第63話 あなたの声で呼んでみて

いつの間に寝ちゃったんだろう・・・


身体に残るほのかな酩酊感に、ああ、昨日はクリスマスだったと思い出す。


布団からほんのちょっと顔だけだして、窓の外がすっかり明るいことを確認して、基は再び布団にもぐりこむ。


うはー・・ぬくぬく・・・・気持ちいー・・・・


早苗のように出勤時間がある生活を送っていないので、彼女の朝は大抵ゆっくりだ。


前夜に大はしゃぎした翌日は尚更。


ごろんと寝返りをうってさあ二度寝だと目を閉じる。


と、右手が柔らかい感触に触れた。


ん・・・?


コットンのパジャマの感触。


え、なんで、と一瞬眉根を寄せて、けれどすぐに思い出す。


ああ、そっか、藤野だ。


やっぱり大地は早苗をそのまま泊めてやったらしい。


出会った時からそつのない男は、きちんと基の要望をくんでくれたようだ。


憎らしいくらい、出来る男である。


同じように布団にもぐったままで。すやすやと眠っている隣人(ちがう)の姿に基は口元を綻ばせた。



隣に誰かが眠っていて、それがこんなに幸せなことだなんて、知らなかったよ。



自分以外の人のぬくもり。


こうやって、何もかも預けてしまえる、純粋で心地よい眠り。



ここに来たばかりの頃、いつもソファーで苦しそうに眠っていた彼女からは想像もつかないくらい、穏やかで、健やかな寝顔。




はる、もきっとこんな気持ちだったんだろうな。




はる、がどんな人だったのか、基は知らない。


けれど、はる、が藤野に与えた数えきれない幸せは、知っている。


一緒にいるだけで、伝わってくる。



この人は、ちゃんと、愛された人だ。



幼い頃から人の顔色ばかり伺って生きて来た基なので、ちゃんと見ればすぐに早苗のことはわかった。


彼女が癒えない傷を抱えている事も。



そして、藤野の話の端々を繋ぎ合わせるだけでおおよその想像はつく。



きっと、はる、は、この世にいない。



だから、いつも、藤野は、気づかれないように少しだけ目を伏せる。



溢れだしそうになる思い出を、必死に抑え込むみたいに。





そうして、それは、基自身のなかにもあった。


時には夢の中まで追いかけてくるあの日の、自我を持たない幼い人形。


両親によって示された理想通りの、志堂の伴侶の顔をした愚かで下らない人形。



夜は嫌いだ、不安になる。


だから、向こうの世界に入るならそれはやっぱり夜がいい。



怖い時間は止まったままで、嵐が過ぎるのを待つみたいに。


俺は、”椿”と旅をする。



大事な、大事な、夢の続きを。






・・・どうしよ・・・・もーひと眠りしよっかな・・・



原稿の続きは今日の夜でかまわない。


リビングから物音がしないところを見ると大地もまだ眠っているようだ。


クリスマスの翌日くらい、幸せな優しい朝にもう少し浸るのも悪くない。




いまなら、早苗のぬくもりが優しい夢を運んでくれる気がした。





・・・・・・・・・・・








「重たいー?」


「・・・・・・・重たい」



・・・・・・あ・・・またこの夢だ。


晴の肩に回した腕にぎゅうっと力を込める。


うん、晴は、ちゃんとあったかい。



「苦しいって・・・お前は俺を窒息させる気か」


「こんなか弱い乙女の力で死ねるわけないでしょーが。はっはっはー!頑張って歩け歩けー」


「・・・・腕相撲で、村上やつけたって?」


クラスメイトの男の子の名前を出されて、思わず言葉に詰まる。


・・・うわちゃー・・・・


なんで知られたくないことばっかり筒抜けになっちゃうんだろう。


「あれはねー、火事場の馬鹿力よ。タイミング的にばっちりだったのよ。たまたま、たまたま。だってそれに村上君そんな腕力無いし」


言いわけついでに、晴の肩に頭を預ける。


頬に、晴の短い髪が触れた。


あーあ・・・この感触、ずっと覚えてたいなぁ・・・





「おー、晴くん、早苗ちゃん」


仕事帰りの近所のおっちゃんが手を振ってくる。


「「こんばんはー」」


「どーした?早苗ちゃん具合悪いのか?」


おんぶ状態の元気娘に、加納のおっちゃんが心配そうな顔をしてくる。


「あははーちょっと怪我人なんでーす」


大義名分があるので遠慮なく背負って貰ってますと必死にアピールしておく。


「こら、危ないって」


呆れた顔で晴が、もう一度ずり落ちそうな元気娘を背負い上げる。


それはもう、体の一部みたいに。


仲の良い二人の様子に加納のおっちゃんは酔っ払った赤い顔をくしゃくしゃにして豪快に笑った。


「お前らいっつも仲いいなあー!仲良きことは美しきかなぁ~っと・・・遅いから気を付けて帰れなー」


手を振って、通り過ぎていくおっちゃんを見送って、また晴がゆっくり歩き出す。


もっと歩幅を狭めて。


なんならこのまま立ち止まったまま動かないで。



どうやったらこの温もりを無くさずにいられるの?



抱きしめて、抱きしめて、抱きしめて。


絶対に離れられないって。



そう言えば良かった。




いいなあ、15のあたし、こんな幸せそうな顔してたんだなあ・・・・こんなに柔らかく笑ってたんだなあ・・・







「・・・の・・・藤野・・・」


胸元で声がして、早苗は夢から引き戻された。


心地よい少し掠れ気味のアルト。



・・・ん?


目の前に飛び込んできた、柔らかいオレンジブラウンの明るい髪。



「・・・・もとい・・・?」


「苦しい、苦しい!」



寝ぼけて、抱きこんだ基の頭をぎゅうぎゅう締め付けていたらしい。


ばたばたともがいた基は慌てて解放して、ごめんごめんと謝罪する。



「胸に押しつぶされるっつーの」


「・・・男だったら感動もんでしょ」


細やかな膨らみではあるのだが、もっと細やかな基の膨らみを目にした後なのでちょっとだけ胸を張ることが出来た。


「男だったらな」



自分の枕に戻って、うつぶせになった基が顔をこちらに向けて、眦をふわりと緩める。


美少年は美少女に戻っても、やっぱり特別に綺麗だった。


「おはよ」


「・・・おはよ・・・あ、そだ。基じゃない時の名前は、なんての?」


「・・・貴美きみだよ」



基が、静かに教えてくれた。

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