3年目
第18話 たまごドーナツ
新しい制服にもようやく慣れた。
セーラー服は、見た目はの可愛さとは裏腹に、意外と着るのも脱ぐのも大変で、けれど鏡に映った自分の姿は紛れもなく女学生そのもので、ちょっと澄まして見せたら、晴に思い切り変な顔をされた。
まず最初に流行ったことは、上級生を真似してスカートの長さを服装検査で引っ掛からない程度の微妙なラインで短くすることで、その次には、血色が良く見える可愛い薄付きのリップと、艶の少ない透明のマニキュアが大流行して、華南は常にその先頭をひた走っており、友世と早苗はノロノロと彼女の後ろを追いかけている。
入学式からたった数ヶ月ですっかり小学生から中学生になっていた。
★★★
ガン、大、山尾、晴の草野球チームのメンバーは全員揃って野球部に入部した。
というか、有無を言わさず入部させられた。
草野球チームに、現役の野球部員が居たせいだ。
入学式の後早々に、主将共々教室まで入部届けを持ってお迎えに来られて、断れるわけが無い。
毎年よくて地区大会ベスト8が最高成績の野球部は、決して強豪とは言い難く、けれど、この町よりさらに田舎の人数不足の超弱小チームよりは強かったので、練習量もそれなりにあった。
授業前の朝錬から始まって、放課後から夜まで。
1日野球漬けの毎日はへとへとだけれど、それでもめちゃくちゃ楽しかった。
父親は、一人息子が野球を始めたことを心から喜んでくれた。
母親の死後塞ぎがちだった晴が、キャッチボールだけは続けていたことが何より嬉しかったようだ。
打ち込むものがあるうちは、倒れることは無いと確信しているようだった。
そして何より、晴たちが野球部入部を決めた時の早苗の喜びかたはすごかった。
「めざせ甲子園!いずれは大リーグへいけ!」
テーブルを叩いて力説されて、晴は所属する野球部がどれくらいの実力で、甲子園や大リーグとは縁遠い場所にいることを説明する気も失せた。
電車で二時間かからずに憧れの甲子園には辿り着けるけれど、実際に甲子園の土を踏むためにはそれなりに名の通った有名校に進学する必要がある。
こんな片田舎の平凡な野球少年に間違っても名門私立なんかからお声はかからない。
草野球チームの中では頼れる四番バッターと言われている晴も、リトルリーグにメンバーの中では中の中で、大した才能があるわけではなかった。
そして、そこまでの情熱を野球に注いでいたわけでもない。
たまたまこの町に来て、好事家たちが趣味で作った草野球チームに入って、そこでは自分より上手な同世代がいなかっただけのこと。
この町を一歩出れば井の中の蛙になる事は、他所の町から来た晴が誰よりも理解していた。
それでも、父親と早苗が自分以上に大はしゃぎで野球をする晴を前のめりになって応援してくれることは嬉しかったし、誇らしかった。
・・・・・・・・・・
「晴みっけ。たまごドーナツいる?」
昼休みの教室を覗いた早苗が、手にしていた紙袋をほれ、と差し出して来る。
小学校同様、中学校も各学年2クラスしかないので人探しは物凄く楽ちんなままだ。
持ち上がりの学区なので他に人が増えない為、クラスを増やしようがないのが実情なのだが、都会の刺激に憧れる華南以外の幼馴染グループのメンバーは、この現状に十分すぎるほど満足していた。
「また食堂行ってたのか」
「食後のデザートの調達にね」
アツアツの小さな玉子ドーナツをひとつ摘まんで口に運ぶ。
懐かしい味がした。
早苗は入学して間もなく、食堂のメニューにたまごドーナツがあることを知ってからしょっちゅうこればかりを食べている。
最初は晴に気を遣っているのかと思っていたが、純粋に彼女が好きなだけのようだ。
そもそも早苗にそんな細やかな気遣いが出来るはずもない。
渡り廊下を抜けて歩きながら晴は雲ひとつない青空を見上げた。
父さんいわく”母さんがいる綺麗な”空を。
「母さん、よくコレ作ってたなー」
「あたし、おばさんのたまごドーナツが未だに一番好きだな」
「・・・だろ?」
体調が悪くなるにつれてキッチンに立つ機会は減って行ったけれど、ここに引っ越してきてすぐの頃は毎日のように、おやつにたまごドーナツが出されていた。
何度もリナリアのテーブル席で早苗とぱくついたものだ。
「母さんパン屋でバイトしてたからさー、そんときにレシピ覚えたんだって」
「へえー・・・やっぱ食堂のとはちょっと味違ってたもんね」
「んーそうだな・・・あ、お前余計なこと考えるなよ」
嫌な予感がして念を押しておく。
予想通り、次の瞬間早苗が眉間に皺を寄せた。
「はーい・・・」
「俺、部室寄ってくけどどーする?」
「華南が友世のクラス行ってるからそっちに合流する」
「んじゃ5限の教科書持って行っといて」
次は理科室なので、部室から直接行った方が早いのだ。
「えー」
「よろしく」
文句を言い始めた早苗を置いて、晴は踵を返した。
二人の関係は、何も変わることなく。
あのときの、早苗の手紙の意味も、結局は聞けないままで。
新しい春がゆっくり通り過ぎようとしていた。
・・・・・・・・・・
「ただいまー、父さんなんか食べるもんある?」
ぐったりしてカウンターに座り込むと、横から白い皿にドーナツが載って出てきた。
「はい、どーぞー」
パックのミルクティー片手に笑顔の早苗がさあどうだと胸を張る。
「さなえー!余計なことすんなっつっただろ!」
「なんでよー!すごい美味しいし!食べてから文句言いな!」
目くじらを立てて怒鳴り返した早苗の頭をよしよしと撫でて、父親が口をへの字にする。
「晴、女の子にそんな言い方するのは駄目だろ」
こうなることを予想したから釘刺したのに!
晴は目の前に出されたたまごドーナツを恐る恐る頬張る。
早苗の料理の腕前は、ここ数年でまるで成長していない。
横から手を出されることが大嫌い早苗の母親がテキパキと料理を作り終えてしまう事と、リナリアにやって来ても、自炊能力の高い晴が二階のキッチンで簡単なものをさっさと作ってしまう事が原因かと思われる。
が、早苗自身もまるで料理に興味を持たなかった。
美味しいものは誰かが作ってくれるという確信が彼女の中にはあるらしい。
あ・・・・意外と上手い。
「これは駅前ので、こっちが市場の中ので、端っこが学校帰りのパン屋」
ご丁寧に説明までしてくる早苗。
どうやら自分では作れないと踏んで買い出しに出たらしい。
「どう、どう?」
「・・・・美味いけど」
「けどって言うな」
「美味いよ・・・母さんのに似た味がする」
「うん、そっか」
早苗が笑って、隣に座って自分もたまごドーナツを頬張った。
二人を見て笑顔になった父親が仲良くね、と念を押して側を離れる。
と、ドアが開いてカウベルが鳴った。
「おー、早苗!父ちゃんのお帰りだぞー!」
そう言って早苗に遠慮なしに抱きついてくるのは早苗の父親だ。
どれだけ嫌がられても懲りずにいつもこのやり取りを繰り返している。
「ぎゃー離せー!ここ家じゃないし!」
「ばっかやろ!父ちゃんが帰って来たらどこにいても”お帰り”っていうもんだぞ!藤野家の家訓だ、家訓!」
「そんなん今聞いたし!!」
「父ちゃんが今決めたんだよ!よぉ晴、野球どーだぁ?」
早苗を離した父親が晴の手を掴んで開かせる。
掌に出来た沢山のマメを見てにやっと目尻に皺を浮かべて微笑んだ。
「頑張ってるみたいじゃねーか、いいねえ、野球小僧!たまには草野球にも顔出せよ」
「毎日練習でぐったりだよ」
「はっはっは!そりゃそーだ、趣味でやってるワケじゃねんだからよ。頑張れ若人よ!さーて、いつもの貰おうかな」
早苗の父親の前に、店主の顔になった晴の父親がブレンドを差し出す。
ここで彼が飲むのは決まってリナリアブレンドだ。
ゆっくり珈琲を一口飲んで、それから晴や父親ととりとめのないことを喋って帰る。
大丈夫か?
困ってる事無いか?
何も言わなくても伝わるその優しい気持ち。
さりげない言葉に、いつも救われてきた。
藤野家の大黒柱は、豪快で、物凄く愛情深くて、涙もろい。
「父ちゃん、はい、ドーナツね」
「なんだ」
「たまごドーナツ買いに行ったの、食べて」
「俺は甘いもんは」
「いいから、ほら食べて」
早苗に促されて父親が渋々ドーナツを口に運ぶ。
「美味しいから。おばさんがね、よく作ってくれたの、たまごドーナツ」
父親の背広を引っ張って早苗が自信たっぷりに言った。
まるで自分のことみたいに。
「そっか・・・・美味いな・・・も一個食っていいか?」
「いーよー」
父親の言葉に、早苗が次のドーナツの説明を始める。
それを眺める父親の顔は穏やかで、幸せそうで。
ポロポロときみが零していく幸せのかけらを。
ひとつ残らず拾い上げれるそんな僕でいたいんだ。
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