第54話 雨でも平気

「藤野さん、なんか最近元気だねー」


ロッカーで珍しく声を掛けてきた先輩社員の方を振り向きながら、早苗は上着を羽織る。


「そうですか?」


「なんか、以前はちょっとピリピリしてたから。あ、別に詮索するとかじゃなくってね?ここ数日はずっと表情も穏やかだし良かったと思って」


同じ部署でパソコンを並べているので、早苗の醸し出す微妙な空気を敏感に感じ取っていたらしい。


「・・・すいません」


まさか無意識にそんな心配をされていたとは・・・


本当に余裕のなかった自分に気づいて、早苗はぺこりと頭を下げた。


「ちょっと・・・ここ数日体調悪くって・・でも、もう落ち着いたんで大丈夫です!自己管理もできないなんて社会人失格ですよね」


「そんなことないわよー?私だって、プライベートで色々あった次の日とかほんっとヒドイ顔でひどい態度だもの。なんでもかんでも割りきれないわよねぇ・・・」


「・・・・え・・そーなんですか?先輩いっつもきびきびしてるイメージしか・・」


書類片手にあちこちに指示を飛ばすカッコいい主任のイメージしかなかったので、少々面食らってしまう。


シャツのボタンを止めながら、彼女は小さく苦笑して言った。


「必死で取り繕って、化粧で上手くカバーしてるだけよ。年の功よ」


未だにクマも上手く隠せない。


その場限りの適当な関係しか保てない。


あたしはまだこんななのに。


「私でも・・・出来るようになりますか?」


もっと、勇気とか、自信とか。


せめて胸を張って笑える自分を。


取り戻せる?


「ぜんぜん大丈夫よ。悩んだことは、糧になるし、経験はちゃーんと生きて自分の中で活きてくるから」


さりげない一言が、ずしん、と胸に響いた。


目を瞑って思い出にすらできない、経験でも?


喉にこみ上げてくる、声にならない声。


グラリと視界が揺れそうになる。


しっかりしろ!


「・・がんばります」


必死に笑みを作って声を出す。


擦れた早苗の声に、彼女は少し表情を緩めて小さく続けた。


「・・・これでも、藤野さんよりは年とってるし人生経験もそれなりに、まあ、豊富よ?だから、何かあったらいつでも相談してね」


人との距離の取り方が上手な人だな。


押して、引いて、きちんとちょうどよい距離感をつかんでる。


きっとあたしが、いやだと感じたら、さっと手を引っ込めた。


大人の、社会の、渡り方を知ってる人。


「ありがとうございます」


あの町ではどこにも無かった関係。


関係アリかナシか、だけの間柄じゃない。


微妙な、曖昧な境界線の上を、波のように行ったり来たりしている。


名前の無い、けれど、ただの通行人じゃない。


会社という枠組みの中でのみ、成立する。


なんとも不思議な関係。




足早にロッカーを出て、従業員出入口の方へ向かう。


裏口近くの窓に、雨粒が光って見えた。





「・・・・どしゃぶりじゃん・・」


長くロッカーに置きっぱなしの古びたビニール傘が折れたりはしないだろうか?


街路樹が揺れる様を見ながら、憂鬱な気分でドアを開けると、携帯が鳴った。


最近、相手を確認せずに電話に出る癖がついた。


もともと、この番号を知っている人間はほんの少数だし、問題はない。


早苗は折り畳み傘を開きながら、通話ボタンを押した。


傘に撥ね返る大きな雨粒がばちばちと派手な音を立てる。


アスファルトに叩きつけるように降る雨。


「もしもーし?」


自然に大声になる。


相手側からも雨の音が聞こえた。


どうやら外にいる人物らしい。


「藤野!?」


彼の性格を表すような、まっすぐなよく響くアルトが耳に飛び込んでくる。


「基、どしたの?」


「大地が山ほどコロッケ揚げてさー。二人じゃ食いきれねーんだよ。んで、夕飯のお誘いに」


「それは一食浮くし、物凄くありがたいけど・・・あんた今ドコ?」


「有名百貨店のー、東入口ー」


歌うような、口笛でも吹きそうな、ご機嫌な調子で基が告げた。


早苗は途端に走り出す。


従業員入口から東入口までは、ダッシュで1分半の距離だ。


「こんな土砂降りなのに、なんで店の中で待ってないの!?」


大声で怒鳴ったら息が切れた。


それでも走るのをやめない。


建物の角を曲がると、レンガの植え込みの前に同じビニール傘を指して、ニコニコとグレーの空を見上げる彼の姿が視界に入った。


「よぉ、お疲れー」


まるでバイトの同期にするみたいな挨拶。


早苗は肩で息をしながら、早口に返す。


「ただいまっ」


呆気にとられて、ぽかんと口を開けたまま早苗を見返した基は、斜めに吹きこんできた雨粒が口の中に飛び込んできて、我に返った。


そして、くしゃくしゃに顔を歪めて照れ臭そうに笑う。


「あ、うん。おかえり」


「あーもう、やっぱり濡れてるし」


肩も、足元も雨に濡れてしまっている基を見て早苗が眉間に皺を寄せた。


けれど、早苗が言を継ぐ前に、基が口を開く。


「ヒトゴミ、嫌いなんだよ。田舎育ちだからさあー」


午後18時を回った百貨店の1階フロアは仕事帰りのOLであふれている。


新作の化粧品を探して群がるお姉さま方をチラリと横目で見ながら早苗は頷いた。


「たしかに・・・分かるけど・・」


「あのなんか化粧と香水の混じった匂い?もー最悪・・・吐きそうになる・・」


ゲッソリした口調で言われて、早苗は肩を竦めてみせた。


あの独特の雰囲気と、強すぎるライト。


同じ女性とは思えないほど整いすぎたカウンターレディ。


ちょっと遠慮したい気持ちは・・・・確かにある。


「家で待ってたらよかったのに」


電話をくれたら帰り道寄ったよ。と告げた


早苗と並んで家の方向に向かって歩きながら基は片手を傘の外に出す。


手のひらを叩く心地よい雨。


「雨は、好きなんだ。だからよくこんな天気の日に散歩に行くんだ。大地は嫌がるけどな」


「そっか・・・・・・昔さぁ、台風来てるような、大雨の日。雨がっぱ来て、夜まで外で遊んだなあ・・・髪も、服も結局びしょ濡れで。そのままお風呂行きなさい!って怒られた」


「あ、俺もそれ最近までやってた!傘にわざと雨貯めて、掛け合ったり!!」


「馬鹿だよねえ・・・そんなことしたら、傘の意味ないのにねぇ」


「だよなー・・・んで、傘が錆びて余計大地に叱られてさあー・・・二回目からは風邪ひくって止められたけどまたやってたな」


「くっだんないけど、なんか面白いんだよね」


話しているうちに、いつも通勤で使う地下鉄の駅前までやってきてしまった。


早苗は問いかけるような視線を基に向ける。


「どーする?濡れるの嫌じゃなければ、歩いて帰る?」


どうせ、満員電車にもみくちゃにされて帰るのだ。


倍の時間がかかっても、ゆっくり2人で歩く方が楽に決まっている。


気持ち、体も。


「公園通って帰ろーよ」


返事の代わりに基が言った。


「あ、でも、水たまりに飛び込むのナシね!」


大慌てで言った早苗に、基が笑いかえす。


「そこまでしねーよ」


「この格好じゃなかったら、あたしやってるわー・・・ふふ」


雨の日は、パンツだと足もとが汚れるし着替える時面倒なので、スカートに決めている。


ストッキングは必ず替えを持って行って、靴は低めのヒールで、防水加工のパンプス。


ジーパン、Tシャツ、サンダルなら、間違いなく飛び込んでいた。



「雨ってさー、閉鎖的なイメージだけどなんか、守られてる感じするんだよなぁ」



飛び込まないと言ったくせに、さっそく水たまりに落ちている小石を勢いよく蹴る基。


転がった先に、小走りで駆けて行きパンプスのつま先でコツンと蹴ってみる。



「外の世界から?」


「自分の嫌いなものから」


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