三
悶々とする日々が続く。
すると焦る高橋を覗い、長谷川がのたまう。
「まあまあ、あまり真剣になって根を詰めないで取り組んだらいいんです。高橋さんは、そう言うタイプじゃないでしょ。まさか審査のことで、精神的に追い詰められ暴走でもしたら、川弓連の名誉に傷がつきますからね。それだけは勘弁してください」
「それに…、そんなことされたら先生の立場もなくなるでしょ。そのことも考えて、真面目に取り組むことです」さらに諭すように続ける。
「幸い初段の場合、実技の方は甲矢、乙矢とも的に中らなくても、それなりの形が出来ていればいいが、記述試験の方はそうはいきませんからね。問いに対して、あてずっぽや関係のないことを羅列しても合格にはならないことは、不真面目な高橋さんとて知っていますよね」
「それなりに、社会経験が長いんだから。あいや、待てよ。必ずしも、その豊富な経験がとんでもないものだったら、決してプラスにはならない。もし、そうだったら。今回の記述試験も合格どころか、不合格間違いない。これは如何したもんか…」
不安視する長谷川に、高橋が平然と告げる。
「いやいや、長谷川さん。心配しないでください。今迄稽古を積み重ねてきたし、血の出るほどの修練をこなしてきた。その集大成が、今度の審査で見事に花開くことが出来るんです。そんなんで、心配しないでください」一瞬躊躇い、「ただ、若干問題は記述試験の方だが。まあこちらの方も、審査日まで若干余裕がありますから。何とかしますよ」
あっけらかんと告げる顔が疑似真顔になり、「今迄言ったことはないんですが、皆さんに言われて買ってきた教本を毎晩徹夜して読んでいるんです。だから俺の地道な努力を、弓道の神様が見逃すもんですか。ですから、ある程度の山感で出そうな問題を考え、それを中心に猛勉強しているんですよ」と、のけのけと発した。
「そうですか、高橋さん。それなら合格間違いないですね」と、長谷川が皮肉るように返すと高橋が「大船に乗った気持ちで見守っていてください」と言いつつも、「しいて言えば、山勘が外れないようにと私自身願っているんですが、こればかりは神のみぞ知る。と思うので、皆様の絶大なる祈願をお願いします」と頭を下げたが、否、うそぶいたのが正しいのか、一通りの審査話が終わり少々休んだ後、再び長谷川と市川の場立ちの行射修練が始まっていた。高橋と言えば相変わらず、巻藁前の基本的な行射修練を繰り返していたが、突然村越から告げられる。
「高橋さん、そろそろ場立ちでの練習を行ないませんか?巻藁ばかりじゃ、つまらないでしょうから。それに巻藁練習の繰り返しで、射法八節の技量もついてきたし、的を相手に射ても大丈夫のような気がします。ただ、最初は上手く行かないかもしれませんが、これも数を重ねれば徐々に的迄飛んで行くようになりますから」と促され、高橋が反応する。
「ええっ、本当ですか。実際に射位に立って、弓を弾いても良いんですか。でも、大丈夫かな。巻藁しかやったことないのに、上手く弾けるか心配です。でも、せっかく許可が出たんなら、勇気をもって射位に立ってみようかな」
すると、村越が後押しする。
「最初は上手く出来ないかもしれませんが、巻藁射の心算りでやればいいんです。矢は勝手に飛んで行きますから。心配せず、思いっきり射てみてください。失敗したらなどと、余計なことは考えないこと」
さらに、村越が告げる。
「今度の審査受けるんでしょ。初めての初段に挑戦なわけだ。その意味でも、早く射位での行射に慣れないと先に進みませんから」と促した。
それに高橋が応じ決意したのか、緊張感の中で弓と矢を持ち始めて射位に立っていた。
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