやりしていたら、目の前になっている柿の実が目に付いた。
「あれって柿の木だったんだ」
早苗が指さした先にある、小さな実に目をやって颯太は驚いたように言った。
どうやら気づいていなかったようだ。
家主よりも先にそれを見つけたことがほんのちょっとだけ誇らしい。
「俺も知らなかったなー・・・ほんとだ」
「じい様も食べてたのかなぁ」
正井家の縁側を覗くと、お茶の間で横になってテレビを見ているじい様の後ろ姿見えて、大声で呼ぶとゆっくりとこちらを振り返って、ランドセルを背負った子供たちを見て嬉しそうに目を細めて、いつも、お帰り、と言ってくれた。
縁側に出て来たじい様が出してくれるおかきやお饅頭は、子供には不人気のものばかりだったけれど、不思議と誰も文句なんて言わなかった。
そういえば、この家で柿を出されたことは無かった気がする。
「・・・取ってみる?」
「えー・・・食べれんの?食用?」
「なってるんだから食えるでしょう」
そう言ってつっかけを履いて庭先に出ると、身軽に柿の木によじ登る。
学校で子供達と走り回っているというのは嘘でないらしく、器用に木のぼりをして、あっという間に目的の枝を掴んだ。
そしてなっている実を握って確かめる。
「意外といけそうだよ」
「ほんとにー?」
大抵この家に来る時は、縁側から入って縁側から帰るので(普通の大人はやりません)
並べて置いていたつっかけを履いて木の下まで歩く。
収穫した柿を早苗の手のひら目がけて落っことしてから、颯太は結構な高さの木から飛び降りた。
まるで小学生の頃の週末探検の度胸試しのようだ。
今ならやれと言われても絶対にやらない。
「怪我するよー」
「しませんって・・・齧ってみな?どう?食えそう?」
「・・・・微妙・・・」
手のひらに納まっている渋い色の柿。
実は、あまり好きではない果物の一種なのだ。
けれど、自然になっている柿には興味が・・・ちょっとだけある。
苦いの?甘いの?渋いの?
「とりあえず、切ってみるかー」
そう言って台所に取って返すと、颯太は果物ナイフを片手に戻ってきた。
彼は、かなり器用だ。
料理は一通りこなせるし(学生時代にバイトしてた居酒屋仕込みらしい)頼めばギターも弾いてくれる(一時はバンドも組んでいたとか)小学校の先生なので、人にものを教えるのが丁寧かつ上手い。(これは彼の先輩にあたる浜、近コンビが言うんだから間違いない)
目の前で剥かれていく柿の皮がきれいな一本の紐状なのも素晴らしい。
大雑把且つ適当で、一人暮らしの頃も殆ど自炊してこなかった早苗には真似できない芸当だ。
じーっとその動作を見ていると、半分に切った柿の実を先生の顔をした颯太が差し出した。
「はい、食べてみな」
「イタダキマス」
きちんと両手を合わせてからそれを受け取る。
見た目は・・・まあ柿だよね・・・?
勢いよく齧りついた早苗は、次の瞬間口いっぱいに広がる渋さに悲鳴を上げた。
「しーっぶ!!!!なにこれ!」
隣にいた颯太はケロッとした表情で頷く。
「あ、やっぱり?」
彼はどうやらこれが美味しい柿ではないことを知っていたらしい。
なんとも最悪の悪戯だ。
・・・・・・・・・・・
「はい。これ飲んで落ち着きな」
ごめんごめんと、全く悪びれた様子なくお詫びと称してずいっと差し出されたのは温かいマグカップ。
漂ってくる甘い香りには、心当たりがある。
「ココア?」
「そう、うちの妹がさー、コレ好きなんだよ。どんだけ拗ねて、機嫌悪くても、俺が入れたココア持って行くとあっという間に機嫌が直るんだ。魔法の薬」
綺麗に混ざった優しい色にそっと口をつけると、穏やかな甘みが広がった。
さっきまで口の中で暴れていたとんでもない苦さと渋さが綺麗に流されていく。
入れた人の気遣いが感じられる優しい味がした。
たしかにこんな美味しいココアを入れて貰えるのなら、見たことのない颯太の妹も機嫌が良くなるはずである。
こんな美味しいものをしょっちゅう飲ませて貰える彼女が羨ましい。
兄妹・・・・
他人同士なのに、まるで兄弟のように暮らしていた大地と基のことを思い出した。
彼らとは、実家に戻ってから何度かメールのやり取りをした。
添付されてくる写真はとんでもない山奥だったり、綺麗な海の近くだったり、異国情緒あふれるお洒落な街並みだったりと様々だ。
そのどれもに写っている基は、やっぱり相変わらず可愛くて、あの頃よりほんのちょっとだけ大人びて見えた。
失くしてしまった子供時代を彼女なりに必死に取り戻している最中なんだろう。
「・・・美味しい」
「そりゃ良かった。想像以上に渋い柿だったなー」
「・・・やっぱり予想してたんだ?」
ジト眼で睨むと颯太は片眉を上げて頷いた。
「だいたいこんな民家になる柿なんて、甘いわけはないとは思ったけど・・・何事も経験だろ」
「・・・あたしゃ生徒かい」
「さっき、早苗ちゃんの泣きそうな顔を見た時は悪いことしたなぁと思ったよ。だから謝ったでしょ」
「大いに反省してください」
「はいはい」
神妙な顔で返事する颯太をチラリと横目で見ながら、早苗は淡いオレンジのマグカップの中に揺れるココアを香りを楽しむ。
「・・・・なんとも優しい味だねぇ・・・お兄ちゃんの味がする」
「子供の頃から飲んでたからなー・・・ココアなら上手に入れる自信あるよ。今日は、早苗ちゃん用の甘さかな」
「妹用のはもっと甘いの?」
「昔は甘いの入れてたけど、もう、ちゃんと多恵の好み通りのココアを入れられるようになったから、そいつに引導を手渡してきた」
「・・・・ふーん・・・・寂しい?」
「ちょっとね。でも、ちゃんとひとりで立ってくれることの方がずっと嬉しいよ。それに、こっちにほっとけ無い子を見つけちゃったしなー」
そう言って颯太がゴロンと縁側に横になった。
何か言わなきゃと彼の名前を呼ぶ。
「颯太・・・」
振り返った早苗の言葉を遮るように、颯太が縁側についたままの早苗の指先に触れた。
「夢はでっかく、心はまーるく、泣くより、笑って生きましょう・・・できれば、一緒に」
泣くより、笑って。笑って。
ひとりじゃなくって、今度は、ふたりで。
「・・・どうかな?」
問いかける彼の目をまっすぐに見つめ返して、早苗は息を吐く。
「颯太・・・本気で人を好きになったことある?」
「・・・・・あるよ」
「うん・・・・ありがとう」
早苗の返事とも取れない返事に、颯太は何も言わなかった。
ただ、握った手も、離さなかった。
本気の恋を知ってる人なら。
本気の痛みも知っているから。
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