第8話 キャンプと星空

「キャンプ!?」


早苗の言葉に、ビールでほろ酔いの父親がそうだぞーと大袈裟に頷いた。


赤ら顔を横目に、母親は焼酎の瓶を持ってさっさと台所へ引き返していく。


空になったグラスに焼酎を注ごうと手を彷徨わせた父親が、一足遅かったかと肩を落として仕方なくするめを口に運んだ。


「ああ、うちのチームリーダーの、ほら八百屋の橋本さんがな。子供もみーんな連れて、県境の大型キャンプ場あったろ?あそこに行かねぇかって。岩谷さんも店閉めるって言ってるし、山尾先生も土曜の昼からなら休診だし身体空くだろ。窪塚さんとこはちょっと親子参加は難しいかもしれんが」


「行く、行く、行きたいー!!絶対行く!!」


「よーっしゃ!んじゃ今年の夏休みの恒例旅行はキャンプな。それまでに宿題やっとけよ」


父親の言葉に早苗はえっと聞き返す。


「旅行とキャンプは別でしょ!?旅行も行きたいー!」


「ばあっか。父ちゃんそんな仕事休めねーの」


「なんでぇー!旅行も行きたいよー」


組合行事でなにかと多忙な父親は、毎年夏休みには家族を連れて旅行に出かけていた。


夏祭りの運営や、組合イベントで決して手が空いているわけではないのだが、早苗が物心ついたときから、夏の家族旅行を取りやめしたことは一度も無い。


台所から顔を覗かせた母親が、顔をしかめる。


「早苗、我儘言わないの」


キャンプは勿論楽しみだが、旅行だって同じくらい子どもにとってはスペシャルイベントである。


「えええ旅行楽しみにしてたのにー」


「そーかそーか、お前はそんなに父ちゃんと旅行に行きたいか!我が娘よー!」


「ぎゃーやめてよー酒臭い!ヒゲ痛い!」


遠慮なしの力で羽交い絞めにされて頬を擦りつけながらぎゃははと豪快に父親が笑う。


酔っ払うたびにこうして娘に絡んで来るのだ。


それでもぐりぐりと早苗の頭を撫でつけながら、父親が言った。


「まあ、日帰りならどっか連れてってやるから、な?」


「絶対ね!約束ね!」


言質取ったと太い指を絡ませて指切りしながら早苗が忘れないでよ!と言い募る。


なんやかんや言いながら、父親は一人娘に甘いのである。







・・・・・






「すごーい!水冷たい!!父ちゃん、水冷たい!!」


「川の水だからなぁ、早苗、晴、あんま川下行くなよー」


「「はーい!!」」



行儀の良い返事を返して、早苗たちは透明の水を蹴り上げながら進む。


8月の金曜日。


約束通り休暇を取ってくれた父親に連れられて、早苗と晴はキャンプ場へ来ていた。


お店を休めない店主たちと、車の乗車人数制限のため、母親は留守番だ。


草野球チームの家族は、全員で15人。


父親と同じ組合で働く社員や、地元の商店の店主、その家族たちだ。


みんなでテントを張って、夕飯の材料の仕入れるべく釣りに出かける。


早苗と晴と山尾は釣りは初体験で、経験者であるガンと大を筆頭に釣りやすい穴場を探して歩きまわり、留守番組の華南と友世は、奥様連中と一緒に野菜の下処理をしている。


一番にコツを覚えたのは山尾で、慣れたガンや大より先に釣り針が揺れた。


そのうち、次々と引きが来て、子供たちが歓声を上げて行く。


名前の知らない綺麗な川魚を吊り上げた晴が隣で嬉しそうに笑う。


「おっちゃん釣れた!!鮎?これ」


「おー!そうだ、鮎!やったなー晴」


「すごい!結構おっきい!」


鮎をバケツに入れながら、父親が来られなかったマスターの代わりに晴の頭を撫でる。


体調が良くない晴の母親を一人にすることは出来ず、同行できなかったマスターは、早苗と父親に息子をよろしくと頼んでいた。


「帰ったらおばさんに話さなきゃね!」


早苗の言葉に、ちょっと誇らしげに晴が頷く。


「これで夏休みの絵日記決まったな」


「よし、後で写真も撮るぞー」


「こっちも釣れたぞー!見ろよー!」


自慢げに川魚を持ち上げるガンに向かって父親がカメラを向けた。





みんなで釣った魚を焼いて、野菜たっぷりのカレーと一緒に夕飯にした。


晴の釣った鮎はとても美味しくて、二人で取り合うようにして食べた。


満腹になった大人たちは、場所をテントの近くへ移動して缶ビールを開け始め、子供たちは小さな手持ち花火を配ってもらった。


赤ちゃんをおんぶした若いママが、着火マンを使って火を起こしてくれる。


「ヤケドしないようにねー」


「早苗、ガン、花火振り回すなよ。華南、ちゃんと見てろ」


「ちょ、なんであたしガンちゃんと一緒!?」


「元気だからじゃない?はい、早苗の分。友世は、もっと小さい花火にする?」


七連発のドラゴンを自分の手元に引き寄せて、山尾が花火の入った袋の中から小さめの筒を引っ張り出す。


「ありがとう、山尾っち」


「怖かったら、火つけるよ?」


「うん。大丈夫」


ガンと大が早速ドラゴンに点火する横で、怖がりな友世を山尾が気遣う。


これはもう定番のやり取りだ。


「よし、やろ!」


早苗の合図に頷いた晴が火をつける。


白い煙とともに、赤い閃光が飛び出した。


砂利の上に眩い光が落ちていく。


「今年初花火!」


「俺もー」


花火を片手にテントの上に設置されたライトの光が届かない場所まで遠ざかる。


その間にも、花火の光はどんどん小さくなっていく。


パラパラ零れていく光の残像は、子供心にも物凄く儚げに見えた。


「あ、消えた」


一気に足元が暗くなった。


真っ暗で何も見えない。


「な、上見て」


晴が早苗の腕を引いた。


その声に応じて首を夜空を見上げれば。


「すっごい星!!!」


「なー」


言葉を失くすほどの、無数の星が輝いていた。


山間の自然豊かなこの場所では、星の色さえおぼろげながらも見分ける事が出来る。


一面に塗りこめられた深い闇の隙間に縫い付けられた宝石のように、白、黄色、赤のきらめきが浮かび上がる。


吸い込まれそうなほど澄み渡った夜空だった。


早苗は晴の手を引いて、その場に寝転がる。


蚊に刺されるとか、服が汚れるとかどうでも良かったし、全く気にならなかった。


無意識のうちにそうしていた。


こうして見るのが特等席だと、その昔教えてくれたのは、流星群を見に連れて行ってくれた父親だった気がする。


何億光年も向こうにある小指の先くらいの星。


一体どんな惑星なんだろう。


やっぱり宇宙人はいるんだろうか。


この星のどこかには、自分たちよ同じように生きている誰かがいるんだろうか。




「あたしが大人になる頃ってさあ、宇宙旅行行けんのかな」


「よぼよぼのおばあちゃんになる頃には行けるかもな」


星間旅客ロケットの製造なんて、夢のまた夢の話ではある。


アニメの世界でしか、人は宇宙を気軽に旅出来てはいない。


それでも。


「生きてるうちに行ってみたいなぁ」


「うん、水星とか見てみたいな」


「行こう!絶対行こうよ!」


「杖突きながら?」


「いーじゃん、行こうよ!長生きしてよ!男の方が寿命短いんだからさ」


何十年も先、真新しいロケットに二人して乗り込む姿が、容易に想像出来た。


だから、言い切ったのだ。


「頑張るけど」


「約束ね!」


「わかった、約束な」




これが、晴と交わした最初の約束。



まさか、その後、1人で星空を見上げることになるなんて、そんなこと想像もしなかったのだ。





「おーこんなトコにいたのかぁ、お前ら蚊にかまれるぞー?」


「父ちゃん!あたしが大人になるころって宇宙旅行行けるよね!?」


起き上がった早苗の頭についた落ち葉を払いながら父親が笑う。


「死ぬまでには行けんじゃねーかぁ?」


「だよね!宇宙旅行行くんだ!」


「へーえ。そりゃあいいなぁ、夢がある!」


同じように晴の背中についた葉っぱを払って父親は美味しそうに煙草をふかした。


それから、ちらりと夜空を見上げて目を細める。


「いい夜空だろ?うちの町も空は綺麗だけどここは絶景だからなー」


「宇宙旅行って年齢制限あんのかな?」


真顔で晴が尋ねて、父親は大笑いした。


「どーだろうなぁ、早く科学が進歩するよう祈っとこうな」


「父ちゃん、腕かゆいや」


「ほれ見ろ、後でムヒ塗っとけ」



3人で並んでテントに向かいながら、早苗はもう一度夜空を見上げた。



来年も、再来年も、ずっと。


この星を見に来る時は、晴と一緒がいいな。



はじめてそんな風に思った。

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