懸命に行射を行なう高橋の姿があった。最初は戸惑っていた高橋も、回数を重ねるうち徐々に射位からの行射も身に付いてきた。

そんな折、道場の壁に掛かる段位者名の記された段位別一覧の名札を見て漏らす。

「そう言えば、初めて射位で射てから幾日になるかな」そんなことを呟きつつ見上げて、

「しかし、上には上がいるもんだ…」

まじまじと感心する。二段の欄を見ると、長谷川や市川の名札があった。「さすがだ、大したもんだぜ」

「俺も今度の審査に合格して、初段の欄に名札を付けさせて貰いたいが、それはあくまで希望的観測だから、こればかりは挑戦してみなければ始まらんな」

「それよりも、そんな大それたこと考えるより、審査前日まで実技にしても記述試験にしても、悔いの残らないように精進することだ。その結果として、望みが叶うかどうかだよ」己に言い聞かせる。

そして、五段の欄に村越さん。四段の欄に戸田さん。また、長谷川や市川の載る二段の欄には小川さんや安井さん。さらに三段に川口さんの名札が並んでいるのを、まざまざと見る。

「皆、大したもんだぜ。まあ、俺もベストを尽くすしかないか」真顔で呟いた。そんなそばから、ついと漏らす。

「いやはや、各段の名札を眺めていると、何故だか緊張してくるよ」

「あいや、待てよ。俺って、緊張するタイプじゃないのに。何故か審査のことを考えると、当日は度緊張しそうだぜ」と弱気の虫が出るが、直ぐに開き直る。

「待てよ、緊張緊張と言うけれど。不合格になったからと言って、命を落とすことでもあるまいし」と言いつつ、「別に今回限りでもない。駄目だったら次の機会に、また挑戦すればいい。それでも駄目なら、次の審査にチャレンジすればいいことだ」と開き直り、「あまり深く考えることでもないぜ」とさらに開き直り、普段の自分に戻っていた。

「ああ、こんなことをあれこれ考えていたら、妙に疲れた気分になったんで、ちょっと深呼吸でもするか」

らしくもなく、大きく胸を開いて深々と息をしていた。

するとそんなに様子を長谷川が見て、「高橋さん、何時もの高橋さんじゃないね。如何したんですか。ひょっとして、腹の具合でも悪いのかな」と顔色を覗いつつ尋ねると、高橋が否定する。

「いや、何でもないし。腹の調子はごく普通ですよ。それよりも、随分練習したんで腹が減ったのかな」脇腹を摩りながら告げる。すると、何時ものように長谷川が茶化す。「そんなことだと思いましたよ。高橋さんに限って弱気の虫が出るわけないし、神経質な訳ないんだから。それこそ審査のことで悩んでいたら、お天気が豹変して雪が降るんじゃないですか。いや、それよりも雷が鳴って大雨になるかもしれない。そんなことになったら、俺ん家は床が低いから水びだしになっちゃうよ」

すると高橋が、「そんなに心配しなさんな。俺はごく普通だからよ。何も変わらないし、たとえ審査が落ちても、懲りずにまた挑戦するから」とあっけらかんと告げると、「それじゃ、頑張ってくださいね」と、長谷川が安心するように返した。



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