空想空気力学のヒビスクスインスラリス

小鳥遊咲季真【タカナシ・サイマ】

第1話 己(おの)が語り

 空想空気力学というのを知っているだろうか。いや、問いただしておいて悪いが、これを知る者は、恐らく、恐らくだが知る者はいないはずである。いや、いない。いてはいけない。ああ、そうなのだろうそうだとろうとも。法螺ふいて知ったふりをして知ってる知ってるというやつがいたのならそれは眉間にしわを寄せることとなるし、誰だ貴様はと問いただすことになる。なぜならば空想空気力学というのはさきほどふと自分が思いついた言葉であり、学問なのだ。誰が知ろうかそのような世迷い言。知っているとすればそれは超能力者であり、超能力を既に使用して私の頭の中を覗いて見たに違いない。そうでなければ、今、まさに、今、私の頭の中で完成した空想空気力学は何であるというのか。他ならぬ私だけの学問であり、理論なのだ。ネットには書き込まない。自著として発刊する予定はない。エスエヌエスに投稿するつもりも毛頭ない。誰かに話すかといえば、そうだな、話すとするならば、そうだな、ふむ、有人飛行か元赤坂くらいだろうか。あいつらでさえ、半年に一度連絡して、ちょっと出会うかどうかの心置きなく話せる一生の友人だ。二十歳を五、六歳過ぎた私達にしては、頻繁に出会っている方だろう。



 私は元赤坂のことが中学の時から好きで、高校の時にバレて玉砕し、友人・比高ヒダカはそれを一生のネタにする背のでかいだけが取り柄の有人飛行だ。ちなみに今でも彼女のことは好きだし、彼のことは命の恩人だと言えるほどに信頼している友人だ。なにか詐欺や特殊詐欺やオレオレ詐欺で引っかかるとしたら、彼による仕業であれば喜んで大金を振り込もう。いや、実際そんな大金はないし、有人飛行はそんなことをする人間ではないのは百も承知だが、たとえば、たとえば引っかかるとしたらだ、それは許せるというぐらいそんなことはしないという裏返しの友情を持っていると信じている。相手の本音はわからないし、私の独り相撲なのかもしれないが、それでもそれだけの付き合いだと思っており、あり、おり、はべり、いまそかり。



 私は、『無職無名さんはこちらです』、というネットのスレッドを呼び出し、空想空気力学について、と書き始めて辞めた。この無職無名さんというのは私の今の現実という名の状況をリアルに反映している自虐を精一杯、精一杯抵抗! したネットスラングでありネットミームとなりうる逸材なのである。つまり簡単に言うと、私の立ち上げた掲示板で、ブログのようなそうであるような、一部人間にのみ知られていたり知られていなかったりする、そんなたぐいのネット掲示板の名前である。



 ふぅ、それにしてもなぜ私は今思いついたばかりの考えをネット上に記録しようとしたのだ。馬鹿か。それでは私だけの理論ではなくなるではないか。他人の目に触れてはいけない。これは未発表のまま、然して歴然たる事実として存在し続ける理論なのだ。分厚い白紙の本を買ってきて、ひとりでに記録していくとしよう。



 そんな『無職無名さんはこちらです』に投稿されている少ないスレッドを見ているうちに気になるタイトルを見つけた。『ノブさんの支援を加速させ、支持を確定させるスレ』。ふむ、ここで言うノブさんとは私のことだろう。私の名前は 『慟哭の泡沫 幻影の暁月 アノニマス・ゼーレ・ノブレス』ノブレス略してノブさんである。長いからな。仕方がない。短く呼びやすくなるのは自然の摂理であり需要と供給の結論だ。



 さて、それはともかく何だこれは。私は国会議員指名選挙にでも出馬したのか? 支援? 支持? わからない。しかもこれ一ヶ月以上前の投稿だ。何件か支持する、同意する等のコメントが並んでいるが……………私は誰ひとり知らないと思うぞ、こいつら。私の友人は、有人飛行と元赤坂の二人ぐらいなもので、他に知り合いといえば、コンビニで平日の夕方に行くといつも見かける女の子の店員とか、メンタルクリニックで働く受付、相談員、先生とかが見知ったというより一方的に覚えている人間のすべてだが、しかしそれらにももちろんこのように支持支援される覚えはない。私は人前に立つというのが酷く苦手で不得意で病気的に拒否してしまう人間だ。誰かに応援されるような立場にはない。代表、リーダー、国を、組織を、地域を、チームを、何かを背負うことなんて、そんな、そんなことなんて人生一度も無いあり得ない、あり得うることの無い生き様なのに、なぜ、まさか、なんでどうしてこんなことに……いや、間違いか。何かの見間違いかもしれないもう一度見てみよう。



『無職無名さんはこちらです』

『ノブさんの支援を加速させ、支持を確定するスレ』

『同意』

『同じく』

『支持』

『命があれば馳せ参じます』



 荒らしも否定もアンチも広告も無い。題名が健全とそこに存在し、百近い近似したコメントが並んでいる。まるで軍隊のように。訓練された人たちのように。熱心な宗教信者のように。きれいに、整って、整然と、きちんと並んでいた。百件近く。ざっと。なんてことだ。私はいつの間にそんな見知らぬ多数の人間から支持を得るような人間になったのだ。いや、もしかしたら私がコンビニの店員のことを一方的に見知っているように、私は知らないが相手は自分のことを知っているだけかもしれない。有名人のことを見かけただけできゃっきやっする平凡な人のように。有名人にとってはその平凡人なんて知り合いでも、見知った人でもないのに。では私は有名人か? いやいやまさかまさか。そんなことはない。恐れ多くもそのようなことを自負することはできない。有名さのかけらもなく、平凡以下と平均以下を足して下げたような地面の這いつくばりを得意とする極めて最底辺の人間である。無職であり資格もなくスキルも得意もないし特別もなければ特殊もはたまたない無名の、そう、無名の人間である……はずなのにどうして。なぜ。こうなった。自分の作った掲示板であるとはいえ、顔出しもしていないし、名乗るような自己紹介も書いてない。宣伝も、拡散もできるだけ起きないように、起こさないようにしてきた。しかし、しかしだ。私の名前は愚か、略称の呼称にて呼ばれている上に謎の支持まで受けている。私の呼び名を知っている人間など五本指で数えたちょうどそのぐらいの人数しかいない。



 〉やあ元気かい? できれば近く会いたい。

 〉久しぶり。それはふたりとも?

 〉ああ、もちろんだとも。ぜひ二人に会いたい。都合がで構わないが

 〉じゃあ、来週の月曜日は?

 〉……夜なら構わない。ノブは?



「来週の月曜の夜、か…………」



 ああ、もちろん構わない。私は大丈夫だ。無職に都合などない。無名にスケジュールなど存在しない。いつでも誰でも都合をつけて駆けつけてやる。それが友からのお願いだというのなら尚の事。まあ、誘ったのは私なのだが、それはそれとして、私に都合はないのでいつでもオーケイだということである。



 〉オーケイ。では夜の月曜日に。ラ・エルソウ・ディスティアーナ



〉〉翔太ー。ごはんよー。



 時刻。十八時ジャスト。


 夕食の時間だ。母が作ってくれた夕飯はなんだろうか。何でも構わないがトマトだけ早めてほしい。トマトはやめて、ほしい、です。はい。苦手なんですよ、単純に。ね。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る