第59話 忘れじの故郷

「あ、山尾君!」


「おー友世、今帰り?」


改札を抜けてすぐに、見知った顔を見つけて友世は足を止めた。


斜め後ろからやってきた医大生の山尾が並ぶのを待って歩き出す。


幼馴染の中で一番気が合う山尾は、友世が緊張せずに何でも話せる数少ない男友達だ。


モデル並みの長身のくせに、どこかトロイ友世の歩調に合わせて、いつもの倍ゆっくりと歩きながら山尾は携帯を取り出した。


「こないだ、浜ちゃんからメール来てさー。ガンとこの子供生まれたら、お祝にパーティーやろうって」


「うん!予定日来月だしねー。あ、でも山尾君勉強色々大変そうだけど、大丈夫?」


地元住民の健康を一手に引き受けている山尾内科医院の大切な跡取り息子は、有能な医師になるべく青春のすべてを勉強に捧げている。


「日取りだけ先に決めておいたら、なにかしら理由付けて時間作るようにするから大丈夫」


昔から要領の良かった彼らしい言葉だ。


高卒で実家の酒屋の手伝いを本格的に始めたガンと、大学に進学した大と山尾と華南、短大に進学した友世も早苗。


それぞれの進路が別れると昔ほど頻繁に顔を合わせることは無くなったけれど、それでも週に一度は誰かがリナリアにマスターの様子を見に行くようにしていた。


そうすると誰かしらと顔を合わせるのが常だった。


優しい彼のことだから、友世に気を遣わせないようにそう言っている可能性ももちろんある。


けれど、いつだって大事な時には、7・・が顔を揃えるのが幼馴染だった。


未だに6人になってしまったことが信じられない時がある。





帰宅ラッシュ時間でも、この海沿いの道は人が少ない。


ここを通るたび田舎で良かったと思う。


子供のころと何も変わらない景色を見ると、そのたび呼吸が楽になって、同時に寂しくなる。


「・・・・早苗・・・どこにいるんだろ・・」





飲み会のたびに、話題になっていた藤野さん家のにぎやか娘の話題は、最近ではタブーになっている。


「武者修行に出るんだとよー!!そのうちもっと五月蠅くなって帰ってくらあ!」


最初こそ、豪快に笑っていた父親も手紙1通寄越したきり何の連絡も無い娘の安否が気にかかるようだった。



山尾が友世の肩を優しく叩いて穏やかに口を開く。


「俺さ、なんとなく海の無い街に居る気がするんだ・・・・ほら、波の音とか聞くとさ、思い出しちゃうだろ?俺たちがいっつも遊び場にしてたのはこの海だったし・・・」




貝がら拾いも、チャンバラごっこも運動会の打ち上げも、悩み事の相談も。


・・・人生最大のプロポーズも・・・みんな、この海の大切な想い出だ。




「・・・極端から極端へ走るのが早苗だからなあ・・・・・意地張って一人で頑張らないで、早く帰ってくればいいのに・・・こんなにみんな待ってるのにね」


「無理やり連れて帰って納得するようなタマじゃないしなあ・・・・元気でいること祈るしかないよ・・・・・どうする?友世、寄ってく?」


すぐ目の前に見えてきたガンの酒屋を指さして山尾が尋ねた。


友世はふたつ返事で頷いて、店を見て笑う。


「だって、もう大くん来てるよ?」


店の前でひらひらと手を振る幼馴染の顔を見つけてふたりは揃って駆け出した。









・・・・・・・・・・・・・・・









「いらっしゃい・・・そろそろ来ると思ってましたよ」



いつもの笑みを浮かべて、常連客を招き入れたマスターは、注文を聞かずにコーヒーカップを用意する。


店に出すそれとは違う、いつもは棚の奥にしまわれている特別なカップだ。


「おっ・・・写真変えたのかあー・・・・うちの娘がベッピンに映ってらぁ」


フレームの中で笑う少女を日に焼けた太い指で撫でて、藤野は目を細めた。


中学2年生の頃だろうか?


制服姿の晴と、早苗があの席で楽しそうに話をしている様子が見てとれる。


カメラに気づかず話し込んでいるところからして


「なに飲む?」


「んー・・・ブレンド・・・いや、まってでもー・・・カフェオレも・・・アイスかな?」


なんて相談をしているに違いない。


そんな会話が聞こえてきそうな、生きた一枚だった。





無言のままカウンターに置かれたカップにゆっくりと口を付けて、藤野はまるで煙草の煙を吐き出すように息を吐いた。


そして、ポケットからしわの寄った箱を取り出すと、カウンターのカゴからマッチを取って、火を付けた。


・・・あー・・・本数数えるって約束したけどもう忘れちまったなあ・・・・


数日前、妻とした会話を思い出し、苦笑する。




「ちょうどここから、撮ったんですよ」



カウンター越しに、カメラに見立てて四角く囲んだ両の手を、ぐるりとあの席に向かわせて。


まるで、本当にファインダーを覗いているみたいに、真剣な顔で。



「ただの飾りのつもりだったのにね・・・・・・ふと、フィルムが残ってることに気づいて仲良く喋る2人にカメラを向けたんですよ・・・・・頬杖ついて、テーブルに落書きするさなちゃんに晴が何か言って・・・・・・楽しそうにふたりで大笑いしてたなぁ・・・」


そう言われてみれば、早苗の顔は笑い出す前のようにも見える。




そこは誰も触れられない、神聖な場所。


向い合った2人に見えていたのは、いったいどんな景色だったのだろう?






「・・・いい顔だなぁ・・・・この世の幸福全部、ここに詰まってる・・・・・まっすぐで・・・・」



疑うことなく。


確かなものが。


この場所にあったこと。



「・・・ウチの娘にしたかったなぁ」



晴と、早苗がいつか店を継いで、あのとき話していた新メニューを一引っさげてリニューアルオープンなんて。



「・・・もしやったとしても、もっと後の話だよ・・・・晴坊なら2発で勘弁してやってもいい・・・そんくらい・・思ってたよ」


「・・・・・知ってますよ・・・」


「ここを出るって言ったとき・・・思わず手ぇ上げかけた。あいつもその覚悟してたんだろうなぁ・・キッと俺を睨んでた。右手を振り下ろそうとして・・・・・・」


言葉に詰まって、カップに視線を落とした藤野に、マスターが小さく促す。


「振り下ろそうとして・・?」


「・・・どーしてもできなくってな・・・気づいたら、抱きしめてたよ・・・・・・・がんばれ、がんばれ・・・って」


「藤野さんが、そうだから・・・さなちゃんが、ああいう子に育ったんですね・・・・・・晴が惹かれたワケも、分かりますよ・・・・・」


マスターの言葉に、藤野は苦笑を返した。


照れ隠しのように、勢いよくコーヒーを飲み干す。


「さて、怖いカミさん待ってるし、帰るよ」


いつものようにあっさりと席を立つ彼にマスターも軽く頷いた。


「次は、コーヒー代の代わりにアテでも持ってくるわな」


「楽しみにしてますよ」


「・・・あー・・・そーだ・・・そのうち耳に入ることだから、言っとく。・・・近所の世話焼きばーちゃんが、あんたに再婚の世話しよーと、家に相談に来たんだ。あ、もちろん、こっちで断っといた。そんな気無いんだろ?」


「・・・ええ・・・その気はないです。こんな寂しい思いするのは、僕ひとりで十分でしょう?」


穏やかな表情のままそう告げたマスターの肩を軽く叩いて、藤野はゆっくりと店を出た。

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