6 アスールの1日
「踏み込みが甘い!」
イズマエルが振り下ろす木剣に押されて、アスールはどんどん追い込まれ、じりじりと後退を余儀なくされる。
「もっと相手の動きをよく見て。次の手を予測してから動きなさい!」
(いやいやいや。見てます、見てます。予測ったって……)
さらにイズマエルの剣が休むことなくアスールに打ち込まれ続ける。
「肘を伸ばす! もっと膝を使って!」
(くそっ! 毎回毎回叩きのめしやがって! 本気で僕を殺す気か?)
そんなはずなど無いことはアスールも当然理解している。でも、それでも心の中で悪態をつくくらいは勘弁してくれ。面と向かってこの強敵にアスールが文句を言えるはずなどないのだから。
降り注ぐどしゃぶりの雨のごとき剣先を、とにかく死に物狂いでなんとか躱そうと苦戦するアスールに対し、イズマエルはさらに軽やかにその剣を振り下ろす。
そして最後にはいつもと同じようにどうにもこうにも何も出来ないところまで追い詰められたアスールの剣が宙に大きく舞って訓練が終わる。
「王子。もしこれが練習用の木剣ではなかったとして、あなたは今日だけで何回致命傷を負ったかお
(はあはあはぁ……。やっと、終わった……)
「と、とても……数えている……余裕なんて……ありませんでした」
(言葉を発することもままならないとは……。ふ、不甲斐ない……)
この半年程、アスールに剣の稽古をつけてくれているのは、父王の側近でもあるイズマエル・ディールス侯爵であった。
ディールス侯爵はカルロ王よりも二つ年上なのだが、王と同い年のフレド・バルマー伯爵と共に、三人は子ども時代からずっと一緒に育ち、苦楽を共にしてきた兄弟にも近い間柄にある。二人は王にとってまさに腹心というべき側近たちなのだ。
ディールス侯爵はこの国一番の剣の遣い手と言われ、誰もが恐れる前騎士団長殿だ。大柄だが決してごついイメージではない。灰青色の瞳は眼光鋭く、眉間には常に深い皺をよせている。
その見た目から近寄り難い人物と敬遠されがちだが、騎士団の若手からの信頼は厚く、侯爵から直接指導を受けたいという者が後を絶たない。
そんなわけだから、まだ九歳の子供がどうしたって敵う相手では無いことは誰が見たって判りそうなものだが、そうは言っても、こうも毎回毎回こてんぱんに
「そうですか。まあ私も、何度殿下に止めを刺したかなんてことをいちいち考えながら稽古をつけはていませんよ」
普段からニコリともしないイズマエルの口から出た悪戯っぽい言葉にアスールは逆に戸惑う。
(今のは果たして侯爵流のジョークなのか?)
半ば不貞腐れ気味に地面にへたり込み下を向いて落ち込んだ様子のアスールの方を見て、ちょっと前までの鬼のようだった男と同一人物と思えない優しい表情を浮かべながら、イズマエルは言った。
「次回は殿下と歳の近いものを連れて参りましょう。いつも私と一対一の稽古では己の実力がどの程度なのか、たぶん殿下には理解出来ていないでしょうからね」
「……歳の近いもの?」
急に顔を上げ、不安そうな表情で自分を見上げるアスールの心中を察したのだろう、イズマエルが付け加える。
「殿下の腕もなかなかのものですよ。実は、頼まれて数ヶ月前から私が剣の鍛錬をしている者が二人ばかり居るのです。折角なので一緒に稽古をしてみてはどうかと思いましてね。そろそろあなたにも一緒に競い合う友が必要な頃でしょう」
(……友?)
「では、また次回」
それだけ言うと、イズマエルは彼の性格を体現するかのようにきっちりと、もはや美しいとさえ言えるほどきっちりと揃え並べられていた数本の木剣をまとめて拾い上げると、軽々と小脇に抱え、振り返ることなくいつものように足早に去っていった。
「また随分こてんぱんに
聞き覚えのある低い声に、アスールの顔にぱっと生気が蘇る。
「お祖父様!」
声をかけてきたのは、しばらく地方視察と言う名の、本人曰く『気ままな旅』に出ていたはずの先王、アスールの大好きな祖父、フェルナンド・デラスールその人だった。
ー * ー * ー * ー
五年前、フェルナンドは『戦闘訓練中の落馬』を理由に息子であるカルロに王位を譲り、国政の第一線から退いている。
しかしながら退位後も、毎日のように騎士鍛錬場において若い騎士相手に大剣を振り回す姿を何故か多くの関係者に目撃されていた。
この先王、若い頃は国内の紛争には先陣をきって出て行くほどの豪傑で、大きながっしりとした体躯で黄金色の髪を振り乱して戦う姿は『金獅子王』と呼ばれ恐れられてた。
と同時に、柔軟な統治力と民へ向ける温かい恩恵の精神ゆえに、退位した今でも国民から絶大な人気を得ている。
「お帰りはまだずいぶん先だと伺っていたのですが、お戻りだったのですね。旅はいかがでしたか?」
「ただいま。なかなかに興味深い日々だったよ」
「今回はどちらに向かわれたのですか?」
アスールは汗を拭きつつ、イズマエルに弾き飛ばされた木剣を拾い上げる。
「アスールはタスコラ地方のフエブラという村を知っておるか? タスコラ自体大した名産も無いところだから、お前さんが知らんでも無理はないが、ここからだと馬車で東へ一週間ほどかかるかな」
アスールは聞いた事もない地名に首を横に振る。
「最近あっちの漁村の方でなにやら騒がしいとの話を聞いたのでな。儂のような老ぼれでもちょっとは何かの役に立つかもしれんと思って行ってはみたんだが……。すぐ戻ってこいと五月蝿くせっつかれるんで、仕方なくこんなに早く戻ってきたのだよ」
フェルナンドはそう言いながらアスールに近づくと、日に焼けた大きな手でアルールの頭を上からガシガシと撫でまわした。
「しばらく前からお前たち二人の様子を見ておったが、なかなかに腕を上げたようだな、アスール。すっかり逞しくなりおった」
「……ありがとうございます」
アスールはしょんぼりと下を向く。
「なんだ、なんだ? イズマエルに勝てないのが悔しいか?」
「……はい」
「はは、そりゃあいい! 悔しいか。そうか、そうか。そりゃ重畳」
そう言いながらフェルナンドは満足そうに大きな声をたてて笑った。
その祖父の態度が全く理解できないといった表情で自分を見上げるアスールに、フェルナンドは優しく語りかける。
「あやつに勝とうなど、今のお前には到底無理な話だろうよ。まあ、ちょっとばかり座って話そうか」
言い終わらないうちに、フェルナンドはその場にどさっと腰を下ろし、ポンポンと地面を叩き、アスールに自分の隣に座るようにと促した。
アスールは祖父の横に静かに腰を下ろし木剣を置く。
「アスール。いくつになった?」
「九歳、再来月には十歳になります」
「ほう。……もう十歳か」
「はい……」
フェルナンドは大きな躰をアスールの方に向けると、日に焼け、深いシワの刻まれた頑丈そうな両手でアスールの頬をそっと包み込み、優しく語りかける。
「そうか、そうか。子供が大きくなるのは本当にあっという間なのだな……」
そうしてしばらくの間、真剣な顔でアスールをじっと見つめていたかと思うと、またいつも通りの笑顔を浮かべ、今度はわしゃわしゃとアスールの頬を撫でた。
「イズマエルに何か言われておったが?」
「次から一緒に稽古をするために二人知り合いを連れて来るそうです。一緒に競う友が必要だろうと言われました」
「なるほどな。うんうん。そうかそうか、友か」
フェルナンドは満足そうに何度も頷いた。
「そうだアスール。話は変わるが、もうすぐ収穫祭があるだろう? 毎年子どもたちが皆仮装しておる、例のアレじゃ」
「はい。来月の中頃ですね」
「来年はお前も学院が始まってこの時期の祭りに参加するのは無理じゃろうから、最後にローザを祭りに連れて行ってやれ。あの御転婆娘を来年の祭りに一人では行かせられんからの。ローザの大好きな仮装も今年で見納めじゃ」
「分かりました」
それこそ、
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