一抹の不安を消したいのか高橋が、「市川さんはいいよな。昔とは言え審査を経験して、しかも二段の有段者になっているんだから」羨まし気に告げ、さらに「それに比べ、俺なんか。今回の挑戦が初段で、審査経験なしの新米チャレンジャーだ」

さらに続ける。

「まあ、まだ審査日まで期間があるから」あっけらかんと言いつつ、「これから懸命に稽古に励まなきゃならんで。しかしこの歳になって、こんな経験すること自体考えもしなかった。なんと言ったって、七十歳から始めた弓道だ。覚えも悪いし、身体も固くなっている。指導者の方々には大変迷惑をかける思いで一杯だよ」と惚け、

「若い人らは一、二度教えて貰えば習得するのに、俺なんか二度くらいじゃ全然だし、こうしなさいと手取り足取り指導受けても、なかなかものに出来ねえからな」ぶつぶつ言い訳ばかりが口を突くが、さらに悲観的になる。「そのうち愛想つかされて、印堂を渡されるんじゃねえか」

「例えば、白下先生からよ」

「高橋さんも、川越市弓道連盟に入会して、日頃から懸命に稽古されてきましたが、これ以上修練しても上達するのは、若干無理があるので、ここら辺で卒業なさったら如何ですか?」

「なんて、ソフトに退会を促される気がするよ」さらにうそぶく、「何時になっても、きちっとした形が出来ていないわ。本人にしてみれば、懸命に努力している心算なんでしょうけど、私から見れば素人の域を出ていないから、段位を取るのはほぼ不可能のような気がしますよ。…なんてね」

さらに、「それも長谷川さんや市川さんと比較され、俺に傷がつかないようにな」

そんなこんなと無駄な推測を働かせ、自分を卑下する始末だった。その半面で、高橋は思う。「せっかく、白下先生も審査を受けろと薦めている。俺もそれなりのプライドがある。長い会社勤めの中で、酸いも甘いも経験してきた身だ」

「この際、誰が何を言おうと。折角の機会だし、一年経ってもいるので初段にチャレンジしてみようと思う。合否は別として、いい刺激になると言うもんだ。やっぱり目標がないと、毎回の稽古も熱が入らんからな」

「そんなもんだよね」と、長谷川の賛同を得ようと振ると、長谷川から意外な言葉が返ってくる。

「私も何十年ぶりに、弓道を再開したんだけれど。今回も、これからも、審査を受ける心算はないんだ。単純に、今もこれからも弓道を楽しむために川弓連の会員になったんでね。悪しからず」との返事に、高橋も市川も「そうなんだ、長谷川さんは、今回の審査パスか」と頷き、特に高橋が長谷川の考えを尊重するように返したが、市川の反応は、「そうですか…」と言葉少な目で閉めていた。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る