4ー⑧
「もっと水が温かけりゃ、バカナガ着けて川に入ってたんだけどねぇ」
「ばかなが?」
唯と礼はそれぞれタモ網とバケツを片手に河原を歩く。
「漁師さんや市場の魚屋さんが履いてるゴムのオーバーオールみたいなやつだよ。バカみたいに長い長靴って意味でバカナガって呼んでるけど、 正式な名前は知らないなぁ」
『ウェーダー』である。
「あ、唯ちゃん!小さい魚がいるよ!?」
礼が葦の茂る合間の水面に小さな魚の群れを発見した。
「よく見つけたねぇ……それっ!」
唯は素早く水面を掠める様に網を振るう。
「よし、獲った!」
バケツに川の水を汲み、その中へ網に入った魚を放つ。
「メダカだね。それも野生のやつだ」
唯が掬ったのは、5匹のキタノメダカだった。今や数が少なくなった原種のメダカである。
「よーし、私も捕まえるぞー」
唯から網を受け取った礼は魚の姿を探す。
「見つけた!」
水面に網を叩き付ける。先ほどの唯と比べると動きに無駄が多いが、それでも1匹は網に入っていた。
「見て!私もメダカ獲れたよ!」
「おめでとう、初ゲットだね……ん?ストップ、礼ちゃん待って!」
掬った魚をバケツに移そうとする礼を止め、 唯は持っていた奥行きの狭いプラケースに水と魚を入れる。これは採取した魚の姿を観察するための道具だ。
「礼ちゃん、いつはメダカによく似てるけど、別の魚。カダヤシだよ」
観察用ケースの中を泳ぎ回る魚は、一見して「地味なグッピー」とでもいうべき姿をしていた。
「カダヤシ……って、グッピーやエンドラーズの仲間の?」
カダヤシの和名は漢字で表記すると 『蚊絶やし』であり、その名の通り蚊の幼虫たるボウフラを食わせ、絶やす目的で北米から移入され全国各地の河川や池に放流された外来生物である。
「そう、そしてグッピーと同じく卵胎生で赤ちゃんをそのまま産むんだよ」
そのため稚魚の生存率が高く、更にメダカに比べて水質の悪化にも強いため一部地域では生物相においてメダカとカダヤシが入れ替わっている地域もあるとされる。
「カダヤシは『特定外来生物』だから、生きたまま移動すると罰せられちゃうんだ。だから観察したら逃がさなきゃ」
「そっかぁ……エンドラーズみたいで可愛いのに飼えないなんで残念だね」
「特定外来生物に指定されるまでは飼えたんだよ。 何年か前にガーパイクが指定された時は寅ちゃんが悲しんでたなぁ」
温帯が原産の生物は日本の冬を越す事が可能であるため、野外に放たれた生物はそのまま定着する。雌雄が揃えば繁殖し、生態系を脅かしてしまう恐れがある。それを防ぐ名目で作られたのが外来生物法及び特定外来生物という括りなのだが、
「捨てられたアリゲーターガーが日本各地で見付かったから指定されたみたいなんだけど、ガーパイク全種が規制されるのはおかしい、マンファリやトロジャンは日本の冬を越せないから除外してもいいたろってね」
「うーん……でも、沖縄とかなら冬も暖かいから熱帯魚には関係無いんじゃないかな」
「鋭いねえ礼ちゃん。現に沖縄の川ではプレコやティラピアが大量に繁殖してるんだよ」
「あ、何かテレビで見たかも。ほら、池の水を抜くやつ」
礼からテレビ番組の事を聞くや、 唯の顔色が少し傾く。
「あたしはあの番組、嫌いだね。何か殊更に外来種を悪者にしたような印象を与えてくるからさ」
サッパリした性格の唯が、 他者に対して嫌悪感を示すのは珍しいと思いながらも礼は話に耳を傾ける。
「そりゃあ、そこにいるはずのない生き物が生息してるのはよろしくないよ?でもさ、悪いのは逃がした人間であって、生き物に罪は無いわけだから」
礼の記憶だと、あのテレビ番組は池の中から外来種が見付かる度に「ヤバい奴、出た〜〜www」 などと面白可笑しくナレーションを当てていた。
「ウチは観賞魚屋だから、プレコもティラピアみたいなシクリッドも、規制される前はガーだって商品として扱ってたし、ペットとして飼われてた外国の魚が日本の川や池を泳いでる事の責任はウチらの業界にもあるんだ。もしかしたらウチの店で買われた魚がこの川に捨てられてるかもしれないしさ……」
そう語る唯の瞳は少し悲しげな陰りを纏っていた。
「だからさ、礼ちゃんも飼ってる魚をその辺に放すのは絶対にやめてよ?飼えなくなったらウチで引き取るから」
「……しないよ、そんな事。私は入部する時に決めたもの。アカヒレみたいな小さな魚でも、命である以上は責任を持って飼うってね」
唯は笑って頷いた。勘違いと部員確保のために礼を部に勧誘したが、彼女を部に引き入れた事に間違いは無かった……改めてそう思ったから。
「このカダヤシだって、元は勝手に連れて来られたんだもんね……」
礼はプラケース内の水ごとカダヤシを川に逃がした。 生物飼育と外来種問題は密接な関係にある。 その根幹は人間の過ちであり、外来種に罪や責任を負わせるべきではないのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます