第55話 ついてこい!

おぶさった、広い背中。


昔は変わらなかったのに、なんで、いつのまに?


疑問に思う前に、安心感でいっぱいになって、すぐに小さく笑った。


「んー?どしたぁ」


ずり落ちそうになったあたしをよいしょと背負い直して、一瞬だけ晴がこちらを見た。


けれど、視線を合わせるとまたすぐに前を向く。


目の前は真っ暗な夜道。


鈴虫の声がする。


「なんもなーい」


「あっそ。足まだ痛い?」


昼間、サンダルでテトラポット上りをみんなとやったので、靴ずれしてしまった踵を気遣う声だった。


出来た水ぶくれはおっちゃんと晴がふたりがかりで潰してくれた。


大きめの絆創膏が貼られた右の踵。


「・・・いたい」


「明日は店で遊ぶかー」


外遊びから変更ーと晴が呑気に言った。


「あ、んじゃあ本格的に宿題する」


「おっけ」


本当は、踵は見た目ほどそんなには痛くなかった。


でも、離れがたかったのだ。


重い重いと文句を言いながらも、晴は一度もあたしを下ろそうとしなかった。



それが、どうしようもなくくすぐったくて。


どうしようもなく嬉しかった。



いつも聴きなれているはずの波の音も、晴のビーチサンダルがアスファルトを擦る音と一緒に聞くと、不思議といつもの倍心地よい。


髪をうねらせるうんざりな潮風も、ちっとも気にならなかった。



ふたりだから。



一番安心できる場所だと思った。


そう、初めて特別な、場所だと思い知った。



夏も終わりの海岸で。







・・・・・・・・・・・・・・・






「・・・・はる・・・」


口にしてから、自分の寝言に驚いて目が覚めた。


こんなことってなかなかない。


いつの間にかソファで眠ってしまっていたらしい。


早苗は勢いよく体を起こして、辺りを伺う。


どう考えても寝心地の良すぎる高級ソファーは間違いなく我が家のものじゃない。



そりゃそーだ・・・ご近所さんの部屋だもんな。



すぐ目の前のダイニングのテーブルでは、最新式のノートパソコンと睨めっこ中の基の姿が見えた。


その向かいでは、紙の束にペンでチェックを入れる大地の姿。


あら、基ってば近視なの?


可愛いプラスティックフレームの赤が目に留まる。



規則正しく動く指先はそのままで基がちらりと視線をこっちに寄越してきた。


眼鏡越しに、あの人懐こい笑みを浮かべる。


それだけでほっとして、嬉しくなる。




「でっけー寝言な」


「こら、女の子にむかってそーゆー口きかない」


すかさず大地の突っ込みが入った。


紙の束で頭を叩くおまけつき。


たしかに・・・


「あたしも自分の声にびっくりした・・・」


「はる、ってツレ?」



興味でもない、何かのついでみたいにサラっと基が訊いてきた。


大地は席を立ってキッチンに入る。



「・・・・・・・・・幼馴染」



何年かぶりのセリフは、思ったよりも胸に突き刺さらなかった。


もっとぐさぐさ来て死にそうになるかと思ったのに。



「ふーん・・・」


そう言って基はまた画面に向かって何かを打ち込んでいく。


早苗は、次の言葉に迷った。


いなくなっちゃったんだけどね。


めっちゃいい奴でさー。


ずっと一緒に遊んでたんだぁ。


浮かぶ言葉は沢山あるけれど、・・・どれも本当には当てはまらない。




「はい、起きたなら水分補給しな」


大地がグラスにウーロン茶を入れて差し出してくれる。


「・・・ありがと。ちなみにいま何時?」


冷蔵庫から出されたばかりのそれは程よく冷えていて、渇いた喉をするする通って行く。


早苗がグラスを口から離すと同時に大地が言った。


「夜中1時」


「うわちゃー・・・・日付変わってるじゃん。遅くまでごめんね」


デパ地下のタイムセールの戦利品を片手にここにやってきたのが午後21時。


遅めの夕飯を3人で食べて、ソファでごろごろし始めてから、数十分後の記憶がない。


「サスペンス終わった頃にはもうグースカ言ってたぞー」


「うそ!イビキ掻いてた!?」


さすがに女子としてそれはと青ざめれば。


「・・・・・それはないけど」


「気持ち良さそうに寝てたから、ほっといた」


「俺たちもそろそろ仕事しなきゃヤバイ頃合いだったしね。どーする、帰る?」


大地の言葉を継いで基が口を開く。


「朝まで居てもいいぞー」


「んー・・・お風呂入りたいし、帰るわ」


なんだか久しぶりに今夜はよく寝れる気がする。


きっと。





・・・・・・・・






マンションの前まで基とゆっくり歩く。


走ればすぐの距離なのだが、目の前の自販機でコーラ買うから、と付いて来たのだ。


基は夜空を見上げたまま。


ぽっかり浮かぶまん丸のお月さまみたいに空いたままの口が気になって仕方ない。



「口閉じないと、虫入るよー」


「んなばかな・・」


「いや、マジ。あたし飲み込んだことある」


「うっそ!」


「ほんと、んでだいぶ噎せた・・・」


「すげーな・・・貴重な体験したなー」


「一緒に居た晴が、大笑いしながら背中さすってくれてさー・・・だって生きたままだったらお腹ん中で暴れるかもしれないでしょ?あれはもう本気で怖かったなー・・・」


「いや、飲みこんだ時点で死んでるだろ」


あり得ないと笑う基に向きになって言い返す。


「えええー、生きてるかもしれないでしょ?・・・・晴とさぁ・・・・・色んなことしたんだー・・・小さい漁師町で育って・・・ずっと一緒で・・・あの頃は怖いこととか無かったなー・・・・・怖いことがあるなんて知らなかったし。なんだろ、あの頃の無敵感・・・・・・・・・嘘みたいに一瞬でなくなっちゃったけど」


するりと晴の名前を口にしたら、もう勝手に思い出が飛び出していた。


目を伏せて頷いた基が、固まった肩を回してうーんと伸びをする。



「そういう時期ってあるよ。つーか、俺もあった。でも、大人だっていつだって、無敵んなれるよ」


やけにあっさりと基が言ったので、早苗は自販機でついでに買ったレモンティーを飲む手を止めて彼を見た。


「・・・・・どやって?」


「なりたいもの、見つけることかなー・・ほら、目標みたいなもんが見つかったらさぁ・・・・・やるしかねー!!って気になるだろ?それが、自分を強くしてくれるって思うんだ。あ、これは超個人的意見な。でも、自分でそれを見つけて、選んでからは・・・・なんとなく、グラグラしなくなった気がする」



・・・・なりたいもの・・・・


あの日を境に、それはとんと考えたことの無い未来だった。




あたしは、いったいなにになりたかったの?




「それっていくつでも見つかるもん?」



もう遅いんじゃないだろうか?


子供というには早苗は年を取ってしまった。



「心の持ちようによるんじゃねーの?」


「そっか・・・」


「それにほら、藤野は、俺よりちゃんと社会に出て働いてんだから、その分色々と世の中を見てきたわけだろ?むしろ俺にアドバイスしてよ。人生がより豊かになるよーな立派なアドバイス」


どこかの保険のCMみたいなことを基が言って早苗は深夜ということも忘れて道端で堪え切れずに大笑いしてしまった。


そのまま涙交じりで、基を振り返る。


何かを期待させるような、真っ直ぐな眼。



「よーし!!社会人の先輩として、色々と指導してやろうじゃーないの・・・そーね・・・とりあえずはー・・」


「とりあえずは?」


「とにかくあたしについてこい!!」



拳を突き上げた早苗にぎょっとして、けれど基は満面の笑みで頷いて同じように拳を握った。

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