3
葬式が得意なんて人は、いないと思う。
いたとしたら、それはすごく不幸な人なのだろう。
知人に死なれるということは、それは例えさほど親しくない者のでさえ、なんらしかの心に染み入るものを感じるはずだ。
それは、他人の死を見ることによって、自分自身や親しくしている知人の死を連想せずにはいられないからだ。
得意なんて言える人の不幸とは、葬式に慣れてしまったという不幸以上に、そんな死の連鎖の発端にありながらも《得意》などという、のん気な感想を言えるという事実そのものが、それほどまでに磨耗しきってしまった感情が不幸なのだ。
死の痛みに鈍感になってしまった不幸。
生の痛みに鈍感になってしまった不幸。
自分の痛みにも。
他人の痛みにも。
……あーつまり。
痛いです。
足が。
痺れた。
……
……
……
現代人が正座するような事態なんて、日常的にそうあるわけがなく、慣れていないのも仕方がないのだ。
お坊さんの誘眠的で意味不明なお経を聞き流しながらぼくは、自分でもよく意味のわからないことを必死になって思考することを思考して、足の痺れから気を紛らわそうとしていた。
ほかにも痺れている人はいないかと、注意して気配を探ってみれば、何人か足をもじもじと動かしているのが目に付いた。老人たちは皆、小揺るぎもせずにしっかりと正座していたが、中年以下の人々の中には顔をしかめたり、姿勢を崩している人を見ることができた。前列に座っている受付をしていた小母さんも、足を崩していた。その隣に座っている里穂も、しきりに足を動かしていた。
ユウナとシュンは……と見ると、二人ともまったく涼しい顔で、きちんと姿勢を正し、前を向いてお経に聞き入っている。
なんでだ?
シュンは……確か、学校で柔道をやってるとか言ってたから、それで慣れているのかもしれない。けれども、ユウナはどうしてだ? 慣れているのか? なんで? フランスに正座があるとはとても思えない。やせ我慢をしているのかと思ったが、そうはとても見えない、涼しい表情だった。
だいたい、武術ならぼくもよく考えてみれば剣術を学んでるのだ。
なのにどうして正座で足が痺れるのだろう、と考えたが、よく思い返せば剣術の修行で正座したことなど一度もなかった。
うちの師匠は礼儀にはさほど厳しくない。
弟子同士の上下関係もわりと曖昧だったりする。
どうしてだ?
柔『道』と剣『術』の違いだろうか?
道を教えるものと、術を教えるものの違いだろうか?
いや、指導者の個人的な性格によるもののような気がする。
うう、柔道と剣術の違いなんて考えてても問題は解決しない。
(共に武術という共通項はあるものの、完全に異種の存在であるからだ)
足の痺れの原因はそんなことじゃない。だいたい、柔道も剣術もやっていないユウナが平然と正座しているのだ。ぼくとユウナの違いはなんだ? 体重か? 体重だったら、なんかショックな気がする。
たぶん、体重は体重でも重心の掛け方に違いがあるのだろう。
正座という座り方が確立された形式として世の中に存在する以上、禍なくして座ることができないとおかしい、と思う。つまり、何かしら正しい座り方というものが存在しているに違いないのだ。痺れる正座とは、いわば正常な正座ではなくて、どこかに異常があるわけだ。
シュンとユウナにはできていて、自分にはできていない。
是認に抵抗はなかった。
技術に劣ることは決して恥ではない。
シュンは訓練によって、痺れることなくして正座が可能となった。それはシュンの功績であって、ぼくの汚点ではない。
ユウナができるのは、訓練ではないのかもしれないが、何の苦労もなく普通に正座ができるというのならばそれは天性の才能であり、つまりは天才。そんなものに対抗意識を燃やすのは愚かな行為だった。
これは、自分との戦いだ。
他人との比較ではなく、自分に打ち勝ち、痺れることのない正座を達成することを目的とした戦闘だ。
ぼくは決意を深く心に刻み込んだ。
敵は自分。
勝利するにはまず、敵を知ることから始めるべきだ。
なぜぼくは、正常な正座ができない?
正座とは足をまっすぐに折り曲げて、尻を足の上に乗せる、座法だ。足の表面に、人の全体重が掛かることになる。
手はひざの上に乗せて、背筋をまっすぐに伸ばすことが、作法と言われる。
ぼくとユウナやシュンの座り方に何か違いがあるか?
足の感覚がなくなってきた。
こっそり右手を伸ばし、指先で触れてみた。
――――ッ
ありえないものが突如出現したような、突き抜けたくすぐったさ。
あまりにもくすぐったさを極めすぎていて、声も出ない。
悶絶以外の行動を許さない、強制的な衝動を意思で強引に抑え込み、ぼくは硬直する。
悶絶衝動を抑制することに精一杯で、他の動作が何一つできなくなる。
それでも耐えられない、強烈な衝動に歯を食いしばって一心に耐える。
息すらできない。ひょっとすると、心臓まで止まってるんじゃないかとぼくは夢想した。
やがて波が引くように、すうっと悶絶衝動は消えていった。足の先に生じた接触による刺激は、古傷のようにまだ残っている。
深く、周りに悟られないように呼吸を整える。
あぅ。
だめだ、これじゃ。
痺れるのはなぜだろう?
体重が変に乗って血管が圧迫されるからだろうか?
血管が圧迫され血液が正常に循環しないからだろうか?
問題は体重の掛け方、重心だというのはたぶん、間違いない。普通に座っているつもりでも、余計にどこか、力が入っている。力が入っているということは、不自然だ。ならば、普通に力も何もかけず、自然に座ればいいのかというと、それも何か違う気がする。
正当は何だ? ぼくと、シュンたちとの違いは何? いや、他人のことより自分のことだ。自分がどうやって座っているかが問題だ。ぼくは、自分では普通に座っているつもりでいる。けれども足は依然として痺れていて、解消される様子はない。けれども、普通に座っていると感じているのは、当の自分の体を通しての感覚で、客観的に見れば不自然な座り方を、正座をしているのかもしれない。
ならば、自分を客観的に見ればいいのか?
どうやって?
シュンやユウナの反応なら客観的に見ることは容易だ。感情を抑えればいい。けれども自分を客観的に観察することは体の感覚が邪魔をして、できない。
ああ、ぼくが他人だったら可能なのに。
――って、わけわかんねぇよ。
……くそっ、混乱している。
…………
――あ、そうだ。
思いつく。
ぼくと同じように痺れている人を観察すれば何かしら原因をつかめるのではないか?
幸い、痺れている人は多い。すぐに見つかる。むしろ選択過多な感じだ。
けれども、ぼくの原因と、被観察者の原因が同じとは限らない。むしろ、違う可能性の方が高いのかもしれない。けれども、可能性はゼロではなかった。
できる限り自分とよく似た年齢・体格の人を選択し、観察すべきだろう。
視線をざっとさまよわせる。すぐに見つけた。
里穂という名の、シホの妹。
ぼくは、彼女に視線を向け――
チーン
小さな鐘の音。
お坊さんの読経は終わり、続いて『ためになる話』が流れ――
あ、なんか終わったみたい。
人が次々と立ち上がる。
もう、足を崩してもいいみたいだ。
足を伸ばす。
ぐはっ。立てない。
「……キョウちゃん、痺れたの?」
「……ううっ」
情けない声を上げてしまう。痺れた足に、ユウナのことだから悪戯を仕掛けてくるかもしれない、とか思ったが、さすがに時と場所をわきまえてか、心配そうに声をかけてくるだけだった。
「あは、はははは」
もう笑うしかない。
次々と人が立ち上がって移動していく中、ぼくだけが取り残されているようだった。
――いや、もう一人。
里穂も足の痺れが取れないのか、苦悶の表情を浮かべながら固まっている。
あ、目が合った。
「あ……」
「う……」
「あなたも?」
「あは、は、ははははっ」
「あ、はははははっ」
いや、だから笑うしかないんだってば。
里穂もぼくよりかは幾分か自然な調子で笑い、葬式場に奇妙に乾いた空気が流れる。
深い共感につながれた空間を形成するぼくと里穂の世界を壊すように、形成する流れを断ち切るように、ユウナが口をはさんできた。
「キョウちゃん、大丈夫? 日本語しゃべれる?」
「……」
沈黙で返答。
純和風フランス人に言われたくない言葉だった。
その後の昼食会には出るわけにもいかず、ぼくらは帰ることにした。
お悔やみの言葉とか、いろいろ、恥ずかしくないだけの作法をこなして、玄関から出ようとした時、里穂に呼び止められた。
何の用だろう? と、何も考えずに言われるまま中庭についていったら、いきなり断言される。
「ね、あなたたち、お姉ちゃんの中学の同級生って嘘でしょ?」
少し驚いた。
ぼくはすぐに表情を消し、シュンはずっと無表情だったが、ユウナはまったくポーカーフェイスができていなかったのであまり意味がなかった。すばやく周囲に里穂以外の他人がいないことを確認して、それでも慎重に、尋ねてみた。
「どうしてそう思うの?」
質問を質問で返す。わりと最低だ。
「だって、お姉ちゃんに学校の友達がいるはずないもん」
――後にして思えば、それはずいぶんな言葉。
「どうして? お姉ちゃんにもあなたが知らない友達の一人や二人、いても不思議じゃないでしょ?」
「うん、最近の友達はね。でも、あたしも同じ中学だったもん」
ああ、なるほど。姉の学校生活をちゃんと見てたんだ。ならば、姉の友達にぼくたちがいないことはすぐにわかるかもしれない。
姉想いのいい子なのかもと感心したのだが――
「うちの学校から塚代行った人なんて、ここ数年一人もいないしー」
情報源はもっと即物的というか、無体温な感じのものだった。
「あー、そんな理由ですか」
「うん!」
里穂はまったく怯まない。理解しているのかいないのか。
「ほんとはね、追い返された人たちの友達なんだ」
なんとなく、隠しておきたくなくなって、正直に教えた。
「ああ、やっぱり。ロドレンなんだ。ごめんね、お母さん、あんな人じゃないんだけど……」
「ううん。気持ちはわかるよ」
わからないけど、想像はできる。
「あいつらも悪いやつらじゃないんだけどね。常識の世界から弾き出されたから常識外れのことをしなくちゃいけないって思い込んでる、ちょっと頭の硬いやつらなんだ」
「うわっ、キョウちゃん、それ、すっごく酷い言い様。頭が硬いって言うか、悪いって言うか、はっきり言ってしまえば馬鹿なんだけど」
ユウナの茶々が入る。お前の方がひでぇよ。
ていうか、ぼくらの言い様自体、なんか彼らと自分らを差別化しようとしてて、彼らより自分たちを上に見ようとしてて、傲慢な観察なのかもしれないけれども。
里穂はぼくらの言い回しに驚いたのか、大きく何度も瞬きを繰り返し、ぼくとユウナを交互に見返す。やがて小さく首をかしげると、納得したのか整理かついたのか、視線はユウナで止まり、小さくうなずく。
「……ねぇ、どうしてオネエサンたちだけが来たの?」
「ん?」
「えっと、だって、特別オネエサンたちがお姉ちゃんと仲良かったってわけじゃないんでしょ?」
「ええ? そんなことないわよ? 私たち、あなたのお姉さまとは、すっごぉぉぉく仲が良かったの。それこそベッドの中まで」
平然と澄ました表情で言いやがったのは、もちろんユウナ。
「エロネタはもういいってぇの」
酷く疲れた気分でため息を漏らす。
しっかりとした理知的な子ゆえに里穂、ユウナの言葉の内容をしっかりと深読みしてしまったようだ。顔を耳まで真っ赤に染めてしまっている。かわいそうに。
「えー? キョウちゃん、エロを馬鹿にしちゃいけないわ。古来より人間の進歩を支えた二大原動力は戦争とえろと言っても過言じゃないんだから」
「いや、そりゃそーかもだけどね」
だとしてもあまり前面に押し出したくはない原動力だった。
けど、改めて聞かれると、なぜわざわざ忍び込むようにしてまで葬式に潜り込んだのか、自分の行動が謎だった。ひどく当たり前の行動のような気がして、自分自身、ほとんど意識していなかった。
シホの死に関して、まったく、欠片も気にかけていないといえば、それは嘘になる。
交流は深くないとはいえ社会的には同じカテゴリに含まれる『仲間』だし、何より彼女の死んだ場所はぼくらが拠点にしていた公園のすぐ裏の林だ。シホが死んだ理由は何もわからないけれども、そう、ひょっとしたら、あの日、大勢の人が集まっていなかったなら、起こらない事件だったかもなんて。
――気づいて愕然となる。
ひょっとすると、自分たちがシホの死のきっかけを作ってしまったのかもしれない。
あの日の宴会。
宴会自体は予定されていたものだったけれども、集まった人数は予測を遥かに超えていた。誰があれほどまで人が集まってくるなんて、想像しただろう? 予想できただろう? ぼくの知る、一番の天才であるハクですら、想定外の出来事だったのだ。それは、ハク自身が原因となったからということもあるだろうが、ハク以上の予測ができる人物が、この街にいるとは思えない。
あんな人の大勢集まった、すぐ側で殺人が起きるか?
ぼくはどうして、一度も疑問に思わなかったのだろう?
シホの死からすでに二日が過ぎている。
犯人の噂や、殺された状況など、ぼくは、まだ、何も聞いていない。
どうしてだろう?
ああ、そうか、ハクが何かを知っているからだ。
知っていて、話すのは少し待ってくれと言ったのだ。
ぼくは無意識に、ハクが話してくれるのを待っていたのだろうか?
そんな、感じがする。だから一緒に、無意識にシホのことまで考えないようにしていたのだ。
いや、まったく考えなかったわけじゃない。
どうして死んだのか、犯人は誰なのか、思っていてもそれ以上先へまったく思考が進んでいなかったのだ。
シホの死は、ぼくらのすぐ身近にあって、同じ境界内の出来事で、だから、もっと考えなくてはならなかったのに。
ぼくが今ここにいるのは、そんな無意識の欲求の表れなのだろうか?
「あのー?」
遠慮がちな里穂の声でぼくは我に返った。
「ひょっとして、お姉ちゃんの事件を、調べてるの?」
「ええと……」
どう応えようかと、少し迷ってしまった。無意識では調べようとしているのかもしれないが、意識的にはぼくは、何にも考えていなかったのだ。
「きみのお姉さんが亡くなった、あの公園、ぼくらの拠点だったんだ」
結局応えたのは、理由になるのかならないのかよくわからない曖昧な回答。
言葉自体は嘘じゃない。正確には殺されたのは公園じゃないけど、それはただの誤差。
だから、葬式に忍び込んだと、続けるのは果たして嘘になるだろうか?
ぼくの言葉をどう判断したのか、里穂は首を傾げ、眉間にしわを寄せる。けれども、自分なりに理由を作って納得したのだろう。すぐに気を取り直したかのように、別のことを言ってきた。
「……警察が来たの。お姉ちゃん、なんか危ないことに関わってたかもしれないんだって。やくざとか、クスリとか、売春とか……。だから、お母さん、神経質になっちゃって」
またその言葉にぼくは、少し驚く。
「――クスリですって?」
ぼく以上に、ユウナが驚き声を上げた。
「そんな? シホは、そりゃ、処女じゃなかったけど、でも、クスリはやってなかったわよ!」
ユウナにしては珍しく、本気で怒ったように叫んだ。里穂はびっくりして、目を見開き、けれどすぐに辺りを不安そうに見回した。ユウナの声があまりにも大きくて、周りに聞こえやしないか心配になっただろう。しかし幸い中庭にはぼくたち以外誰の気配もなかった。ユウナとは言えば、自分自身の声に自分で驚いてしまったようで、口元を手で押さえると恥ずかしそうに顔を伏せた。ユウナの様子に珍しくシュンもわずかに関心を持ったようで、目を明けて凝視していた。
「ええと、そっか。だからおばさん、あんなに怒ってたんだ」
クスリや売春という噂が本当だとしたら、恋人だったタダシが関わっていないはずはないだろう。
噂が本当で、原因がそれらを巡るトラブルだとすれば、おばさんが怒るのも当然過ぎるほど当然で、むしろ犯人扱いしないだけましなのかもしれない。
「……私も、お姉ちゃんがそんなことしてたなんて、信じたくはないけど……」
「そっか……そうだよね」
なんて声を掛ければいいのか。けれど、言えることは、この里穂って子はとても聡明で、自分を抑えることのできる、強い子だという事実。
「でも、知りたい。どうして、お姉ちゃんが死んだのか、だから……」
「うん、何かわかったら知らせるよ」
つい、言ってしまった。
犯人を探すだとか、原因を調査するとか、まったく意識していなかったというのに。
つい、言ってしまった。
安請け合いだろうか?
「……うん、ありがとう」
里穂は何かを堪えるように笑った。
その笑顔を見ているだけで、その笑顔のためだけでも。
この殺人の原因を調べてみようかなと、思ってしまった。
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