自前の弓道具一式を決めてから、二週間も経った頃である。小山弓道具に注文した弓や矢セット、道着の袴などを持ち店員が弓道場に来た。直ぐに稽古を止め、そちらに関心が移る。

「おお、やっと来たか。待ちに待ったぞ」

並べられる各自の一式を垣間見る。

「何てったって、今までジャージ姿で道場の借り物で稽古していたんだ。川弓連へ入会したって、借り物で行射じゃ様にならねえからな」と思いつつ、次々に呼ばれ店員から袴や道着、弓と矢のセットなど一式を受け取っていた。俺の名前が呼ばれ一式を受け取った時の感動は格別である。

「さあさあ、マイ弓、マイ矢、マイ道着それにマイ弽も揃ったことだし、これで射てみてえもんだ。さすれば形だけでも、それなりに弓道人に見えるからよ。これで借りもんとは、おさらばだ」

「早速、道着を着けてみるか…」まじまじと、ビニールに包まれた袴を見て呟く。

「あいや、待てよ。如何やって着るのか分からん。何だ、この服は!」

驚きとともに、見たこともない道着や袴をまじまじと見て戸惑う。

そして「そう言えば」と、長谷川に尋ねる。「長谷川さんの道着姿をあまり気にしていなかったが、改めて見ると袴なんかをきちっと着てますね」

すると長谷川が、すまし顔で答える。「そうですか…」得意げな似たり顔で返事し、さらに「いいや、こんなもの簡単ですよ。まあ、初めはちょっと戸惑うし、苦労するかもしれないが直に着方も覚える。要は回数をこなせば如何と言うことない。高橋さんも、数回着ければ慣れるし、何回も着たり脱いだりを繰り返せばいいんです」

「なあ、市川さん」と長谷川が振ると、市川が応じる。

「ええ、そうなんです。長谷川さんの言う通り。慣れればお茶の子さいさいです。今は不慣れでも、直に上手くなりますから。高橋さんの道着姿を想像すると、格好いいと言うか、弓道人ぽくなるんじゃないですか」褒められて、その気になる。

「そうですか。袴と道着を着けたら、うむうむ…。俺も弓道人らしくなりますか」

そんな想像する高橋を見て、市川が一言添える。「人間の容姿は、着るものによって決まりますから。さらにその容姿は、その人の内面を表すと言われますよね」

すると高橋が、勝手に己の姿を思い描き頷く。

「そうですよね、若い頃に登山で鍛えたガニ股、短足の弓道人と言うことになりますかね」含み笑いを堪えながらうそぶく高橋を見て、「いいんじゃないですか。それぞれの容姿に個性があっても」と市川がフォローした。

そして高橋は、袴や道着さらに弓と矢のセット。それに弽等を自宅に持ち帰り、早速着方で悩む。

「さあ、如何するか…」と考えあぐねた末、「そうだ、インターネットで袴の着け方を検索してみよう」と、早々にパソコンを開き検索し出した。

「なるほどな…」画面を見ながら頷きつつ思い立つ。

「それじゃ、これをプリントアウトして、それを見ながら着てみるか。いろいろ手順があり、画面だけでは難しいしな」

プリントした絵面を見つつ、悪戦苦闘しながら示された手順で袴を着けようとするが、なかなか上手く行かない。

「難しい、難しいぞ。手順通りやっているのに上手く行かない。如何もここのところがよく分かんねえや。うむ…」

何度も着ては脱ぎを繰り返し、ようやくそれなりに袴と道着を着けられはしたが、妙に変わった袴姿になってしまった。

「あいや、これはいかんな。袴なんぞ長すぎて引きずるようだぜ。これじゃ様にならん。参ったな…。やっぱり一人で着るのは難しい。誰か、先輩方に手ほどきを受けるか。さもないと上手く着られねえ」

一筋縄では行かず、結局道場の師範室で戸田さんから手ほどきを受ける。実際に黒袴の着け方と言うより、着せてもらう羽目になった。

「ここは、こうやって。そうして次はこのようにする」手慣れた様子で、手早く着せてもらうも、きちっと覚えられない。

「しかし、難しいな。着せてもらっても、洋服を着るのと訳が違う。ボタン掛けではなく、袴の紐で止めて行くんだからな」

改めて、袴の着け方を思い知る。

そんな右往左往する高橋を、長谷川や市川が見て励ます。

「高橋さん、今は難しいけどそのうち慣れるから。初めはしっくりこなくても大丈夫だよ。俺だって、市川さんだって最初から上手く着れたわけではない。戸惑ったり、悩んだりすることばかりだったんだ。それが今では何の苦労もせず、こうして道着や袴を着けているからね」すると、高橋が羨まし気に返す。「そんなものかね。励ましてくれて有難う、感謝するよ。慣れるまで繰り返しやってみるから…」そう結論付けて、礼を言い、午前中の稽古を終え弓道具一式を持って帰宅する。先程着付けて貰ったことを思い出し呟く。

「あんなに、手間がかかるのか。えれえこった…」運転しながらため息が漏れる。「どうなるものやら」とほざきつつ、「まあ、考えても仕方ねえ。せっかく揃えた袴や道着を飾り物にはしたくないし、きちっと着られるようにならねばな」

あれこれ思考しながら運転していると、何時も通る「いちのや」横の交差点で信号機が黄色から赤に変わり止まる。すると昼近くのせいか、うなぎを焼く煙が車内に入って来る。

「こりゃ、たまらん。空きっ腹には効くぜ」

「この前もタイミング悪くここで止まった。ついていないぜ、まったく」

思わず腹の虫が鳴った。

空腹を耐え自宅へと戻る。昼飯を食い一服してから、戸田さんに着つけて貰ったやり方を試みるがなかなか上手く行かず、さらにインターネットで検索した写真を参考にして懸命に手順を覚えていた。

「参ったな、これじゃ弓道人たる装いが出来ねえぞ。偽者になっちゃうじゃねえか。何とかせねば」と高橋は、正しい袴や道着の着け方で悪戦苦闘するのだった。





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