第60話 あたしなら知ってる
「藤野ー、テーブル拭いて」
飛んできた台ふきんをキャッチして、基がノートパソコンを持ち上げた隙に手早くテーブルを拭いていく。
早苗がこの家に居る間じゅうずっとダイニングテーブルが仕事机になる事を知ってからは、こうして手際よく拭く癖がついた。
リナリア仕込みの角まで綺麗に戦法で今日もテーブルをぴかぴかに拭き上げる。
「お皿並べるから、下降ろして」
テレビの前のローテーブルを指して言うとしぶしぶ基が移動を始めた。
あーもう、まーた原稿の山崩す・・・・
職業は売れない作家とカメラマンと聞かされてから、色んな事が腑に落ちて来たが、基がどんなお話を描いているのかだけは教えて貰えていない。
基本的に本を読まない早苗は、尋ねても多分よくわからないだろう。
「俺こっちで食う・・」
脳内でストーリー展開中のせいで、他に思考が回らない頭の代わりにぐるぐる肩を左右に回しながら基が言った。
「だめ!」
即効却下する。
食事は家族全員揃って。
これは藤野家の基本中の基本である。
「せっかく30品目のサラダと、エビチリっていう、あんたの好きなものばっかり買ってきたんだからね!目の前でせいぜい美味しそうな顔見せてちょーだい」
なんとなく腰に手を当てて言ってみる。
本日もタイムセールでゲットしました。
こういうとき職場が百貨店というのは物凄くいい。
デパ地下まで数分でたどり着けるのだ。
もちろん、仕事場である老舗パティスリーのケーキもちょくちょくお持ち帰りしてるけど。
早苗の発言に基はなぜか照れたように顔を赤くして、はいはいと早口で返事した。
手際よく大地が作った大根と豆腐のお味噌汁をテーブルに並べる。
ほかほかご飯は炊き立てで、つやつやだ。
ここに来るようになってから、早苗はお肌の調子も、気分も体調も抜群に良い。
これまでの絶不調の毎日がまるで嘘のようだ。
あの日以来、迷惑だった別店舗の営業からのアプローチも収まってずっと顔を見ていないせいもあって、行き帰りも気分爽快である。
食卓の話題で上がるのは、その日来たお店の面白いお客さんのこと。
昨日見たテレビのバラエティー番組やドラマのこと。
その殆どが早苗にとってはどこまでも懐かしい、たわいのない会話。
それがこんなに居心地良くて、自分を楽にしてくれるものだということを、早苗はずっと忘れていたのだ。
この数年間、ずっと。
「最後のエビもーらいー」
「あっ!ずる!」
「早いもの勝ちー!」
「一口、一口!」
基が子供のようにぎゃーぎゃー騒ぐ。
仕方なく、大口開けて待つ、彼の口のエビを持って行く。
ぱくっと、一瞬にしてエビ1匹丸ごと基の口に消えた。
「ちょっとー!一口って!」
「一口ってこの大きさだもん」
「なにー!!!」
けろっと言って、ご飯を頬張る彼は全く悪びれていない。
もう、まったく可愛くない!!
食欲がない時は、どんなに美味しいケーキだろうとご飯だろうと、頑として受け付けないくせに!
「悪い、藤野、食い貯めさせて」
お茶を運んできた大地が申し訳ないと、呆れ顔で言った。
「はいはい、育ち盛りの男の子に譲るわよ・・・」
そりゃあ、あたしとほぼ同じ身長で・・・・肉は・・・こっちのがかなり付いてますけど。
・・・ん?
早苗の言葉に基と大地が微妙な顔でこっちを見てくる。
なに・・・?
首を傾げる早苗に、へへへと変な笑い顔を向けた二人は食事に集中し始めた。
その微妙な顔のワケはその後しばらくたって、分かることになる。
・・・・・・・・
クリスマスなんて興味はない。
そもそも、あれって、カップルとか小さい子供のいるご家庭で楽しむものでしょ?
だから、お店のシフト変更を頼まれた時も何も思わなかった。
予定もないのに、ひとりで家にいるよりは仕事でもしてるほうがずっといい。
忙しいのにごめんね!と嬉しそうにシフト表を変更する先輩社員を横目にしながら、楽しいクリスマスなんて口に出来るぐらいには、他所事だったのだ。
今週は、外交の嫌いな基も無理やり出版社のパーティーに連れていかれてしまった。
物語を綴ること以外の面倒ごとは極力全部遠ざけてやりくりしているらしい基なので、いつもなら、大地が代役で対応するのだが今回ばかりはそうもいかないらしい。
基が新しく始めたファンタジー小説が好評らしく、メディア化やグッズ化の話が舞い込んできたらしいのだ。
一度顔合わせをと何度も言われてのらりくらりと逃げて来た彼も、とうとう観念したようだった。
衣装合わせが必要だからとセレクトショップに連れて行かれる基の顔は終始浮かなかったけれど、あれだけの見た目を生かさない手は無い。
クリスマス外交頑張れと背中を押しては見たものの。
3人に慣れてきていた早苗としては、やっぱりひとりだとどうにも落ち着かない。
去年は平気だった一人ぼっち。
今年は寂しくて仕方ない。
・・・・・・・・
クリスマス用デコレーションケーキを受け取りに来た予約客に、用意してある大量の紙袋入りケーキを順番に手渡していく。
付き添いでやって来た子供たちは揃って嬉しそうに紙袋を受け取る。
ああ、この子達はまだサンタさん信じてるんだろーなー・・・・・・・クリスマスパーティー・・・したなぁ・・・・・
あの頃は、まだガンが華南に告白できなくて・・・野球部の周りが必死にくっつけようとしてたっけ・・・・・
ケーキよりも、みんなではしゃいだ記憶ばかりが蘇る。
そうか・・・あたし、ひとりでいたことが去年まで無かったんだ。
小さな町だったので、幼稚園からずっと顔馴染みのメンバーの中で育ってきた。
一人っ子も、末っ子も、長男も、みんなごちゃまぜで生活していたので、完全にひとりきりになった記憶は・・・どこまで遡ってもやっぱり無い。
宴会好きの父親のせいで、毎週のように藤野家には人が集まった。
バーベキューやそうめん、お好み焼きにたこやき・・・・
目を閉じれば、にぎやかな食卓ばかりが浮かんでくる。
大きくなって、子供たちだけで集まるようになってからもそれは変わらなかった。
・・・・コンビにまでの道のりを、手を繋いで歩いたりしたっけ・・・・・・
それだけ寒くても、少しも気にならなかった。
妙にそわそわして、でも、楽しくて。
この手を離さないことばかり、考えていた。
・・・・・・・・・
予想通り、残業を終えて従業員入り口の方へ向かえば、窓の外はみぞれが降っていた。
ロッカーの置き傘を差して、寒さと雨に覚悟を決めてからドアを開ける。
「おっせーよ!!!」
急に聞こえて来た盛大なクレームに目をぱちくりさせる。
目の前には、基と大地が立っていた。
「は・・・!?」
呆然とする早苗に、基が仏頂面のまま白い箱を差し出す。
「メリークリスマス」
「なんで!?」
「パーティーの帰り道、行列のケーキ屋見つけてさー」
「基がどーしても食べたいって言うから寄ったんだ。それで、ついでに迎えにきた」
「え、は?・・・嘘!・・・、み、みぞれ降ってんのに!?」
このくそ寒い中、ケーキの箱抱えて・・・・・・そんな、まるでサンタさんみたいに・・・
「ちょうどコンビニの傘も1個しかなくてさー」
「ケーキはいいから、あんたたち傘に入りなさいよ!!」
「あーまー・・ほら、俺らは風呂入れば済むからさー、大丈夫」
「大丈夫って・・・あのね!」
「とりあえず、タクシー拾おう」
まだ食ってかかる早苗を制して、大地が大通りに向かって歩き出す。
早苗は基からもらったケーキを濡らさないように、慎重に傘を差して歩き出した。
驚きと喜びでどんな顔をしていいのか分からない。
「誰かになんかプレゼントするってのも楽しいもんだよなー」
嬉しそうに両の目を輝かせて、基が心なしか胸を張る。
早苗はしっとり濡れてしまった基の肩を優しく叩いた。
「ありがとね、サンタさん」
その、気持ちが、なによりも一番、嬉しいよ。
・・・・・
いつものごとく、基たちのマンションに転がり込む。
タイマーをかけていたらしく、部屋はエアコンで温もっていた。
けれど、やっぱり濡れた身体はそう簡単には温まってくれない。
「沸かすから風呂入れ。基、風邪ひく」
そう言って大地がすぐさまバスルームへ向かう。
「えー・・・いいって」
「締め切りあるんだぞ。寝込んだら困るから」
容赦なく言い返されて基が子供の様に唇を尖らせた。
意図せず長時間待たせてしまった早苗は申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
「お前のが濡れてんだから、大地先入れって」
「体力考えたらそっちが先」
ふたりのやりとりを聞いていた早苗にふと名案が浮かんだ。
「どーせなら、いっぺんに入っちゃえば?」
そうしたら、どっちも風邪ひかなくてよい。
早苗の実家で幼馴染たちとお泊まり会を決行した夜は、狭いお風呂場で男子4人がいっぺんに身体を洗って大はしゃぎしていたものだ。
当然早苗も、お風呂はいつも友世と華南と一緒だった。
その方が早く済むし、何より楽しい。
男同士なら気にする必要もないだろうと思ったのだが、予想に反して基が顔を真っ赤にして視線を逸らした。
「じょ・・・ジョーダンだろ・・・・・絶対無理だから」
珍しく焦った様子で大地を見上げる。
その視線を受けて、大地が真顔で言った。
「・・・まーねー・・・・どっちかってゆーと、藤野と基が一緒に入る方が無難かな・・・と」
はい・・・?
今度は早苗が固まる番だ。
「なんであたしと基が・・・?」
言葉の意味が理解できずに首をかしげる。
んん?
早苗の顔を見た基が一つ溜息を吐いて、早苗の右手を掴んで、自分の胸に押し当てた。
細やかだが確かなまろみを感じて、身体が一瞬強張る。
「つまりー。こゆこと」
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