2 終わりであり始まりの日(1)
カルロたちのキール滞在予定はわずか一週間。
祝宴後すぐに帰国する予定になっているカルロたちは、ヴィルヘルムと双子たちとの面会の後、大慌てで街を飛び回っていた。カルロの帰国を今か今かと首を長くして待っているであろう家族への土産がまだこれといって手に入っていなかったからだ。
明日は午前中に国民へのお披露目が予定されていて、カルロも参加予定の祝宴は午後に王宮で開催される。
もともと身体が丈夫な方ではないカルロの第一夫人であるパトリシアは、三人目を身篭ってからというもの、今まで以上に床に伏せがちになった。
可能ならば親友家族の祝いの席に自分の大切な家族も列席させたいところだったが、決して安全とは言い切れない船旅に、ただでさえ病弱で、今は身重のパトリシアを連れ出すわけにもいかず国に残してきていたからだ。
ー * ー * ー * ー
明日行われる双子のお披露目を祝ってか、街全体も祝賀ムードで、行き交う人々もどことなく楽しげに見える。
自国クリスタリアとは違い、ここキールの街では市井の人々から自分が王子であると気付かれる心配も無い。
カルロはすっかり街歩きを楽しんでいた。
「折角だ。この国の普通の子供たちが遊ぶようなおもちゃも欲しいな」
城下の店々をあちこち回り、カルロは目につく面白そうなものを買い漁る。
さらには賑わう露天市場にある食べ物を扱う屋台では堅物のイズマエルが諌めるのも聞かず買い食いを始めた。挙句に一体何に使うのかも分からないものまでをも物色しはじめた主人に、同行していたフレドが「さすがにもうこれ以上は……」と言葉をかけた丁度その時にそれは起きたのだった。
キール城の方角から突如砲撃の音が聞こえたのだ。そして、それに続く怒号。
「若。早くこちらへ!」
イズマエルに急に腕を掴まれ、カルロは我に返った。
すぐさまイズマエルの誘導で三人は一旦広場の隅に避難することにしたのだ。
すでに辺りは突然の出来事でパニックに陥った人々でひしめき合い、立ち並んでいた屋台は人の波に押し倒され壊れ、あちらこちらから聞こえて来る悲鳴と罵声で広場は溢れかえっている。
「いったい何が起きたというのだ? すぐに王宮へ戻らなくては!」
焦るカルロに、イズマエルが落ち着いた低い声で告げた。
「それは得策とは思えません……」
「だが、城にはウィルやウィルの家族が居るではないか!」
呻くように言葉を発しながら城の方へと今にも足を踏み出そうとする主人に、今度はフレドが普段では考えられないような強い口調で言った。
「若、お止め下さい! これだけの群集の流れに逆らって王宮へ戻ろうなどと……いくらなんでも不可能だと、若にもお判りでしょう!」
確かにそうだ。
先程まではそれ程でもなかった広場の端でさえも、今や群集に飲み込まれようとしていた。三人は人混みを掻き分け、やっとの思いで側道へと逃げ込んだ。もはやそこで事の成り行きを見守ることが精一杯のように思えた。
「敵襲だ! ノルドリンガー軍が攻めて来たらしいぞ!」
そう叫びながら人々が逃げ惑う。
「何故だ? 不可侵条約はどうなった?」
「知るもんか! ノルドリンガー軍が城の周りをすっかり取り囲んでいるって話だぞ」
「それどころか、もう王宮内にまで軍が侵攻しているらしいぞ!」
「なんてこった……」
「国王様は? スサーナ様やお子たちはご無事なんだろうな?」
「そんなことわからねえ! とにかく少しでも城から離れろ!」
「これは大変な事態になりましたね……。群衆の言うことをそのまま鵜呑みにすることも出来ませんが……」
イズマエルが考え込む。
「人の少ない道を探して上がって行けば、ある程度近づいて王宮の様子も探れるかもしれません。私が行って様子を見て参ります。フレド、若を頼んだぞ!」
イズマエルは険しい表情を二人に向けてそう叫ぶと、あっという間に人混みの中へと消えて行った。
「分かった。任せろ!」
フレドは既に見えなくなっているイズマエルに向かって叫び返した。
それからも腹の底を突き上げるような重い砲撃音は鳴り止まず、王宮から出火した火災が城下街の一部にも燃え広がって来ているようだと人々が噂するのが聞こえてきた。
「イズマエル、こっちだ!」
三十分程経っただろうか、イズマエルが息を切らしながら戻ってきた。
「祝いの儀の関係で城の警備が甘くなっているところに、ノルドリンガー軍が奇襲を仕掛けた模様です。ノルドリンガーはかなり大規模な軍形をしいて王宮を包囲していて、とても敵の目を欺きつつ我々が王宮内に侵入することは不可能と思われます……」
「くそっ!」
「ヴィルヘルム様たちがどうされているかは分かったのか?」
「そこまで王宮に近付けた訳ではないので……はっきりとは。ただ、状況はあまり芳しくはないかと。それから少し気になることが……」
イズマエルは自分の考えを口にすべきか悩むかのように言いかけていた言葉を飲み込んだ。
「何だ? 何があった?」
「……これはあくまでも私の個人的な見解でしかないのですが……。火の周り方があまりにも早いように思えるのです。最初の爆発音から考えて、例え敵の奇襲が功を奏していたとしても、あの王宮がこうも短時間にあれ程までに早く火に包まれるとは考え難いのです」
「どう言うことだ?」
「あの火災は本当に砲撃が原因なのか……」
「まさか、内部からも同時に出火したとでも言うつもりか?」
「断定はできませんが……。あるいは」
イズマエルは常に冷静で、どんな場面においても的確な判断を下すことの出来る賢い男だ。それに単なる思いつきで軽口を叩く男でもない。
「我々もここに留まって居ては危険です。戦況によっては……申し上げにくいのですが、一刻も早くこの地を離れるべきかと……」
イズマエルの言いたいことは分かる。だがカルロはそれを受け入れることなどとても出来ない。
「……それは無理だ」
「若……」
「まあまあまあ。とにかく、現時点では国へ戻りたくとも我々の船はこのキールの街の港には停泊させていないのだから、すぐにはどうすることもできませんよ。どこかで馬を手にいれて三人揃って隣町の港まで行くか……。あるいは誰かが行って、船をキール港に入港するよう指示でもしないことには。とりあえず一旦ここを離れて、もうちょっと安全な場所で今後の作戦会議を再開するとしましょうよ。まあ言っても、ここの近くにそれほど安全な場所があるとも思えませんけどね」
フレドがちょっと戯けた口調で言った。
フレドも聡い男だ。人の気持ちを読むのが非常に上手く、どんなに険悪な雰囲気になっても、さり気なく場を和ませることを得意としている。フレドの一言に今まで何度助けられたかわからない。
「そうだな。まずは多少なりとも安全な場所を探すとしよう」
「でしたら、ここより少し道を下ったところに、今は使われていないと思われる水車小屋がありました」
イズマエルはちゃんと前もってそんなものまで見つけているのだ。
「そこで日暮れを待ちましょう。薄暗くなって人目に付かなくなってから私が馬を手に入れます。夜中のうちにはかならず船を移動させて来ます。いずれにしても、日の出までにはいろいろと決断しなくてはならないでしょう」
「……分かった」
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