寺田家はどこか古めかしく年代を感じさせる昔ながらの民家だった。

 いったい、いつ頃建てられた家だろうかと考えたのだが、新天地街は元々無人島だった一部を除き、戦後に造成された埋立地にできた町なので、この家もいくら古く見えたとしても六〇年は経っていないはずだった。しかし六〇年といえばよく考えてみると十二分に大昔で、剥がれかかったトタン屋根や壁を見て、ぼくは何となくさもありなんと納得するのだった。さほど大きな家でもなく、あちこちに無理な増築の跡なども見られ、全体的にひどくちぐはぐで、アンバランスな不安定感が漂っていた。木造とプレハブが渾然一体となった外観は、和風とも洋風とも言い難く、それだけでどこかみすぼらしい印象を醸し出していた。

 ようするに、昔から地域に根ざした普通の家。

 葬儀に参列しようとする人は多く、家の入り口はひどく混雑している様子だった。ぼくらが来た通りは駅から反対方向だったので、さほど混雑はしていなかった。


「――というか、何か揉めてない?」

「ん?」


 ユウナの声でぼくは黒服の人並みを観察した。

 そういえば駅側の通りに人が集まって、何やら騒然としているように見える。

 何をしてるんだろう?


「来ないでっ!」


 奇妙な光景に額に皺を寄せていると、突然ヒステリックな年配の女性の声が響き渡った。

 ざわめきともどよめきともつかない声が周囲から漂う。

 一人の女性が、駅側からやってきた一団に対して激しく当たり散らしていた。

 ぼくらは自然に足を止める。


「なに?」


 訝しげにチコが声を漏らした。けど、応えようがないのでぼくは、ぼくらは止めた足を再び動かし始めた。


「――待て」

「……ハク?」


 いきなり止められた。二、三歩進んで、振り向いた。


「おれとチコはここで待ってる。キョウたちだけで行ってこい」

「――なんでよ?」

「え? ハクと二人っきり?」


 疑問はユウナで、驚き混じりの声はチコのもの。嬉しそうなチコの声が響き、ハクの表情は少し、しかめっ面になったように感じられた。

 ぼくは首を傾げて、ハクの方、じゃなく、人ごみの方を見た。

 叫んでいる女性は中年の、どこにでもいるようなおばさん。けれども、なぜか面影がぼくの記憶を刺激した。険しい表情で叫んでいる。ヒステリックに過ぎて、周りの人に抑えられているけれども。女性をなだめているのは皆年配の、中年以上に人のようで、若い者の姿はない。

 若者はみな、怒鳴られている方だった。

 何十人と集まっている。

 みんな一応黒っぽい服を着ているものの、形式からはまったく外れた、でたらめな服装だった。

 黒い上着だけ着て、下は原色の眩しい赤いシャツなんて者もいる。

 何人も見た顔があった。ぼくらの、シホの仲間たち。街の、少年少女たち。社会から外れたもの。秩序から外れたもの。アウトロー。


「お前らは、彼女の学校関係の友達ってことにして入れてもらえ。同級生、先輩ってことにすればいい」


 なんでもないことのようにハクは言った。


「ああ、そっか。おばさん、私たちのせいだと、思ってるのね」


 どこか感情の抜けた声をユウナがつぶやく。ぼくも気づいた。たぶん、シュンも。それを証明するかのように、叫び声が耳に届く。


「あなたたちなんか、絶対に娘に近寄らせないわっ!」


 悲痛な叫び声。

 女性は、たぶんシホの母親。彼女は、シホが亡くなったのは――殺されたのは、ぼくらと付き合っていたせいだと考えたのだ。きっと。

 ありえる想像だと、思った。過剰反応のようにも思えるけれども、理解はできるような気がした。

 ぼくら以外の人間から見れば、ぼくらのような子供たちは社会不適応者で、異端で、例外で、アウトローで、存在するだけで不安を呼び起こすものなのだ。

 ぼくら自身はぼくらでいることが当たり前すぎて、理解し辛いけれども。


「あなたたちみたいなのと付き合っているから娘はっ!」


 悲痛な叫びを聞くたびにぼくは、自分が責められているようで胸が痛む。

 けれども、こんなことでぼくが罪悪感を覚えるなんて間違っている。誰に誓ってもぼくはシホの死に関して何も関わりを持っていないし、可能性を突き詰めていってもぼくに知りようもない、間接的な影響だけだろう。それほど親しかったわけでもない。ぼくはシホの死に対して何の責任も持たないし、義務もない。だから、ぼくが責められるのは間違いだ。


「あなたたちみたいなのがいるから――」


 けれどもその言葉は、心からの悲痛な叫びで、ぼくらを、ぼくらの存在そのものを否定するものだったから。

 鋭い刃のように、確実にぼくの心を抉っていく。


「……キョーちゃん!」


 背後からいきなりユウナが抱きついてきた。

 とっさに反応ができず、固まってしまう。するとユウナはあっさりとぼくから離れ、前に回りこみ、いたずらっぽく笑った。


「行こっ!」


 どこへ?

 それは間抜けな問いだ。

 決まってる。

 葬式に行くのだ。

 ユウナは何のダメージも受けていないようだった。ハクも平然としてるし、チコはわかっているのかいないのか、普通に笑っていた。シュンも、いつも通り何を考えているのかわからない。

 シホの母親の言葉を気にしているのはぼくだけで、慰めようとしてユウナは声をかけてくれたのだろう。


「ハクとチコは?」


 気を取り直して尋ねた。


「おれたちはあいつらと待ってるさ。チコがこんな髪だしな」


 ぼくらは皆、普通の格好をしている。チコを除いた四人は皆黒髪黒瞳で、黙っていれば普通の人と何の変わりもない。けれども、チコは髪を脱色しているし、その事実がシホの母親や親族に対して警戒感を抱かせてしまうだろう。学校の制服を着てきたのは正解だった。制服には無条件で人をある種の色に染め上げる力がある。学校という、誰にも理解できる組織の一員であることを強烈に示すため、それだけで異質なものとは見なされなくなる。外側が理解できるってだけで、中身まで理解できるものだと思い込んでしまう。


「うん、わかった。行ってくる」


 ぼくとユウナとシュンは、ハクとチコと別れて寺田家へと近づいていった。

 近づいていくに連れて声はよく聞こえてくる。

 シホの母親と対面するように叫んでいる少年がいることに気づいた。

 見覚えがある。

 タダシだ。シホの恋人という、噂。

 タダシはスポーツ狩りで、髪も脱色して、銀のメッシュも入れていて、耳にピアスをして、銀の鎖を首から吊り下げ、どういうつもりなのか、一応色は黒だが着ているのは皮ジャンと皮のパンツだったりして、なんていうか、典型的というか――


「うぁ、最悪な格好してるわね。小母さんじゃなくてもあんなの霊前に出せないでしょ?」


 こっそりとユウナが耳打ちしてきた。

 本当に、無理はない。冗談じゃない。いくら死人は何も言わず感じないとは言っても、わざわざあんな服を着てくるのは喧嘩を売っていると採られても仕方がない。小母さんに対してじゃない。シホに対してだ。何か恨みでもあるのか? ああ、あるか。そういえば、シホは浮気をするために丘に入っていって、そこで殺されたという噂があったのだ。タダシが犯人でなければ、の話だが。もちろん、ただの噂だ。真実はわからない。けれども、ユウナたちが言うには、シホは決して『一途』なタイプではなかったようだし、ならば多少は浮気の噂が出る素地はあったのだ。タダシがその噂を信じているのかどうかはわからない。噂を信じたのならばきっと恨んでいるだろう。けれども、これは恨みゆえの行為とは思えなかった。

 単なる常識知らず。

 そんなところだと思い、ぼくはタダシに対する興味をなくした。

 声は聞こえてくるけれども、もうタダシのものなのか、その取り巻きのものなのかわからない。


「おばさ~ん。おれらだってぇ、シホの死にはぁ、そりゃーイタンデルんだぜぇ」

「キャハハッ。イタンデルだってぇ。頭イイッ!」

「おれたちにも、ゴショウコウってやつ、させろよぉ」


 ……頭が痛い。

 あんなのと同列に見られるのは間違ってもごめんだった。

 ふと気になって、ユウナを見る。ユウナもふざけているとしか思えない一団の様子を見て、さすがに顔をしかめている。


「ユウナ。日本の葬式のやり方、わかるのか?」


 いくら日本人にしか見えないといっても、ユウナは正式なフランス人なのだ。思い出して聞いたのだが、どうやら失礼な質問だったらしい。


「一応、一通りの作法は両親から学んでるから大丈夫です。祖母の葬式にも出たことがあるし」


 ギャグなしの簡潔な返答だったのでぼくはほっとした。きちんと時と場合をわきまえているユウナは好きだった。

 騒いでいる小母さんの背後をすり抜けるように通り過ぎ、寺田家の玄関に入る。

 さて、うまく芝居をできるだろうか?

 少し不安を感じていたのだが、受付に座っている中年の女性は、ぼくが何かをいう前に声をかけてきた。


「あら? 学校のお友達?」

「え? あ、ええ」


 不意打ちに一瞬うろたえかけたが、すぐに気を取り直す。


「そうです。寺田さんとは、中学の時の……」

「ああ、三國中学の? あっ、その制服、塚代高校の? ああ、あそこ、七家直下の学校でしょ? すごいところじゃない! へぇ~志保ちゃんにあんないいところに行くお友達がいたなんて、叔母ちゃん、ぜんっぜん知らなかったわぁ。高校になって、あんまりしゃべらなくなったし、学校が嫌いになったんじゃないかと思って。おばちゃん、友達がちゃんとできてるのか心配で心配で。小さいころは本当にお人形さんみたいにかわいくて、本当に大人しい子で。叔母ちゃんの膝の上で絵本をよく読んでたのよ。何時間もずっとずっと。怖い話が本当に苦手でね、あの子の嫌がる反応がとても素直で、若いらしくて、おばちゃん、ついついそんなのばっかり読んであげたのよ。今思えば悪かったことをしたと思うわぁ。ところで、学校のあの子の様子はどうだったのかしら?」

「え? あ、けど、寺田さんとは卒業以後、あまり付き合いがなくて……今回のこと、驚いています」

「……うん……そうよね。ぐすん。……志保ちゃん、まだ若いのに、あんなことになっちゃって……」


 いきなり涙ぐんだと思ったら、泣き始めてしまった。

 何なんだ、この人は?


「えぇーっと」


 どうしようかと思案に暮れていると。


「叔母ちゃん、何やってるの! 後ろがつかえてるのよ。早くしてっ!」


 玄関に一人の少女が飛び込んできた。ぼくらより幾らか年下。十五歳くらいに見える。中学か、高校か、どこかの学校の制服をぼくと同じように喪服代わりに着ている。少女はぼくら三人を見て、一瞬訝しげな表情を浮かべたが、すぐに表情を消すと、丁寧に頭を下げてきた。


「はじめまして。シホの妹の里穂です。今日は姉のためにわざわざありがとうございます」

「あ、こちらこそどうも」

「ええと、よろしく……」


 ぼくとユウナは戸惑って、あいまいな返答しかできなかった。

 何か言ってくるのかと思えば、里穂はあっさりとぼくらから視線を外し、叔母に向き直って、


「じゃあ、叔母ちゃん、お願いね」


 と、さっさと奥へ引っ込んでしまった。

 闊達そうで、可愛らしい子だが、非常に慌しかった。


「……びっくりした」


 ぼくの背後でユウナがつぶやく。同感だった。何か、びっくりし続けているような奇妙な感覚が残滓となって、まだ体の中で淀んでいるようだった。


「じゃあ、こちらに記帳、お願いね」


 少女の登場で小母さんも気を取り直したのか、白い紙とペンを差し出してきた。

 名前を書け、ということだろう。

 一瞬、偽名を書こうかと、考えて、手が止まった。

 外の廊下ではまだ何か騒いでいるようだった。

 が、すぐにもうひとつ、聞き覚えのある声が聞こえてきた。


「――――」


 声は何かを言ったようだが、ぼくの耳には届かなかった。

 けれども波紋が広がるように、騒いでいた少年たちは次第に声を抑えていった。

「……どうやら、王様が来たようね」

 ぼくだけに聞こえるような、ユウナの耳打ちで、安堵の気持ちが湧き上がってくる。

 この街の、外れの子たちの王。

 フジヤの声だ。

 ハクが呼んだのかもしれない。

 子供たちは去るだろう。タダシ一人が逆らっても、意味がない。逆らうことなど、できない。フジヤはこの街では絶対的な権力を持っている。ともすれば、社会的に見ての、大人の世界での素土の街の王、月ヶ瀬家をも凌ぐほどに。

 ぼくの知る限り、この街でフジヤと対等の力を持つ者は、ハク一人だけだった。

 けれども、ハクのはあくまでも個人的な『天才』の特殊技能で、フジヤのように一声で何百人もの人間を動かすような力はない。いや、フジヤを動かすことができるというのもハクの力なのかも。

 ぼんやりとした頭でぼくは、そんなことを考えながらも、白い紙に、黒い枠の中に、名前を書いた。



 杜代 京



 ――と。

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