第62話 聖なる夜のひとりごと
基が貸してくれたチェックのレディースサイズのパジャマに着替えて、(ちなみに色違いを基が着ている)ダイニングに戻ったら、テーブルの上にはクリスマス仕様のごちそうが所狭しと並んでいた。
冷えたシャンパンと、グラスを持って大地がこちらにやってくる。
そして、早苗たちの顔を見て笑った。
「リンゴ色」
「ひさびさに長風呂したあー」
「そんだけ血色いいお前見るのも久しぶりだもんな」
「いっつも烏の行水なの?」
「シャワーで終わりの人」
「へー・・・」
「冬場くらいちゃんと浸かれって言ってるのに全く聞きやしない・・・藤野、週2回ほど家で風呂入って帰れよ。そしたら、長風呂させられそう。基のベッドダブルだし、そのまま寝てってもいい」
シャンパンの瓶を基の頬に押しつけて大地が言った。
「つめた!!!そうだよ。もう一緒に寝るの平気だろ?泊ってけよ」
「んーそうだな・・・ここの風呂広いしいいよー」
基が美少年ではないことが判明した今なら、安心して同じお布団で眠ることが出来る。
「助かるよ。よし、じゃあ始めますか・・」
琥珀色の液体をグラスに注いだら、クリスマスの始まりだ。
誰かとの賑やかなパーティーは勿論のこと、クリスマス会も久しぶりだ。
あつあつのピザにグラタン、クリスマスケーキ、基の好きな野菜サラダもある。
グラスを合わせて3人で顔を見合わせて笑った。
「メリークリスマース」
・・・・・・・・・・
みぞれに濡れた体もほかほかで、冷たい風が入り込む隙間なんてどこにもない。
クリスマス特番が終わる深夜0時過ぎ。
大地が調子に乗って、秘蔵のワインなんて出してきたせいで、べろんべろんに酔っ払ってしまった基は、いつもなら早苗が爆睡するソファを陣取って眠ってしまった。
いつのまにこんなに食べたのか?
あれほどあったピザもグラタンもケーキもほとんどなくなってしまっていた。
彼らと出会ってから一気に増えた食欲。
眠れない夜は少しだけ減って行って、朝陽を見ても涙が零れなくなった。
残った基の好きなサラダは明日の朝食になるのだろう。
大地はいつも基の好物はかなり多めに用意しているのだ。
こんな所でも彼の面倒見の良さが伺える。
・・・・・・・・・・大地は何となく、山尾っちと似てる。
手近にあった小皿に残りを映して食器を台所へ運ぶことにする。
起きないだろうけど、念のためそっと。
・・・・ほんと・・・ちゃんと可愛い女の子だ・・・・・
丸くなって眠るその姿は、幼い女の子そのもの。
幸せそうな顔からすると、見ている夢は楽しいもののようだ。
クリスマスだもんね、締切とか、忘れさせてあげたいなあ・・・
「あ、ごめんな、片付け」
「いーよー」
基の部屋から戻ってきた大地が、小さく言って、眠ったままの彼女を慣れた様子で抱え上げた。
ダイニングで眠ってしまうのは基の標準装備のようだ。
「コレ寝かせてくるわ。そだ、お前も基のベッドで一緒に寝りゃいーよ。毛布もう一枚出しといたから。くっついて寝たら寒くないよ」
家に戻ろうかどうしようか迷っていた早苗の心を見透かしたようなセリフ。
思わず迷うことなく頷いてしまった。
「うん、ありがとー」
クリスマスの夜くらい、誰かに甘えたっていい。
片付け終えたテーブルを拭いていると大地が戻ってきた。
「まだ眠くない?」
「んー・・・そだね」
「紅茶入れようか」
そう言って、彼が片付けたばかりの台所から、ポットとカップを持ってくると、向い側に座った。
「どれでも好きなのどーぞ」
カゴの中にはいろんな種類のティーパックが入っている。
いつでも好きなものを選べるようになっているのも、きっと基のため。
早苗はアップルシナモンをチョイスしてポットからお湯を注ぐ。
ティーパックからゆっくりと紅茶がしみ出すのをぼんやり眺めていると大地が穏やかに目を細めた。
緑茶のパックを開けながら、視線はそのままで彼が口を開く。
「基が女だってほんとに気づかなかったんだ?」
「うん、声はちょっと高いなって思ったけどそれも最初の一瞬だけ。全然違和感無かった・・・・あ、違うか・・・・男でも、女でもない感じがしてたのかもしれない。・・・そういうの、どーでもいいし・・・基が女だったから、お風呂一緒に入って楽しかったな。ぐらいのもんよ。それは、そんなに重要じゃない」
綺麗に染まったティーパックをソーサーに取り出して、ストレートのままで飲む。
ほのかにシナモンのスパイシーな香り。
・・・ん・・・美味しい・・・
大地が緑茶を飲む手を止めて、今にも笑いだしそうな顔で早苗の眼を覗き込んだ。
あ・・・・この顔・・・知ってる・・・
ここで目覚めた早苗が最初に見た顔と同じだ。
「藤野が、基のアンテナに引っかかった理由がやっと分かったよ・・・そっかー・・・・あいつ、きっとそういう人間を待ってたんだな・・ずっと、探してたんだな・・・・」
確かめるみたいに、何度も頷いた後大地は表情を少しだけ硬くした。
「基の家のこと、聞いた?」
「さっきお風呂でちょろっとだけ。・・・久しぶりに
「・・・・俺が、基と初めて会ったときは、あいつ今の半分も話さなかったんだ。黙ったまま部屋の端でただじーっと知らない大人たちのこと観察してた。基の家は権力にやたらとこだわりをもつ奴らの集まりでね・・・・・志堂グループって知ってる?」
名前だけは聞いたことのある宝飾品メーカーが飛び出して、早苗は頷いた。
全国展開の国内有数ブランド。
早苗が働くパティスリーが入っている百貨店のジュエリーフロアにもたしか出店しているはずだ。
「基の家はそこの分家に当たるんだ。本家を継ぐのは代々直系の子息って決まっていて俺達の代の総帥は、もう決まってるんだけど・・・・・」
「俺達の代ってことは、若いんだ?」
「うん。今は父親のサポートをして、仕事を覚えて行ってる最中だし、実際にトップに立つのはずっと先の話なんだけど」
「へー・・・詳しいんだね」
「俺の父親が、現社長の右腕なんだ。うちも、志堂の分家に当たるんだよ。それで、小さい頃から、志堂のことは自然と耳に入ってくるんだ」
早苗はその話に少しだけ違和感を覚えた。
父親がそんな重役を担っているのなら、大地はどうしてここにいるんだろう?
カメラマンを名乗った彼のいまの生活を見る限り、志堂という名前を使って生きているようには見えなかった。
「大地は、いずれ彼の部下になんの?」
すぐじゃなくても、たとえば何年か先、顔も知らない彼が会社を担うようになった時。
隣に居て、彼を支えるのは、大地の役目なのではないだろうか?
早苗の質問に大地は笑って首を横に振った。
「俺は、志堂とは関わらないんだ。これから先、一生ね。志堂の右腕は、俺の弟に譲ったんだ。もともと面倒みのいいタイプでさ。俺と違って出来もいいし。だから、そんな心配しなくても大丈夫だよ。あいつを放り出したりはしない」
不安そうな顔をしていたんだろうか?
大地にそう言われて、早苗はやっと肩の力を抜くことができた。
基は、あの子は絶対にひとりにしちゃだめだ。
それはあたしが見ていてもわかる。
あの子は、まだ、強くない。
「跡取りが生まれてからずっと、配偶者のポジションを狙って、分家間では水面下での争いが絶えなかった。みんな望むことは同じで、本家との血縁を結びたくて仕方無いんだ・・・・もちろん、基の家も例外じゃなくて・・・あいつは可哀想に権力の駒になるためだけに大事に大事に育てられててね」
来るべき日に、志堂の家に嫁ぐためだけに飾り立てられた素晴らしいお人形。
大地は目を伏せたままで続けた。
「同じような境遇で育ったお嬢さんも勿論大勢いてね。でも、基は見た目も家筋も群を抜いていたから、当時の最有力候補は間違いなくあの子だった。だから余計、子供同士の集まりでは小さないがみ合いが絶えなかったらしい。俺はその頃もう半分大人だったから、噂話でしか知らないけどね・・・・だから、あいつは年の近い同世代の子たちとのコミュニケーションの取り方が分からないんだよ。敵意しか向けられたことがないからだろうなぁ」
華南、友世、ガンちゃん・・・みんなの顔が浮かんだ。
会えばくだらないことで笑いあって、はしゃいで過ごしたあの日々。
ケンカすることはあっても、長引くことはなくって、むしろ、ケンカするたび、前より仲良くなっていった。
言葉は歪まずまっすぐ届いて、ちゃんと受け取って笑ってくれたみんな。
当たり前みたいに繰り返された日々。
あれは、当たり前なんかじゃなかったのだ。
その時間を少しも味わう事無く過ごして来た基の無垢な笑顔が脳裏をよぎった。
知らないから、無垢なままなのだ。
「あの見た目だし、悪目立ちしたんだろうな・・・・・だから、その反動もあって、あいつ・・どんどん男っぽくなっていった。さすがに髪をばっさり切ったときは焦ったけど。・・・藤野と会ってから、ずっと落ち着いてるし・・・いまの方がずっといいよ・・・」
最後のそれは早苗に向かって聞こえた。
春に会った頃より、ずっといいよ。
うん・・・そうだといいな・・・
「・・・これまでと全然違う路線の話を描きたいって言い出したり、いい影響受けてる気がする。これまで描いてたファンタジー絵本でも、もっと、ふわふわした夢物語みたいなのを書いてたから。いきなり、リアルに生きてる人間が飛び出してきてびっくりしたんだ・・・本人否定してるけど、いまあいつが描いてるヒロインの要素は、きっと藤野から貰ったんだと思うよ」
マンガしか本を読まない早苗なのだが、ここに来るようになって、自然と活字に慣れて行った。
なんせ、来るたびに、パソコンに向かって難しい顔をしている基がいるのだ。
彼女が必死になって、生み出した話ならちょっと読んでみようかと思った。
最初は基が描いた絵本から始まって、今では書き下ろし小説の販売を誰よりも待っている。
自分が誰かにかけらでも影響を与えているのだと、初めて知った。
あの町を出てからはじめて自分の足で立っているのだと、ようやく分かった、クリスマスの夜。
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