第7話 キャッチボール
晴と出会った桜の季節を過ぎて、大嫌いな長い梅雨も終わり、ようやく待ちに待った夏が来た。
ガンや山尾たちが所属している地元の草野球チームに救世主のごとく舞い降りた晴は、あっという間に4番バッターに任命されて、週末ごとに練習試合に駆り出されていった。
弱小チームのメンバーは、小中学生で構成されており、晴の腕を見込んだ中学生たちからは、入学したら絶対に野球部に入れと言われている。
晴が来るまでは大して興味を持たなかった草野球も、ガンや山尾に連れられて見に行ってみれば意外と面白く、さすがに混ざって遊ぶことは出来ないが、キャッチボールくらいならと晴に頼んでボールの握り方から伝授してもらった。
フォームを覚えてからは、店の前で晴相手にキャッチボールをするのが放課後の日課になって、休日は草野球を見に行くことが日課になった。
梅雨の時期は、草野球もお休みで、キャッチボールの練習も出来なくて、それならと出店の射的で当てたおもちゃのバットとゴムボールでバッティング練習を始めたら、さっそく和室のシェードを壊して父親から拳骨を食らって以降は、大人しく晴が持ち込んだ対戦ゲームやRPGで遊んだり、時にはいつものグループ全員で人生ゲームを楽しんだりして、控えめな梅雨をすごした。
あれから早苗は何度もリナリアに足を運んで、マスターや晴の母親とも仲良くなった。
今ではすっかり小さな常連客として認められている。
早苗と晴が初めて向かい合わせに座ったテーブル席は、いつの間にか定位置になっていて、大抵ここで宿題を終わらせてから遊ぶのが常だった。
ミルクたっぷりのカフェオレや、フルーツジュース、アイスココアと、たまごドーナツがおやつの定番で、そのまま晴の部屋で遊んで、遅くなった早苗を送りがてら晴の両親が早苗の家で一緒に夕飯を食べることも珍しくない。
子供の姿が見えない時は、向こうのお家に遊びに行っているんだろうという認識がこの数か月ですっかり定着していた。
そうして梅雨を抜けて、青空と太陽がお目見えする季節まで辿り着いた。
雨上がりの空を見上げて、早苗は早速店から飛び出した。
お店の前から少し離れた場所で、グローブを嵌める。
「早苗、場所こっち」
ボールを真上に投げながら晴がこちらに歩いてくる。
「あ、ほんとだ、またやらかすとこだった・・・」
指摘を受けて素直に場所を移動した早苗に、晴がげっそりとした顔を向けて来る。
「俺もーいやだからな!ダンボール貼るの!」
言われるまでも無い、そんなもの早苗だって絶対に嫌だ。
「あたしも嫌だ!父ちゃんに拳骨くらうの!」
二人で神妙な顔のまま深々と頷き合う。
同じ轍を踏んではならないのだ。
春に、店の前でキャッチボールをしていて、早苗の大暴投が直撃した窓ガラスが見るも無残に割れてしまったのは、記憶に新しい。
覚えたてのフォームと勢い任せの力技から繰り出された剛速球は妙な風にねじれて、海風を受けたそれは晴のグローブの少し上を弧を描いて飛んでいき、見事にボールは窓ガラスに命中。
客がいない裏手の窓だったため、怪我人こそ出なかったものの、マスターと晴の母親は突然の出来事に真っ青になって、騒ぎを聞きつけて飛んで来た早苗の父親に二人揃って大目玉を食らった。
拳骨プラス店のお手伝いを1週間やらされた。
宿題が終わると同時に、店の前の掃き掃除から始まって、食器洗い、消耗品の整理整頓をして、店のすべての窓ふきを行う。
結構な労働で、二人はへとへとになって大いに反省して、以降きちんと場所を考えてキャッチボールをするようになった。
晴が柔らかいフォームでボールを投げる。
嵌め方すら知らなかったグローブの扱いもようやく慣れて来たし、ボールのスピードも少しずつではあるが上がってきた。
一年生の時から野球漬けの毎日を送って来たリトルリーグ上がりの晴の足元には到底及ばないが、それでもどうにかキャッチボールの格好はつくようになった。
放物線を描いてこちらに飛んでくるボールをキャッチする。
「行くよー!」
「おーう」
教えてもらった肩を使った投げ方は、無駄に力まずに済む。
腕の力だけで振り回していたころと比べれば雲泥の差である。
お、いい感じ。
指先からボールが離れる感触ににやっと頬が緩んだ。
ちょっと距離は足りないけど、その分晴が前に出てボールを取る。
「だいぶ上手くなったな」
上出来、上出来とグローブでお手玉をしながら晴が笑う。
「覚えがいいんだよ」
「教え方がうまいの」
しれっと言ってきた彼は、確かに短気で癇癪持ちの早苗に付き合って根気よく教え込んでくれた。
最近では、早苗の父親に誘われて大人の草野球チームにも顔を出したりしている。
野球仲間が増えて、かなり嬉しいようだった。
練習試合を見ることに慣れると自然とルールも頭に入って来る。
大人の草野球チームには、スコアを付けられる元野球部のマネージャーも居て、早苗は少しずつ見よう見まねでそれを覚え始めた。
全く興味のなかった野球中継を父親の横で一緒に見るくらいには興味も出てきた。
明らかに何もかもが去年までの夏とは違っている。
晴がこの町に来た事で、次々と新しい変化が訪れて、そのどれもが早苗を魅了して離さない。
明日が来ることにこんなにワクワクする毎日は初めてだった。
そんな早苗たちに、嬉しい知らせが舞い込んだのはその週末のことだった。
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