Chapter2 後の死/三日目
1
死ぬってどういうことだろう?
戯言のようにつぶやいて。
じゃあ、生きるってなんだよ?
虚言のように投げ返す。
死とは何か?
個人的な意味ならばともかく、絶対的な規範ともなると、生きているうちには誰も追試できないように。
生きる意味もまた、生きているうちは、あまりにも普遍的過ぎるため、気付かないものなのかもしれない。
少なくとも、ぼくにとって、生の意味は、死の意味を考えるよりも難しい。
たぶん誰にとってもそれは同じことだと思うけれどもぼくは、それを誰かに尋ね、確かめることはしなかった。
恥ずかしいから。
それ以上にきっと、個人的な意見しか返ってこないだろうと、わかっていたから。
シホの死から二日経ったその日の朝、ぼくは葬式に着ていくための喪服を探していた。なかった。
実家を出て行った時のことを思い出す。
ほとんど手ぶらで、着ている服だけで、ずいぶん前になくなった実母の遺してくれた結構な額の入ったぼく名義の預金通帳だけを手にして、出てきたのだ。
探すまでもなく、喪服なんてもっていないことはわかっていたことだけれども。
どうしたものかと思案していると、昨夜からぼくのアパートに泊まり込んでいたシュンが、無言でぼくの視界に立った。
高校の制服。学らん。
自分の姿を見せ付けるように立った、シュンの服装を見て、ぼくは自分がまだ、高校生だったことを思いだした。
――ああ、思い出した。
ここのアパートに住むようになってから数日後、実家から送られてきた荷物の中に、確か高校の制服が入っていた。
高校なんて、もうずいぶんと行ってない。卒業したわけじゃないけど。
はて、まだ在籍していることになっているのだろうか?
順調に行けば今年で三年生になるはずだった。
というか、もう四月だ。ちゃんと進級しているのだろうか?
微妙なところだ。出席日数はもちろん足りてないはずだけれども、ぼくの実家は、高校のある地元ではかなり強力な権力を持つ旧家だったりするので、その権力をもってして父あたりがなんとかしてしまっているのかもしれない。
ぼくとは違い、シュンは頻繁に高校へ通っているようだが、喋らないのでぼくが今、学校でどういう扱いになっているのかはわからない。
何の連絡もないし、ぼくは自分からわざわざ確認に行く気もなかった。
わからないけれども、この際どうでもいいことだった。
押入れの奥から何とか制服を探し出して、着替えている途中でインターホン。
出る前に、シュンは特に何を言うでもなく玄関に行き、ドアを開ける。
いきなりハイテンションな声が飛んできた。
「おっはよ~! キョウちゃんっ! いっしょに行こー!」
いや、これから遠足に行くみたいに誘うなよ。
ツッコミを入れようかと思ったけど、ユウナは出てきた人物がぼくじゃなくてシュンだったことにひどく驚いたようで、玄関先で絶句していた。
「わ、わ、わっ。どうしてシュンくんが出てくるかな? キョウちゃんは……って、キャーッ! キョウちゃん何してるのっ!」
部屋の中を覗き込むようにして見たユウナが、近所迷惑な悲鳴を上げる。
「な、な、なんで服着てないのっ!」
「着替え中だってば。誤解を招く言い方をするな」
着てないといっても、当然上半身だけだ。裸じゃなくて、下着はちゃんと着けている。普通に答えたのだが、ユウナは聞いちゃいなかった。
「いやーっ。そ、そんなっ。裸なんてっ。ふ、不潔よーっ! シュンくんと二人きりでいったい何をしてたのーっ」
「待てっ!」
「こ、こんな朝早くから。はっ、まさか泊まり?」
「いや、泊まったんだけど、それは――」
シュンはただの幼馴染で。昨夜はなんか、帰るのが面倒そうだったから――
「ええーっ! とととっとっとっ泊まり! だめっ。一晩中なんてっ! ああ、裸で。いやらしいわっ。あんっ。いやっ。そこは止めてっ。触らないでっ。あっ、あっ、あっ、せめてシャワーを浴びてからっ」
――うわっ、錯乱してやがる。
ああ、近所迷惑どころか、変な噂が立つの、確実。
アパートから追い出されたらどうする。どうしよう?
そうしたら、しばらく、ユウナのマンションに泊めてもらうか?
はっ。
さては、それが策?
「あんっ。そんなっ。強引なんてだめぇ。もっと優しくっ。はじめてなのっ。あ、あああぁっん♪」
ユウナの錯乱がますますヤバイ方向に進み始めたころ。
「シュン、やって」
ぼくの合図とともにシュンは拳でユウナの頭を殴った。
ベチッと玄関に倒れたユウナを二人掛りで室内に引きずり込む。
黒い喪服。着物。
皺になったらまずいかな? とか思ったりもしたけれども気にしないことにした。
黒髪色白のユウナには純和風の着物はよく似合っていた。いかにも、若未亡人って感じで。微妙に色っぽかったりする。
日本人じゃないくせに。
はあ、なんだかな。
ユウナと会話していると、死ぬことだか生きることだか、そんな悩みなんてすごくちっぽけな、どうでもいいことのように思えてしまう。
たぶん、本当にどうでもいいことなのだ。
考えても、考えなくても。
答えを得ても、答えを得なくても。
どうせ当たり前のように生きて、当たり前のように死んでいくのだ。
いつかは、きっと。
今も、きっと。
それから三十分ほどして、特に待ち合わせをした覚えもないというのにハクとチコがぼくのアパートにやってきた。
「うぅ~いった~い」
ユウナが頭を押さえて起き上がってきた。自業自得なので無視。
「はっ! いつの間にか、ハクくんとチコちゃん出現っ!」
二人に気付いて声を張り上げる。
「何っ? どうしてっ! いつのまにっ! さっきはいなかったのに。はっ。まさか、隠れてた? 隠れてしてたっ? 二人も泊まり? ま、ま、まさか4P! いやん。なんでわたしも呼んでくれなかったのっ!」
まだ、錯乱してた。
「いや、もういいから。ユウナが倒れてる間に来たんだよ」
何でこんなにテンション高いんだこの娘は。
「およ? そうなの?」
きょとんとした表情でユウナは首を傾げる。ぼくらは一斉にうなずいた。
「なーんだ。時間を跳躍したわけじゃなかったんだ。うう、頭痛が痛い」
がっくりと、ユウナは頭を押さえてしゃがみ込んだ。文法がおかしい。言葉に矛盾。頭を殴られた後遺症かもしれなかった。
「『時間を跳躍 』って。あはははっ。ユウナおかしぃ!」
声を上げて笑うチコ。
いや、何故そこで笑う?
チコらしくはあるけれども、相変わらず笑い所がわからない。
さらに三十分ほどして、ぼくらはようやくシホの葬式に向けて、出発した。
ぼくとシュンは学校の制服。ハクとチコは黒のスーツ。ユウナは黒の着物。
五者五様。みんな、てんでばらばらの格好でまとまりなんてありやしない。
なんでぼくのアパートに集まることになったかといえば解答は簡単で、シホの実家にはぼくのアパートが一番近いからだった。こんなことになるまで、ぼくはシホの家がすく傍にあることを知らなかった。ぼくはシホとは単純に顔見知り程度でよく知らなかった。チコとユウナが一緒にいるところは何度か見かけたことがあるけれども、どの程度の友達なのかもよく知らない。
ぼんやりとした、死んだ少女の印象を思い出す。
ショートカットのボーイッシュな格好をした活発の少女。
人見知りすることなく、初対面からテンション高く話し掛けてきた――ような記憶がある。
よく思い出せない。ユウナたちはともかく、ぼくはそれほど親しくしていたわけでもなかったし。
街角の建て看板。
白い紙に『寺田家式場』の黒い文字。
ちらほらと、黒い服の人を見かける。
シホの苗字が『寺田』ということも知らなかった。
もっともぼくは、ハクやチコやユウナの苗字すらも知らないし、ハクに至っては、本名ですらないらしい。
理由はよくわからないけれども、ぼくらの仲間の間では、苗字は決して名乗らない伝統があった。
いつからそうなのか、なぜそうなのか、誰も知らない。
しばらく前に読んだ『ライジン』というストリート情報誌によると、既存の社会的枠組みからの脱却を目指すためにまず、本来ならば一番身近であるはずの『家族』という枠組を象徴する『姓』からの脱却を図ったのだとか。
なんとなく納得してしまいそうになる一定レベルの説得力は、何か簡単に踏み込むのを躊躇わせる罠のように感じなくもない。
「……なんだか、しんみりしちゃうね」
「いや、ユウナ。今さらそんなこと言ったって、なんか白々しいし」
「えーっ」
一瞬でツッコミを入れてしまったけれども、他の参列者っぽい人も道すがらちらほら見かけるために、さすがにユウナも軽口で返してくることはなかった。けれども少し不満そうな表情で、口の中で何やらぶつぶつとつぶやいている。内容は聞き取れなかったが、どうせろくでもないものに決まっているので、聞こえなくて幸いだった。
ハクは今朝から何か、ずっと考えている様子で、うわの空だった。
チコは相変わらずそんなハクの表情をずっと眺めては、理由もなく笑いを堪える仕草を繰り返している。この娘も相当にわからない性格をしている。
わからないと言えばのシュンだが、ぼくらの最後尾を、周囲を警戒しつついつものように無言で歩いていた。シュンはいつも変わらない。
「……シホちゃん、本当に死んじゃったんだよね」
ユウナの問いに、ぼくは応えない。
たぶん、返答を期待したものじゃないだろうし、そもそもシホを詳しく知らないぼくには、応える言葉もなかった。
「死ぬって、どういうことなのかな?」
それは今朝、ぼくが考えた事。
「わからないよ」
生きていない、ということ。
「死後の世界って、あるのかな?」
「さあ……」
それは、死んでみればわかること。
死んではじめて、実感できること。
「死とは、もう変化しないということだ」
――断言は、ぼくとユウナのすぐ後。
ハクだった。
「死は完全なる静止だ」
「死後の世界なんて、存在しない、ってこと?」
「そうは言ってない。死という階梯を経て、別次元の生へ移行する可能性もあると思う」
「……どういう意味?」
「たとえ死後の世界なんかが存在するとしても、それは決して現世の継続ではない、ということだ」
「……??」
ハクの言葉を、ユウナはよく理解できていないようだった。
ぼくも、わからない。チコはわかっているのかわかっていないのか、何か楽しそうに聞いている。シュンは……まあ、いつもの通り。
「つまり――」
それでも何とか理解しようと、問う。
「――生まれ変わりはありえる、ってこと?」
「ああ、確認はできないけどな。死という完全停止の階梯は、たとえどこか別の世界で生まれ変わったとしても、両世界での連続性が消失するために起きる現象ではないかと思う」
なんだかもっともらしく説明しているわりには本気で言ってるように聞こえない。
「死後も自己を保てるなんてことは、ありえないと思う」
「――それが、ハクの哲学?」
訊ねる。
「いいや、妄想だ」
「……何よ、それ」
ユウナが呆れたように息を吐いた。
「考えても答えの出ない思索はいくら詳細に論理建てようとも、所詮は妄想の域を出ないということさ」
――そうなのか?
そうなのだろうか?
世界のどこかに真実はないのだろうか?
真実と一致する解答はないのだろうか?
何だかんだ言っても、それがハクの哲学だろうし、崇拝する思考の規範なのだろう。
ハクにとってはどうだか判らないけれども、ぼくにはどこか飛躍しすぎているように聞こえるし、断定的すぎるようにも聞こえる。いや、妄想だといって、その思索に意味が存在しないと言ってるのは他ならぬハクだっけ?
当然ぼくには、全てに賛同することはできない。
できないけれど。
「変な論理」
それは感想。
「だろう?」
なぜか満足げにハクは笑んだ。
――ハクが納得していればいい問題なのだ。
きっと、誰のためにでもなく。
明確な目的もなく。
ただ自分のため。自分が納得するために世界を考察し、生と死を考える。
自分なりの答えを見つければいいのか。
……いや、答えが見つからなくったって。
考えていられる間はそれで十分だし、考えないのならばそもそもそこに悩みは発生しない。
ハクが何を言いたいのかわからなくても。
ぼくが何を考えたいのかわからなくても。
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