第17話 ミライラブレター

桜が小さく蕾を付け始めた3月下旬。


学校帰り、ひとりで神社の階段に座った早苗は、ランドセルから便箋を取り出した。


晴はガンたちと草野球の約束をしたので先に帰っていた。


キャッチボール程度なら早苗もガンたちに混ざる事が出来るが、草野球となるとお手上げ状態だ。


毎回見学に慣れている華南や友世は大人しくベンチに座っているが、野球のルールもそこそこ頭に入って、自分でボールを投げてキャッチする楽しさを覚えてしまった早苗は、元来の性格もあってなかなかじっとしていられない。


とはいえ、小学校低学年から草野球漬けの週末を送っているガンや、リトルリーグ上がりの晴、野球経験者の中学生に混ざってゲームが出来る程の腕を持っているわけでは無い。


ので、結局立ち上がってはウロウロして座ってを繰り返すことになる。


この元々大柄だったガンは勿論のこと、細身の晴や山尾もどんどん身長が伸びており、早苗では敵わないことがいくつも出て来た。


これが大人になるということなのだと、ほんの少しだけ、実感している。


真っすぐグラウンドに向かう華南と友世と途中で別れて、ひとりで市場に寄って、お菓子とミルクティーを仕入れて来た。


駄菓子屋のおばばは、いつもは一緒の晴が居ない事を気にしていたが、今日は草野球、と伝えると仲良くするんだよと言って、チョコレートをおまけにくれた。


こうして手紙を書くのは初めてなので、気合を入れてペンを握る。


やっと温かくなった風は、心地よくて、潮の匂いもずっと柔らかく感じるようになった。


何て書こう・・・・


先週出された大きな宿題に早苗は頭を悩ませていた。







晴は早速次の日にはもう書いたと言って、浜田に手紙を渡していた。


書きたいことが決まっていたのか、それとも適当に書いたのか、定かではないけれど。


せっかくこんな風にペンを握る機会を得たのだから、いい加減な内容で終わらせたくはない。


書いた手紙を自分以外の誰かが読むことは無いと分かっているからこそ、尚更大切なことを書きたかった。


とはいえ、手紙に書けるようななにか大きな目標があるわけでない。


かといって、昨日見たテレビの内容を書いても仕方ない。


「あーどうしよ・・・」


華南たちと隣町に出かけたときに選んだ可愛い花柄の便箋。


折角ならとお気に入りのペンも用意したのに、一向に最初の言葉が出てこない。


ミルクティーの缶を開けた時、階段下から声が聞こえた。




「あー、やっぱりココよ、ココ」


「本当に合ってます?」


「んーたぶん・・・え・・・あれ、能舞台がない・・・」


「ええ?やっぱり場所が違うんじゃ・・・」


綺麗な女の人と、高校生位の男の子だった。


階段を登りきると、早苗に気づいて目を留める。


「あら、お手紙書くの邪魔しちゃったかな?」


しゃがみ込んで言われて早苗は首を横に振った。


「何にも書く事浮かばなくって」


「わー可愛い便箋、あたしも最近手紙なんて書いてないしなぁ」


「幸さん、スカート・・・」


「いーのいーの」


男の子が止めるの無視して、チェックのワンピースのお姉さんは早苗の隣に座り込む。


「ラブレター?」


「えっ・・・違います!・・・」


早苗は話していいものかどうか一瞬だけ悩んだ。


全く知らない人だし。


当然学校では、知らない人に声を掛けられたら気を付けましょうと教えられている。


が、目の前の二人連れはどう見ても怪しい人物では無さそうだった。


「急に話しかけてごめんなさいね。あの、ちなみにこの近くに、能舞台のある神社ってあるかしら?」


「能舞台・・・あ、あります!えっと、隣の駅の海側に」


この辺りので一番大きな住吉神社には、たしかに古びた能舞台がある。


海を臨める能舞台として、昭和の中ほどまではかなり有名だったようだが、いまではすっかり寂れた神社だ。


「隣の駅!?」


「ほらね、だから地図見ましょうって言ったんですよ」


「だって、あそこの駅に見覚えがあったのよ。いいじゃない、お天気もいいし、イチ君散歩はお嫌い?」


「別に嫌いじゃありませんよ」


「じゃあ良かったわ。えっと、ここからその神社までって歩いて行ける?」


やっぱり無理かしら?と首を傾げる彼女に、早苗は大丈夫ですと答えた。


「あの、この神社の前の車道のもう一本下に、海の散歩道っていう歩道があって・・・」


「海の散歩道!」


早苗の言葉に、彼女が嬉しそうに目を輝かせて、イチ君と呼ばれた彼のほうは心配そうに腕時計で時間を確かめていた。


「そこを真っすぐ西に歩いたら・・・えっと、30分ちょっとで行けると思います」


「全然余裕ね!良かったわぁ」


「でも、能舞台、今はなにもお披露目されてないですけど・・・」


「ああ、いいのよ。あたしが七五三で来た事のある場所に行ってみたいだけだから」


「七五三・・・」


こんなに大人っぽい人と七五三はあまりにもかけ離れ過ぎている。


全ての大人はみな最初は子供だったのだ。


そんな当たり前のことを思い出して、妙に感慨深い気分になった。


「道を教えてくれたお礼に何かあげたいんだけど・・・お菓子も飲み物も持ってるのよね?そのお手紙は宿題?」


「宿題・・・です。二十歳の自分への手紙」


「わあ・・・素敵。じゃあ、書くこといっぱいね。尚更お邪魔しちゃってごめんなさいね」


「あの・・・でも、書く事が決まらなくって・・・困ってて」


ぽつりと目下の悩みを口にした早苗に、彼女がふーんと首を傾げてから微笑んだ。


「今の自分の好きなものとか、好きなことを書いておくのは?大人になって読むと懐かしいものよ。あとはー・・・好きな友達や、家族のこと?きっと、この後8年のうちに色んな事があるだろうから、いまの自分のことを沢山覚えておくために書いておいたら、楽しいんじゃないかしら?」


お手紙頑張ってね、微笑んだ彼女が軽やかに足場のあまりよろしくない石段を降りて行く。


彼女が転ばないように何度も後ろ振り返って、足元を確かめる彼の甲斐甲斐しい姿がやけに印象的だった。



「・・・・・・好きなこと」



具体的に考えたことのなかった単語が、どういうわけか胸の奥でお星さまみたいにキラキラ光り始めた。






・・・・・・・・・








川沿いにあるグラウンドを覗くと、まだ野球は続いていた。


晴やガン、山尾たちの姿を見つけて手を振る。


華南と友世はもう帰った後だった。


「遅かったなー」


「神社寄ってた」


「キャッチボールやる?」


「今日はいいや。浜ちゃんの手紙の宿題まだ終ってないし」


グローブ片手に走ってきた晴に早苗は、ポケットに入っていたお菓子の残りを手渡す。


「そっか、俺、もうちょっと野球していくな」


「うん、じゃあ明日ね」


早苗は言って、ガンたちに大声でバイバイと伝えた。


グローブのまま手を振るガンたちに見送られて、グラウンドのフェンスのところまで来て振り返る。


そうだ、これだけは言っておかなくちゃ。


迷わなかった。


伝えなくちゃ。


それだけだった。


「晴ー!」


「どしたー?」


飛んで来たボールを見上げたままで晴が言った。


グローブを頭の上に翳す。


「手紙、あんた宛に書くからね!!」


それだけ言って手を振る。


「は!?」


晴が驚いた声を上げた。


けれど振り向かない。


「こらー晴ー!ちゃんと取れって!!」


ガンの怒鳴り声が聞こえた。





初めてあった瞬間からずっと一番だと思った。


これ以上愛しいとか大事とか考えられないってこの気持ちが何なのか。


名前は知らなくても。


心は知ってる。

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