本論


1奩纜㈧年▼月○日

花を育てようと外に出したプランターに

鳥が撒いた種のキレイな雑草の花が咲いた

私が家出した間に

雑草は三代目の実生を構え堂々の佇まい

素晴らしい生命力だと、私は感心する

大家に死亡者扱いされ慌てたが

考えてみれば昔の名前に拘る必要はないのかもしれない

こうして、かつての名前も戸籍も失って

私は誰からも認識される術を失った

のだった。


妙な解放感で商店街を歩く

久しかった食欲が戻って

精肉店のコロッケを頬張る

油味の脂が口いっぱいに広がる知覚のゆらぎ

波のように響く情報の往来に頭が重くなる

生体の肉の細胞が増殖し、分裂するように

肉体を生え広げるように私を変えてしまうようになる

あの日食べた干し肉のような感覚


命の味を戴いている。


じわり

私の肉体の味は─

体に輝きが立ち上った気がした

貴さのない命にはじめて哀しみが砕けた

ひさびさに弾んで笑うことができた



痛い思いをするのが怖くて避けてきていた

きっと私は傷ついても死ぬことはない

それでも自棄にならずにいたのは、自惚れにも

怖がった為。

痛みに悲しむ間は哀れになるから

励ましの言葉の無常観を喜ぶことができた

雹が降り出していた

口径5cmの粒が肌を打ちつけていた中を

できる限りで探した、高い電波塔の頂上に登る

皮膚が変色して捲れた、裸足の裏を

撒き菱しの氷が皮を裂いた。

弾ける痛みに顔の引きつりが慣れた頃

とびきりの光量に視界が眩み

避雷針に落ちるべき雷の直撃をうけた


ゴオオ─


滝のように奔流が押し寄せたかのようだった

堪らなく大きな音が私の体をかけ巡り

痺れる感覚に酔いしれる

待っていた瞬間が到来する歓喜

イってしまったように白飛びした眼前の景色と

刹那の瞬間が終わった暗転

震えてたまらない剥き出しの痛覚を

雹が狙撃して落下する。

頸をあげて

己の匂いをしかと吸い込んだ

圧倒的な死の香り

真っ黒な体の縮れた筋線維は、至るところで私を硬直させる

なんて素敵な香り

己から立ち込めている焦げたタンパク質の変性した異臭の

多幸感に身をつままれているかの様

何も聞こえない内耳の世界で

先ほどの轟きが反響して消えなかった…



ブチ

カラスが私を食む

熱々の肉に避けながらも群がり

私の肉を引き裂く嘴の鋭さ

眼の光が度々動いてはぬらぬらと光る、

ツプ

ブチブチ

生々しくて見ていられない

それでも

生きることに必死な

彼等を


「愛している。」


プチ。

肩をつまむ、簡単に外れる欠片

カラスが餌付けを待ちかねて奪うのを宥め

それを口に運ぶ

価値のある

いま

私の味は──



ぐらり。



2#捌㈰年■月△日


ああ、そうか

あれは夢だった。

終わってしまったのだな、私を焼いたのに

あんなにも勇敢に目的を遂げたのに

たった数年で目が覚めるなんて─

信じたくない

もっと不在の感覚に身を任せていたかった

もっと狂ってしまいたかった!

私は…

私はどうしたらいい?

理性なんてなくしてしまいたいのに!


…もうたくさんだった

私を封じ込める肉体を焼いて

解放されて

そうしてそれで終い

終わってしまいたかった、のに


振り出しに戻らなければならない

私を失うために

後生を忘れるための作戦を立てなければ。

ひとりで生きている

知り合いのいない世界に残された感情を

一つの喉で

延々と味わっている

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る