自失早世

豆炭

序章


太めの針が刺さったような頭痛がする

慢性的な運動不足で悪化した体の怠惰のアシを

夕方時の強い日差しが焼きつけた。

傷んでしまえ

劣化した血液が懸命に体内を循環する

少しの血圧上昇で疲れてしまう

ああそのまま、傷ついてしまえ

品質の落ちた肉になってて喜ばしい

私は死んでしまえばいい

フィルムリールの回転で過去の記憶を回想する



1#66年■月△日


「ありがとう、人間さん

ぼく助かりました」


踏切の真ん中で倒れ伏した少年を助けたのは、誕生日を迎える日のある週だった。

どうしてそんな場所で倒れていたのか分からない

が、彼は痩躯の体でどこか精力に欠けていた


「人にやさしくされるのは慣れないから

貴方が来たときびっくりしちゃって強く握っちゃった

て、痛くない?」


甲高い踏切の音がしていた

目の前にいる少年が、踏切の上で動かずにいて

轢かれる状態をみるのはイヤだった

それだけだ、体を抱えて持ち上げたときに

咄嗟に腕を痛いほどの力で握られたが

拒否はされなかった


痛くないよ。それと

もう、こんなことしちゃ駄目だよ。


「そんなことって?」


すると、電車が私達のいた道のすぐ横を

莫大な質量の轟音を引き連れて通過する

何を言っても聞こえないので口を閉じて指を指した


「あ…」

得心した顔で呟く


「こんなに大きなものが通る道だったんだ

人間さん、ぼく

ぜんぜん知らなかった」


風に巻き込まれた私たちの髪が解けてバラバラに分岐して

接続して、上へ上へたなびく

ありがとうございます、と彼の口が動いたのをみて

私は俯くことしかできなかった

……


誕生日を控えた日に、私はたくさんの友人とお金と

ツテと生きがいと時間とこれまでの漠然とした幸せを

すべて失った。

最下層の真ん中で孤独になってしまった。

電車が去って、寂しい時間が戻ってきた


実はね、誕生日が明日なんだ。

だから自分のために良いことをしたかったんだよ。


言うつもりすらなかったことを言ってしまった

周囲は真っ暗な空気で凍っている

彼はその時どうしたか


「じゃあこれあげる

生まれた日のお祝いだよ」


そういってみすぼらしい干し肉を差し出した

さみしさを紛らわす言葉が口に出てしまって以来

それから

ずっと孤独に息が詰まって苦しくて──

耐えられなかった

寂しさのあまり、一口を囓って飲み込んで

口内で溶ける脂がじんわりと広がったのを感じて

暫くその場から立ち直れなかった



あの日から何年、いや何百年経ったか

彼は私を人間の体によく似た生きものに変えた

人魚伝説のように、彼の手にした肉によって変わった。

生きていれば不思議なもので

人間だったときの記憶は、最後の時期の出来事を除いてほとんど失ってしまった

彼は海から来た人魚だと分かったのは後のことで

彼も話と同じく不老不死なのだと知った

自分が変わらなくても周囲は変わってしまう

この身をバケモノと形容するのに時間は必要なかった


生命の蝋が永久に燃え続けるから

私が人生に刻んでいた目標や好きだったことや情念の闘志は

遠く離れるにつれて翳り

掠れて消えてしまうようになる

生涯をかけて打ち込む標榜が消えていった私は

生きる目標がなくなっていって

なんのために生きているのか、何もわからなくなってしまった。

彼のことはもうずっと見ていない

目を閉じても、開いても

息をしていても同じ

孤独なあの時と変わったことがあったのか

………

凍りつくようにして佇んでいる

しゃがみ込んで気づいた

接近した地面の砂つぶの隙間で

微小な虫が息絶えているのだと


静かすぎる部屋にいたたまれなくて

行けるところまで歩いたことがあった

乗り物を使ってまで行くほどの手持ちは未だになく

野宿をして歩く日々

警察官の補導からは逃げる日々

かつての人間みたく排泄も運動も必要だったから

着ていた衣服は汚れた姿なことこの上ない

都心の交差点を裸足で歩いたとき

人々は私を意識して無視するか見つめるかのどちらかだった

人の目に晒されて、わだかまりの虚無感に苛まれた

どこへ行ったってそこに居場所はない

山を踏破したって、それで?

それになんの意味があるのか

私の命はこれからも切れずに続いていくというのに。

何よりも価値のないものを賭していくほどの

情念は寿命基準の定規でしかない

杓子定規の摩擦で水疱が破れ

患部に砂を擦りつけながら歩いていた

生きたい気持ちがわかない


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