四
練習を終え自宅に戻り、長谷川からもらった注釈付き絵図をまざまざと見て、「なるほどな。しかし、弓道の所作と言うのは難しいものだぜ。場内での一連の動作として、巻藁射では習ったことのない別世界に入るようなもんだ。そういう意味で言うと、一つ一つ身に付けて行くための羅針盤のようだぜ」
その羅針盤を登山に例え注釈する。
「まあ、登山に例えれば。百万分の一の地図に記したルートとコースタイムと同じようなものだ。春夏秋冬の山登りでは重要かつ不可欠のものとなるし、各シーズンによって条件が異なる。従って長谷川さんから貰った二枚の注釈付き絵図は、まさしく同様な気がするよ」
そう考えると、弓道も各所作を大切にするものだとつくづく思う。
「これは冬山登山における、コース図や装備。登山期間の天候予測、さらには万が一の場合の避難ルートの決定と、予測変化時の決断が要求される。結局は弓道だって、同じように思う」ふと垣間見たが、元に戻す。
「話は飛んだが、この絵図は大切にしたいな。せっかく貰ったんだ、大いに活用しようと思う。長谷川さん、有難うな」胸中で感謝する気持を態度で表す。
「有難う」頭を下げた。
「いいえ、如何いたしまして。精々活用してください。それでないと、作った意味がなくなりますから」長谷川が応じた。
見ず知らずの仲間が、市の広報誌に載る川弓連主催の弓道教室開催案内から集まり、ともに参加したことがきっかけで知り合い、自然と寄り合うようになって損得なしの仲間に発展。それこそ、互いに励まし合う間柄になるとは夢にも思わなかった。
それも俺にとって、七十歳でのチャレンジから生まれた偶然の産物で、すれ違っていれば、こんな友情は生まれないし育ってこなかったと思う。
勿論、市川を含める三人の仲間は、現状を第一優先とし、過去のことをあれこれ聞かないのが暗黙の了解事項であって、すべからく未来に向かって歩むことを前提にしている。
社会経験の長い者同士だ。今迄幾多の経験を重ねてきたことを思えば、根掘り葉掘り聞きたくなるのが人情だが、今を大切にし未来志向と割り切って、あえて聞かずに付き合っている。この関係は、指導者や教育担当者とて同じである。
いや、そう思う。
その関係は弓道場を出れば、それ以外の付き合いはない。他の人達の関係は知らぬが、俺はそう割り切っているのでそれでいいし、酒を飲みに誘い合うこともない。勿論、そのような行為は他の諸先輩や同期とて同様であろうと思うし、それは今までも、これからも同じようになると考える。しかし、意外にその殻を破る時が来るかもしれないが、その時は、その時に如何すれば良いか判断すればいいのではないか。
ただ弓道場内での人間関係構築では、常に「有難うございます」の感謝の言葉を多用する。それが常であり、そのように教えられた。その関係は先輩後輩の区別なく、さらに指導者や教育担当者に対しての礼節でもある。弓道作法で一言二言注意されれば、指導してくれたと考え、「有難うございます」と返す。また修練を終え道場を出る時も同様に感謝の意を込め「有難うございました」と発する。
この感謝の礼儀が、俺にとって非常に心地よいし胸に響く。今日もまたそんな場面があった。すかさず「有難うございます」と、軽く頭を下げる自分がいた。
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