3 終わりであり始まりの日(2)
日が落ち、また雪が降り始めた。
イズマエルが水車小屋を出てからも、王宮からは絶え間なく砲撃音が轟いていた。ノルドリンガー軍は物々しく王宮を取り囲み続けてはいるものの、今のところ王都全体を封鎖する気配は感じられない。
夜更け前にキール港の様子を見に行ったフレドの話によると、祝いにかけつけていた各国の王公貴族たちが乗った船は、ノルドリンガー軍に足止めされることなく続々と出航しているようだ。
つまりノルドリンガーは城内に居たであろう他国の者たちに手を出したり、人質にすることなく、無傷で城外へと解放されているということか……ロートス王国以外の他国と諍いを起こす気は無いらしい。
城下の人々はといえば、戦いに巻き込まれることを恐れ早々にキールから逃げ出した者も多いと見え、すでに人影はほとんど無い。
夜も更けて来ると街に残った者も息を殺してじっと家の中に留まっているのか、聞こえてくるのは不気味なほど定期的に発射される大砲の音だけになっていた。
「若、どうやらイズマエルが戻って来たようです」
暗い水車小屋の窓際にずっと陣取っていたフレドが囁くように言った。
しばらくすると、音もなくイズマエルが小屋の中に入って来る。
(出来た男たちだよ。敵わないな……)
こんな時だからこそ、カルロはより一層二人を頼もしく思う。
「クリスタリアの船はキール港の端の目立たない場所で待たせております。他国の船は我先にと続々と入港し、すぐさま出港しています。この状況が変化し、いつ港が封鎖されるかは正直誰にも分かりません。我々の船は若の判断でいつでも出航できる体制で待機させています。如何なさいますか?」
「そうだな……そもそも我々はこの国に軍を引き連れて来ているわけではない。そんな状態でここに長く留まっていたとしても、ロートス側に加勢することなど望んでも不可能な話だろう。おそらく今我々に出来ることは何一つ無いのであろうな……」
カルロは絞り出すように言葉を繋ぐ。
「ああ。だが、せめてウィルたちの安否だけでも確認することは不可能だろうか……」
「「……」」
(二人とも敢えて何も言わないのだな。それも当然か……)
決断しなければならない。
(この国の関係者では無い我々がここで争いに巻き込まれ傷ついたり、まして王子たる者が他国で戦死するなんて、決してあってはならないことだ。我々には帰らなくてはならない国がある。守るべきものが国にある)
「……引き揚げよう」
カルロはゆっくりと立ち上がった。
ー * ー * ー * ー
今夜は星すらも姿を隠している。
夜の帳の中で、振り向くと王宮から上がる赤黒い炎だけが妙に紅く揺らめいて見えた。
港近くまで来たところで、前を行くイズマエルが音もなく急に立ち止まった。
イズマエルの視線の先、暗闇の中、一瞬だが何かが光ったような気がした。よく目を凝らしてみれば、真っ白な雪の路上になにやらうすぼんやりと塊のようなものが見える。
「……どうやら人が倒れているようです」
近づいて確認すると、血まみれの若い女性だった。
彼女は何かを大事そうに抱えるかのようにぎゅっと身を固くすぼめていた。
その女性の傍にしゃがみ込んでいたイズマエルが振り返りながら早口で囁く。ようやく聞き取れる位の小さな声だ。
「意識がありません。助かるかどうかは……」
その時、女性が抱えていた包みの中から一瞬小さな鳴き声が聞こえたような気がした。
「赤ん坊が一緒なのか?」
その弱弱しい鳴き声に、主人の後ろに控えていたフレドがすっと女性の元に駆け寄る。フレドは女性の手を取り脈を確かめている。
「おそらく戦いに巻き込まれ、我が子を守るために大怪我を負いながらも必死に逃げて、ここで力尽きて倒れてしまったのでしょうね。可哀想に。この暗闇ではこの者の怪我の程度は分かりませんが、赤ん坊もいることだし、こんな寒空の下このままここに置き去りにするのも……どうされますか?」
問いはするが、既に心は決まっているとでも言いたげな表情でフレドがカルロを見上げながら尋ねる。
(ああ、全く大した従者たちだよ)
「急ぎ船へ連れて帰って手当をしてみよう。運が良ければ母親も助けられるかもしれない。たとえ母親の命を救うことが叶わなかったとしても、せめて赤ん坊だけでも助けたい。その子どもが、いつか平和が戻ったこの国に帰れる日を信じて……」
主人の答えを聞いたフレドの表情が和らぐ。
「若、お急ぎください! この者は私が運びます。フレド、お前は赤ん坊の方を頼む」
イズマエルは女性が必死に守っていたであろう包みを手早くフレドに渡す。それから倒れていた母親の方を軽々と抱きかかえ、船に向かって力強い歩調で再び歩き出した。
「では、赤ん坊は私にお任せ下さい」
(おやおや、この赤ん坊を包んでいる布も血だらけで、随分と酷い有様だな。いっそここで捨てていくべきか? でもまあ、この寒さを凌ぐためは、取り敢えずこんな血塗れの汚い布でもあった方がマシと言うものか……。それにしても、あんなに小さな泣き声しか出せないっていうのに、赤ん坊ってのはこんなに重たいものだったろうか?)
「よっこらしょっと」
「フレド、あまり手荒に扱うなよ!」
カルロが心配そうに振り返る。
フレドは母親からの預かりものを、がっしりとした力強いその両腕で、優しくそっと包み込むようにして持ち上げた。
「心得ておりますよ。こう見えて私だって一応二児の父親ですからね」
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