第7話
館を一巡りして、元の席に戻った酒吞童子は、山伏姿の六人に気を許し先祖のヴァイキングの自慢話を始めた。
「俺の先祖はヴァイキング、名の知れた海賊だった。はるか遠くの国に住んでいたが、此の国に流れ着いて帰れなくなった。だがな、元々は、七つの海を支配するほどの男だ」
頼光、保昌、綱のような殿上人は、下人や所従に比べると諸事情について詳しい。だが、遠い異国の人間が、我が国に存在する不思議が理解できず、信用に値しなかった。
遠い昔だが南の島の漁師、浦島太郎が船の転覆で遭難したとき、海亀の甲羅につかまって遠距離を漂流し、琉球王朝が成立する前の琉球(沖縄本島)にたどり着いた。周辺の海域は暖流の黒潮が流れ込むため、サンゴ礁や熱帯魚などの美しい自然に触れる。
さらに、亜熱帯の常緑樹林が広がる景観を見て、浦島太郎には別世界のように思われた。浦島の言い伝えが「竜宮伝説」として、長く語り継がれていた。それでさえ、実際にあった出来事だとは、彼らには到底思えなかった。
しかも、わが国でも瀬戸内海の海賊たちが、水上輸送中の積荷を狙う略奪行為を活発に行い朝廷から討伐令を出さざるを得ないほどの事態になっていた。海賊の統領、藤原純友は千隻を超える大海賊団を組織し瀬戸内海全域を荒らした。
朝廷は伊予水軍に討伐を命じ、純友を博多湾の戦いで打ち破ったのは、九百四十一年である。略奪を繰り返す純友こそが悪鬼のごとき存在だった。
「海賊」と聞いて、純友と対峙した時の記憶が、頼光らに不吉なものを予感させた。
「お前たちには、都の姫君をかどわかし連れ去った疑いがかけられている」保昌が鎌をかけて問うた。
茨木童子は急に不機嫌そうな表情になり「女たちは、俺たちがさらって来たわけではない。女たちの方から訪ねてきたので、歓待したところ、ここに居着いくようになった」と言い返した。
当時の貴族は婿入り婚が常識となっていた。仮に姫君が自ら鬼の館に訪ねて居着いたとしても屈辱的だ。これも、不快な言葉の響きを内在していた。
頼光は鞘袋の紐をほどいた。酒吞童子や茨木童子の目には、刀の柄頭が見えた。
「おのれっ、何者だ。諮ったな」酒吞童子は大声で怒鳴りつけた。
「我らこそは帝の命を受けて、お前たちを成敗するために参上した者だ。覚悟するがよいぞ」
茨木童子は「仏教の開祖・釈迦は前世でわが身を投げ出して人を救った。俺たちの信仰はお前たちとは違っていても、釈迦と同様に自分を犠牲にしても、無益な殺生は好まない」と告げた。
「問答無用だ。おぬしらの罪状は明々白々。覚悟を決めるがよいぞ」堪忍袋の緒が切れた様子で、頼光が迫った。
「俺は越後に居た時、石瀬俊網と名乗る殿様から境遇を不憫に思われ、我が子のようにかわいがられた。国上寺の僧侶にも世話になった。だが、此の国の暮らしにはなじめなかった。それだけだ」酒吞童子は苦渋の表情を浮かべながら答えた。鬼の眷属と言われる酒吞童子だが、目を閉じると瞼の裏側には常に我が子のように接してくれた俊綱の姿があった。
「俺たちは魔物などではない。お前たちと同じ人の子だ」
酒呑童子は幼いころにカール・ドッジや俊綱から受けた深い愛情を思い出した。
何年もの歳月が経過し、自分が妖怪変化のごとく恐れられている情勢を憎んだ。
「まだ、白を切る気か!」綱はかっと目を見開くと、言い放ち刀に手をかけた。
酒吞童子は羽根兜をつけて立ち上がり、金棒を手に取ると目を血走らせ「嘘はついていないと言いながら、だまし討ちとは酷すぎるではないか。全知全能の神、オーディーンを信仰する俺たちを裏切るとは、罰当たりな奴らだ」と叫び、頼光目がけて襲い掛かった。
頼光は金棒をよけると、白刃をきらめかせた。源氏の宝刀鬼丸は酒吞童子の首をはねていた。同時に渡辺綱も刀を抜き、家来の鬼たちを斬った。坂田金時と碓井貞光の二人は熊、虎熊、星熊、金熊と奮闘し、屈強な彼らに力負けする形勢なく倒していった。
そこで、庭に躍り出た貞光が「えいやっ」と刀で斬りつけた時に、大きな石が真ん中から二つに割れた。
藤原保昌と卜部季武は、館の中の小袿姿の姫たちを探し出し、外へと導いた。鬼の館では鶴菊姫の他にも、池田中納言の娘や、花園の姫、吉田中将の娘などの大勢の姫が囚われていた。姫たちはいずれも見目麗しいばかりではなく、美しい字を書き、琴を弾き、和歌を詠む教養人だ。
それゆえに、頼光たちから見ると、鬼の眷属に魅了される者がいる事実に不可解な印象を感じざるを得なかった。
鬼たちは荒々しい見た目と異なり、女性の権利を尊重しており、見下さなかった。姫君の好むものなら、京菓子や京人形など、宮中の工房で作られるものまで手に入れて与えていた。女たちは「茨木童子様には様々のお心遣いをいただき、日ごろから親切にしていただきました。どうか、お命だけはお助け下さい」と哀切な表情で懇願した。
保昌は、季武を見て「姫君はあまりの事態の急変に、気が動転しているだけだ。気にする必要はない」と宥めた。
茨木童子は綱と鍔迫り合いをしていたが、手に持つベルセルクの斧を振り回すと追手を振り切って逃げ出した。
源頼光の一行は、中央の広間を引き返して、入ってきた鉄の門扉から、また外へ出た。酒吞童子たちの言葉の一つ一つが、消えることなく、彼らの頭のなかでいつまでもこだましていた。
最強の敵を討伐した安堵感よりも、疲労感が押し寄せてきた。頼光は酒吞童子と話していると、魔物が裏側からみた聖人のような気がしていた。彼らを倒した今、それをありありと印象する、罰の悪さに怖れも感じていた。
大江山では、過去の歴史を顧みても、崇神天皇の弟の日子坐王が土蜘蛛陸耳御笠を退治した伝説や、聖徳太子の弟の麻呂子親王が英胡、軽足、土熊を討伐した伝説が語り伝えられている。中でも、もっとも強敵と思われた酒吞童子たちを激闘の末に、討ちはたした武勲は最大の栄誉といえる。
――偉業を成し遂げた――思いと、相反する――それで良かったのか――と、内に向かう懐疑の念が、六人の心の中で去来していた。
律令法では、法に反した者は処罰されたが、身分によって異なり、五位以上の官人は降格や減俸ですんだものの、六位以下の下級役人や庶民は鞭打ちなどの処刑が行われた。酒吞童子のような奴婢に対して討伐令が下った以上は、それに従わざるを得なかった。
頼光は「酒吞童子は勇敢な男だった。兵なら武勲を上げていたであろう」と、首級を「都に持ち帰らず、ここに葬ってやろう」と、賛同を求めた。保昌は「まんざら、奴らの申す事もすべてが嘘とは思われません」と、すぐに同意した。
「日本」の国号は、七世紀頃に定着したと考えられている。頼光は大江山の連なる山並みや、夕日に照り映えた木々の紅葉、眼下に広がる雲海を眺めながら、神々しい景色に「葦原の中つ国」の神代の昔に思いを馳せた。六人は大江山の八合目にある酒吞童子の館を後にして、帰路に就いた。山中にはツキノワグマ、イノシシ、シカなどが生息している。しばらく歩くと暗くなり、松明を灯すと周囲の藪の中にいる動物の双の眼が怪しげに光って見えた。
急に月が輝きを増し、冷たい夜気が肌に突き刺ささった。夕闇を透かし見て、其の周囲には、人と生き物が蠢いていた。
そこから、さらに歩いていると薄闇の中で三人の翁に会った。彼らは口々に「夜道は危険ゆえに、一夜の宿をお貸ししましょう」と申し出た。申し出が有難く、頼光たちは出発前に詣でた石清水八幡宮、日吉、住吉、熊野大社の神の化身のように思った。
あくる朝、見送りに出てきた翁達に、頼光が「かたじけない。袖すり合うも他生の縁と申すが、まことに世話になった」と礼を伝えると、六人は深く頭を下げ、そこから都へと向かった。野鳥のマヒワが「ピィー、ピ」と甲高い鳴き声を上げていた。風が吹くと、樹木の甘い香りが、彼らの鼻腔をくすぐった。
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