第58話 そこに、花は、咲きますか?
一番最初に浮かぶのは、日当たりの良い縁側の長椅子に座って、黙々と本を読んでいる姿。
その姿を見ていると、文字を追うのは視線だけで、心はどこか別の場所に置き去りにされているようななんとも妙な感覚に陥る。
こみ上げてくる違和感と嫌悪感。
ああ、そうだ、これは船酔いに似ている。
いつだったか無理やり両親に連れられて乗った釣り船で、終始蹲って陸に帰せと訴え続けた苦い記憶が蘇って来た。
それに気づいたら、さらに嫌になった。
だから、最初は基が苦手だった。
和室に集まった親戚連中の視線を避けるように部屋の片隅で小さくなったまま動かないそれは、よく出来た人形のようだった。
美貌で知られた母親譲りの見た目の良さは、ついに一鷹の目に留まることなくその役目を終えてしまった。
水面下で一番に名前が上がっていたのは間違いなく基で、分家筋の誰もが悔しそうに本決まりになるのも時間の問題だろうと零していた。
年齢差を考えても、家筋を考えても、ほかに相応しい者などいない。
けれど、それは夢物語で終わってしまった。
今後の身の振り方を必死に考える大人たちの張り詰めた空気を受けながら、けれど、視線だけは下ろすまいと必死に肩に力を張っている、わずか14歳の基を見たとき、初めてこの子は人形では無くて、子供なのだと思った。
俺には、本当にただの小さい子供に見えたのだ。
そうして、あの陰鬱な屋敷を抜け出すまでにかかった数年の歳月。
静かに、静かに、基に掛けられた呪いのような呪縛を解いて行った。
この世界をもっと好きになれるように。
なりたい自分を見つけ出せるように。
そして、出来ることなら生まれてきて良かったと、いつかの未来笑えるように。
何もかも与えられてきた基に、本当に必要なもの。
笑い合える友達や、叱ってくれる大人のいる正常な外の世界。
遮られず、妨げられず。好きな場所で、好きなように。
世の中の子供達に、当たり前に与えられてきた愛情が、完全に欠落していた基が唯一興味を示したこと。
それは、たった数ページのおとぎ話。
ふしぎな世界に迷い込んだ少女が妙なお茶会に参加したり、体が大きくなったり縮んだり、トランプに追いかけられたりして最後は結局夢でした。
という、オチのあの話。
「実はさー、これが夢ってこともあんのかなー?」
庭園のような庭を散歩しながら落ちた桜の花びらを拾い上げてその感触を確かめるようにそっと零された一言。
どう答えようか迷って、やっぱり問いかけることにした。
「・・・じゃあ、お前はどんな現実を望む?」
叶わない夢を見せるのは、余計に傷つけるだけだと、心のどこかは警笛を鳴らした。
二人のこれからを考えるなら、絶対にこれ以上深入りするべきじゃない。
ここから一歩外に送り出してやる。
その背中を押してやる。
たったそれだけのことでいい。
何より、何の力も持たない俺に何ができる?
見た夢全て、叶えてやれる保証もないのに。
それどころか、”彼女”自身を守っていける保証すらないのに。
逡巡したまま答えは出せず、何も選べずに時間だけが過ぎて行った。
けれど、思わぬところで運命は動き出す。
基の願った現実が、ひとつ、形を成して現れたのだ。
あの日から、世界が変わり始めた。
ずり落ちてきたメガネを押し上げつつブラックコーヒーを啜った基の鼻先に印刷したばかりのゲラを突き付ける。
「セリフ回しがおかしい」
「えー・・・なんでだよ・・」
じーっと打ち込んだ文章を読み返してふくれっ面で言い返してくる。
いつからこんな生意気になったんだ?
ここ数年で感情表現は以前の倍ほど豊かになった。
人見知りの激しさは、相変わらずだけれど。
それでも、毎日何かしら新しい発見をしては新しいスポンジのように吸収していく。
まるでこれまでの日々を取り戻すかのように。
あれほど長かった髪をバッサリ切って以来言葉づかいは乱暴になる一方で、最近では近隣住人にも”兄弟”だと思われている。
清らかに美しく、と徹底した教養を押し付けられてきた反動か、今更ながら親への反抗か、出会った頃の面影はその整った容姿だけを残すのみ。
最近興味を持ったのが少年漫画で、その後も色々と同じ類のものを欲しがるまま与えたせいか、籠の鳥をやめた深窓の姫君は、すっかりやんちゃな美少年に変貌を遂げていた。
さすがに”俺”は止めさせたほうがいいかな?
編集をはじめ仕事関係の人間は、これも基の個性だと朗らかに受け止めてくれているが、彼女のこの先を思うと放置するのもどうかと思えて来る。
妙なくらい男言葉がしっくりくるので、弟だと思うほうがいくらか気楽なのことに変わりは無いのだが。
基の言葉遣いと態度のおかげで、つい2か月前、彼女が拾ったワケあり娘の藤野も、今だに二人を”兄弟”だと思っているようだ。
詳細な説明を未だにしていないこちらにも責任はあるのだが、彼女自身も触れられたくない過去があるらしく、お互いの身の上話はしないままここまで一緒に過ごして来た。
過去を知らずとも人は寄り添い合えるものなのだ。
ちらりとソファーで熟睡中の眠り姫に視線を送る。
ここには寝に来てるようなもんだな・・・
本人は半分も覚えていないけれど、藤野は眠っているときは必ず夢を見ているらしい。
そしてたびたび聞こえてくる名前は
・・・晴・・・・
こちらの事情が事情だけに、藤野の方の話も一切その名前について聞いていない。
大地から基になにかを尋ねる事もしていなかった。
・・・・同じような傷があって引っ掛かったんだろうなぁ・・・・
基の寂しいの音と、藤野の寂しいの音は音程こそ違えど、同じ音色を奏でている。
響かせたい色が似ていれば似ているだけ、近くなって、離れがたくなる。
あの日、タクシーで気を失った藤野の手を握ったまま基が言った言葉。
「・・・こんななるまで戦う人もいるんだね」
たったひとりで・・・・
藤野は、あの日のまま1人走り続けた基の未来の姿だったのかもしれない。
だから、余計放っておけなかった。
「倒れる前に、助けるスーパーヒーローもいるけどな」
およそ同じ身長だろう基の肩にぐったり寄りかかってしまった藤野の体を引き受ける。
ここ最近さらに食欲旺盛とは言え、仕事柄体力が余りない基の負担は少ない方が良い。
こちらの意図に気づいたのか、大きな目を一度大きく瞬かせて、基は泣きそうな顔で笑った。
「ありがと」
あの日の、自分に、そう言われた気がした。
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