長谷川がたまげる。

「あいや、弓道教本も知らないんですか。弓道をたしなむ者にとっては、とても大切と言うか重要な本です。それを『教本って、何ですか?』と言われたんじゃ、大袈裟に言って弓道人として失格だし、むしろ弓道をやる資格がないくらいですよ」とすごまれ、続けて「そう言えば、この前弓道教本の話が出ましたよね」

「それに白下先生からも話されていたじゃないですか。覚えていないですか?」畳みかけられ、「ああ、そうでしたっけ」曖昧に返事する。

「もし、持っていなければ。至急、買ってくることですね」せかされると、高橋がもじもじと、「あの、長谷川さん。その教本とやらは、何処で売ってるんでしょうか?失格者になりたくありませんし、初段の記述問題も解けませんから」身体を低くして尋ねた。

すると長谷川が、丁寧に教えだす。

「インターネットでも買えますが。まあ、高橋さんはネット通販を利用したことがなさそうなんで、小山弓道具へ行ったら有りますよ。そこで買うのが良いと思います」

心得たように頷く。

「そうですよね。ネット通販未利用者の俺の場合は、小山弓道具で買うのが一番だ。そうだ、のんびりしていられねえ。直ぐにでも行ってみようか」高橋が告げると、市川が「そうです、早く買って勉強してください。あっという間に、審査日になってしまいますから。後悔先に立たずです」勧めら苦言を呈されると、高橋が愚問を呈する。

「あの、審査日にその教本を持ち込んではいけないのでしょうか?大丈夫なら助かりますが…」

すると、想定外の愚問に市川が否定する。

「何を馬鹿なこと言ってるんですか。そんなこと出来るわけがないじゃないですか。学生時代の期末試験と違うんですよ!」

「おお、そうか。それなら昔取った杵柄だ。審査員に見つからないように、あんちょごを作って臨めばいいんだ」とうそぶくと、呆れ顔で「何を馬鹿なことを。凝りもしないで言うんだろうな。まったく呆れるぜ。駄目なものは駄目。そんなことを考える前に、弓道教本をじっくり読み、覚えることが先でしょ!」

市川に、こっぴどく窘められる高橋だった。

そんなこんなで三人は、真剣さもあり和気あいあいと稽古に打ち込んでいた。

初めから審査を受けないと断言していた長谷川の実射は、勘を取り戻したように精度が上がっていた。また、地道に取り組む市川の射も、コンスタントに的を捉えていたが、弓道経験の浅い高橋の的中率は決して良いものではないし、両者に比べると経験のなさを露呈していた。

「あれだけ巻藁相手に打ち込んでいたのに」と愚痴り、「しかし、参ったな。まだ射位から射たことがないんだ。巻藁に中ったって様にならねえ。こんなんで初段が受かるのかな。審査まで日にちがねえぞ、如何しようか…」

「それに、記述問題の方も遅々として進まないし。なんせこの歳だ、若い頃とはまるで違う。やっぱり年は取りたくねえ。なかなか覚えられないよ」

苦悶する高橋の言い訳ばかりが、口を突いていた。



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