Chapter3 死の原因/七日目
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とは言ったものの、ほとんど何もせずに時は過ぎ、シホの死から今日ですでに六日が経過していた。
その間、容疑者が逮捕される様子はない。街の噂でも犯人を特定できるような確固たる根拠の感じられる情報は得られなかった。
ハクから事件に関して何かを言ってくることもない。
平穏な時が流れていく中、ぼくは自分で情報を仕入れようと、行動を始めた。それでも積極的に関わろうとしたわけではなく、誰かと話をする時についでのように話題に出す、それだけだけれども。
手に入れた情報は、大きく分けて三つある。
シホの死体の状況。
シホやタダシのグループが行っていた悪い噂。
タダシの失踪。
その三つだ。
どこまで本当のことなのか疑問だけれども、話によると、シホにはほとんど外傷はなく、死体からは大量の血液が失われていて、首筋に二つの小さな穴が開いていたのだという。
そう。
首筋の、二つの穴。
吸血鬼ですか?
はじめその話を聞いた時に、ぼくは呆れてしまった。だがしかし、少し考えれば要するにそれは、吸血鬼のような得体の知れない化け物による犯行を示すのではなく、吸血鬼を模した装飾的な殺人ということなのだろう、と解釈できた。
吸血鬼犯行の噂はかなり広まっているらしく、誰に訊いても応じてきた。反応は様々で、吸血鬼の存在を肯定否定する者だけでなく、どちらもせずに噂それ自体を膨らませて楽しんでいる者もいた。よく考えればあの日、一〇〇人近い人が死体のすぐ近くにいたわけで、発見されて警察が来るまでに、何十人も目撃者がいただろう。となると、誰かが意図的に流した誤情報、ミスリードなんかではなく、確かにシホの死体は、吸血鬼による犯行を思わせるような装飾がなされていたのだとは思う。
けれども、そのインパクトが強すぎた為か、広がった情報には尾ひれがつきすぎていた。
共通するのは首筋の、吸血痕に告示した二つの穴だけで、後は血が抜いてあったとか、巨大な注射器が落ちていたとか、いや、大量の血液が流れて川になっていただとか、死体は漆黒のマントを着せられていただとか、ウェディングドレスだったとか、裸だったとか、まったくのバラバラで、情報の意味を成していなかった。
一方で流れたのはシホの所属していたタダシのグループ【Silver Bullet】の黒い噂だった。
暴力団と関係を持っていてクスリを売りさばいていたとか、少女売春組織を構成していただとか。
こっちの情報は吸血鬼の噂とは対照的に、知っている人は知っているといった、前々から囁かれていた不穏当な情報だったらしい。
ならば、シュンや【クレスト】のフジヤが知らないはずもなく、以前に言っていたフジヤとシュンの『心当たり』とはこのことだったのかと、納得した。《クレスト》は、売春はともかく、クスリについては絶対的に禁止しているので、近々一騒動があるのではと予測されていた矢先の事件だったらしい。その流れで《クレスト》の一部過激メンバーが犯人なんじゃないかとの噂もあったらしいが、それはまったく根拠のない話だった。
同レベルの根拠のない話として、クスリの売買について上部組織である暴力団とのトラブルが原因ではないかとか、売春の客との間で起きたトラブルだとか、そんな噂もあった。だが、あの場所には当時、一〇〇人近い人がいたのだ。不審者の目撃情報がほとんど皆無に近い以上、まったくの第三者が関わっている可能性は薄かった。
容疑者を特定する情報もいくつか錯綜している様子だったが、情報源が『友達の友達』といった日には、ほとんど考慮に値しない問題だった。
そんな時に、タダシが姿を消した。一昨日の話だ。
シホの死後、タダシの精神は明らかに安定を欠いていたという。
ちょっとしたことでもすぐに怒り、何かに怯えるように閉じこもったり、また「シホの仇を取る」とか「犯人をぶっ殺してやる」とかやたらと騒ぎまわっていたらしい。
当然のようにまた噂は流れる。
犯人を追って街を去ったのだとか、逆に犯人から逃げているのだとか。酷い噂になると、実はシホを殺したのはタダシ自身で、発覚するのを恐れて逃亡した――なんてものもあった。
どれが本当の情報なのか、まるでわからない。ぼくには、判断できない。一つ一つの情報を取れば、どれもそれなりに正しい風に装飾はされているのだけれども、すべてをつなげてみればまるで絵にならない。
絵にならないのはまだ材料が足りないのか?
たとえ絵が示されたとしても、ぼくに絵心がないから理解できないのか?
「正しい情報ほど早く隠され、改竄されていく」
ハクの言葉は正しい。
きっと、噂なんかいくら集めたところでそれらはすべて改ざんされた後のものなのだろう。
そこから改ざんされていない、素の部分だけを抜き取って組み立てる技術は、まだぼくにはない。そんな気がする。
つまりは――
「考えても無駄ってことか」
敗北宣言。
アパートの自室で布団の上に寝転がって、ぐるぐるとシホ殺害事件の情報を頭の中で転がした。
早々に諦めて、起き上がる。
結局今ぼくにできることはひとつしかなかった。
ぼくより頭のいい人に聞きに行く。
つまりはハクだ。
ハクは待ってろと言ったのだが、そろそろ我慢ができなくなってきた。
「いや……もうひとつ方法があるか」
情報の収集方法に、ぼくにはもうひとつ心当たりがあった。
けれども少し、いやあまり、使いたくない心当たりだった。
それを使うくらいならば、ハクに教えてくれるよう要請する方がずっと簡単で、手っ取り早かった。
噂の中には警察とは別に【クレスト】が事件を調べているとか、そんなものもあった。当然だろう。【クレスト】の活動目的の中には街の治安維持がある。ロドレンの、成立しているのかしてないのか良くわからない社会の中でのみ作用する、擬似警察機構のようなものだ。彼らが動くのは、ある意味当然だ。【クレスト】が本格的に動いているのならばハクも協力しているかもしれない。【クレスト】のフジヤからハクに相談を持ち込んでくることが、以前にも何回かあった。さすがに警察と行動を共にしているとは思えないが、あるレベルでは警察よりもよっぽど『こっちの世界』には詳しい。警察を出し抜いて犯人を捕まえるなんてことも、ひょっとしたらできるかもしれない。
――暴力団が関わっていなければ、の話だけれども。
どこかの組が関わっていれば当然圧力がかかるだろう。フジヤはそれでも真相を明らかにすることを諦めないかもしれないが、仲間を危険な目に合わすわけにもいかず、当然活動は縮小するだろう。暴力団に見咎められない程度に。そうなると真相を明らかにするのは難しいかもしれない。
けれどもぼくは、この事件に暴力団が関わっているとは思えなかった。
暴力団がやったのなら、あんなに人の多い場所で、目立つように死体を放置するとは思えない。
痕跡をまったく残さず、きれいに消してしまっただろう。
シホは、寺田志保は行方不明者として処理されることになっただろう。そうして行方不明になった人を、ぼくは何人も知っている。
そうなっていない。
つまりこれは、暴力団の仕業ではない。
結果、フジヤたちに圧力は掛からず、捜査は続けられる。
ならば、吸血鬼の犯行だと噂される死体の状況が気になった。
吸血鬼の犯行に擬するなんて、いわゆる小説やらドラマなんかでよくある、快楽猟奇殺人ってやつなんじゃないのか?
なら、ひょっとすると、まだ事件は終わってはなくて、ひょっとしてまだ、一人目の死者に過ぎないんじゃないかって、思えてくる。
ぶるりと、身震い。
ああ、早く着替えないと。
フジヤたちには早く犯人を見つけてもらいたい。
ぼくが着替えをしつつ、事件について到底愉快ではありえない想像を巡らせていると、インターフォンが鳴ると同時にドアを乱暴にノックする音。
誰だろう? また用もないのにユウナでも来たのだろうか? シュンはノックなんかせずに、偶然ぼくがドアを開けるまで何時間もドアの前で待ち続けるタイプだし、ハクやチコの反応は常識的で、ただインターフォンを鳴らすだけでわざわざノックまではしない。つまり、訪問者はユウナだ。どことなく救われた気分で、ぼくは扉を開けた。
「……あれ?」
見知らぬ二人組が立っていた。何が気に入らないのか不機嫌そうなお姉さんと、何が楽しいのか幸せそうなお兄さん。二人とも年齢は二十代後半から三十代前半辺り。対称的だがどちらも異様な雰囲気をまとっていた。
お姉さんの方は一八〇を越すだろう長身で、ボディビルでもしてるのかといいたいほどの筋肉が腕やら足から窺えた。けれどもどういうわけか、体全体の雰囲気は柔らかで、実に女性らしく見えるのだ。なぜかと考えたら服装だ。どうしてマタニティドレスなんか着ているのだろう? 何かの罰ゲームか?
お兄さんの方は、比べるとずいぶんまともで、服装は紺のスーツだった。明らか一回り小さいサイズだったが。普通のサイズを着ればさほど目立たないだろうお腹が、小さいサイズのスーツのせいで、必要以上にでっぷりと強調されていた。なんだってわざわざこんな服を着ているのだろう? やはり罰ゲームなのか? 罰ゲーム曜日なのか? 殺人事件より巨大な謎のような気がしてくる。何かの作戦なのだろうか?
お兄さんが人の良さそうな笑顔で、懐に手を入れながら聞いてきた。
「杜代くんだね? ちょっといいかな? 実は――」
「警察の方ですか? 立ち話もなんなんで、どうぞ入ってください。お茶でも入れますから」
先手を打とう、と思ったわけだったが、有効打となったようで、お姉さんとお兄さんはとても驚いたように目を見開いた。
「いや、でも一応規則だからね」
一瞬にして立ち直り、お兄さんは笑顔のまま、懐から取り出した警察手帳をめくって見せた。石本哲二という名前と、スポーツ狩りの、今よりやや若く見える目の前のお兄さんの顔写真。写真の中のお兄さんは今目の前に立っている人物とは思えないくらいほっそりとした表情で、しかめ面をしている。
「はぁ……お兄さん、写真写り悪いですね」
感想でも求められているのかと思い、言ったのだが、何か予想外のことを言われたらしく、刑事さんは少し驚いているようだった。
コップに麦茶を入れて差し出すと、お兄さんは何の遠慮もなく手にとって、一気に飲み干した。
ぼくは少し唖然として、けれどもすぐに気を取り直して「オカワリいりますか?」と聞いてみた。
「いや、いいよ。われらが奉仕する国民に無駄遣いさせるわけにはいかないからね」
それなら最初から飲むなよ。と思ったが、石本さんの体格ならば水分は多く必要なのだろう。たぶん。
「私は県警捜査第一課の石本哲二と言う」
「ほー次男坊ですね」
「いや、四男なんだ。私が生まれる前に長男は親父と喧嘩して家を飛び出し、次男は性転換で女になって、共に勘当されたからね。いないものとして扱われたんだ。ちなみに石本家には先月、九男の一郎が生まれた」
いや、そんな愉快な家庭事情までは聞いてないんだけど。
何かの伏線だったりしたら、やだな。
石本さんは楽しそうに語りながらどっしりとあぐらをかいて座った。ぼくも腰を下ろす。座布団なんてブルジョワなものは存在しない。やや遅れて、女性も石本さんの隣に腰を下ろした。正座。
正座したまま女性は、深々と、静々と、丁寧に頭を下げる。完璧な大和撫子風動作に、かなり意表を突かれてしまった。
動揺するぼくに止めを刺すかのように、女性は甲高いアニメ声で自己紹介した。
「同じく捜査第一課の宮城雪芽よ。よろしくね」
愕然としてしまった。
なんなんだ、この人たちは。警察ってことは間違いないと思うけども、どうしてこう、狙ったように意表を突いてくるのだろうか? 先手を打って警察であることを看破してみせた仕返しだろうか? それとも天然なのか?
「ちょっと聞いてもいいかな?」
ぼくの動揺を知ってか知らずか、石本さんは話を振ってきた。
「ええ、どうぞ」
警察に尋ねられることなんて、だいたい予測はつくけど。
「昨日の晩ご飯、何食べた?」
「はあ?」
まったく予想外の質問だった。
「答えられないのかな?」
「あ、あー、ちょっとまってください」
えっと、昨日は何を食べたかな? ああ、そうだ。ハンバーグだ。スーパーで安い肉が売っていたのだ。
「ハンバーグです。ちなみに今朝はハンバーガーを食べました」
「寺田志保さんの殺害事件を知ってるね? あの日の夜、きみは何をしていた?」
「えーと、友達と……」
口ごもる。
「あ、未成年の飲酒は管轄外なのでとりあえず不問にするから」
「……飲んでました」
実はメンバーの中で成人してるの、ハクだけだったりして。ユウナとチコは大学生だけれども、ぼくとシュンに至っては、まだ高校生だったりする。
「友達って言うのは?」
「ハクとユウナと、チコとシュンです」
「きみたちのチームかね? 本名は?」
「えーと、シュンは塚守俊介で……ユウナは、佐竹夕菜、だったかな? ハクとチコについては知りません」
「なるほど、チーム名は?」
「ありません」
「めずらしいね」
「そうですか?」
喋る。
公園で宴会を始めたこと。ぼくが少し遅れてきたこと。ビールを飲んだこと。人が増えてきたこと。収拾がつかなくなってきて、ユウナのマンションに避難することになったこと。
「そのころ、何人ぐらいがいた?」
「……一〇〇人くらい、いると思いました。数えたわけではないので正確な人数はわかりません」
「きみたちが去ったときには九十八人だったらしいね。なかなか正確だ」
――すげぇ。調べてるのかよ。
「ひょっとして、全員事情聴取してるんですか?」
「だからここに来たんだよ」
「――大変っすね」
宴会が終わるころにはもっと多くなっていただろうから、その全員の事情聴取を済ませてここに来たのなら、一週間という数字は結構早い時間なのかもしれなかった。
「ありがとう。ところで、何か不信な人物はいなかったかい?」
「特に気づきませんでした」
「どうしてきみのアパートの方が近いのに、佐竹さん――ユウナさんのマンションまで行ったのかな?」
「ユウナのマンションの方が断然広いからです」
「それ以降、公園には戻らなかった?」
「ええ。戻ったのは、翌日の朝――八時過ぎ……いや、それはマンションを出た時刻だから、八時半ごろです」
「その間、誰か離れなかった?」
それは、決してぼくらを疑っているわけではなく、形式的なものに過ぎなかったのだろう。
「ええと、途中、ユウナとシュンが、買出しにでたような、気がします……」
「気がする?」
「ええ、眠かったもので……けど、起きた時に最初はなかったものとか、ありましたから、買出しに行ったことは確かだと思います。部屋を出て行くユウナとシュンに、覚えがあります」
どっちがどういう順番でどのように出て行ったのかは、すでに覚えていないけれども。
「それは何時ごろ?」
「よく覚えていません。十二時前ということはないと思います。帰ってきたのは気づきませんでしたが、朝起きたときユウナは隣で、シュンはドアに背を預けて、ちゃんと寝てました」
「なるほど。ところでシュン君はいつもああなのかね?」
ああ?
あ、そっか。
「ええ、そうです。彼はほとんど喋りません。極めて無口に近い寡黙です」
それは警察相手には許されることではないかもしれないな、と思う。シュンはいったいどうしたんだろう。喋ったのか、喋らなかったのか。まあ、別に容疑者ってわけじゃないし。それほど喋ることを強制されることはなかっただろう、と思う。
「ふむ」
と石本さんはうなずいて、黙って座っていた宮城さんに何やら耳打ちをして、お互いうなずきあう。
「ありがとう。参考になったよ」
立ち上がる。
どうやら本当に、参考にするだけのようだ。
そうだよな。一〇〇人以上も事情聴取しているのだ。どうやらぼくの容疑者としての順位はかなり低いようだった。それもそうだ。普段あの公園を拠点にしているとはいえ、宴会となるきっかけを作ったグループの一員とはいえ、実際のあの場所にいなかった事はほぼ確実だし。ああ、そういえば、シホの死んだ正確な時刻って、わかっているのだろうか? 当然わかっているのだろう。ぼくらがいない時に起きた殺人だとわかっているからこそ、ぼくに対しての事情聴取は適当なものになったのだ。
玄関まで二人を見送って、ダメ元で訊いてみた。
「あの……容疑者、特定できてるんですか?」
「ええ、だいぶ、絞れてきています」
応えたのはアニメ声の宮城さんだった。
その言葉を素直に信じるほど、ぼくは子供ではなかった。
絞れているなんて、単なる言葉遊び。
全人類七十億人から日本在住者一億三千万人に限定できても、それは絞れたと言えるのだ。
どうなのだろう?
警察は捜査をどれほど進めているのだろう?
関わった人が多すぎる。けれど、警察はぼくの持っていない情報を持っているはずで。
たとえば、タダシたち【Silver Bullet】が何をしていたとか。
ぼくには、何も想像がつかなかった。
「ご苦労様です……」
つぶやいて、ドアを思い切り、叩きつけるように閉めた。
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