第四章 基礎鍛錬一


それ以来、弓道連盟に入会してから三カ月が過ぎていた。毎週三回程弓道場に通う三人がいた。

その頃になると、高橋の行射も見かけでは様になってくる。元々、長谷川や市川は二段の有段者であるが故、射の精度が日を追うごとに増していた。ところが、弓道教室だけの経験しかなく通う高橋が入会当初の頃を振り返る。

「そうだったな、弓道教室で一通り教えて貰ったが、未経験の域を脱していない。先が思いやられるぞ…」不安の中にいた。

「そう言えば、教育担当で有段者の村越さんが、マンツーマンで指導してくれたんだ。それも、みっちりとな」

「高橋さん、初めに弓道の型を身に付けなければ怪我をするんで、まず足踏みから」と、射法八節の各節を一つずつ丁寧に指導してくれた。

曰く、「すなわち弓道の基本として、この夫々の形がきちっと出来ることがまず必要です。素直な気持ちで繰り返し、型を磨き習得してください。勿論、この練習と指導は射場では行いません。場外の空きスペースで行います」

互いに弓と矢を持ち「高橋さん、こうやるのです」と村越が試してみて、実際に高橋が足踏みの練習を何度も行う。両足を肩幅程にゆっくりと開きつつ、両足の親指付根に体重を乗せる。

「もう一度、やってみてください」と優しく言いつつも、その視線は鋭い。

「いや、ちょっと違うな。こう、こうやるのです」と、実際に足踏みの動作を実践して見せる。

「では、もう一度足踏みを」と言われ、やってみるが、なかなかオーケーが出ない。「こうですよ」と手本を見せられ、やるが難しい。すると、村越が「それでは、少し足踏みの練習を繰り返してください」と告げて、その場を離れた。

すると高橋が「しかし、難しいものだな。たかが両足を肩幅程に広げて開くだけなのによ。どこが違うんだか」ぶつぶつと漏らしながら、「これでいいのかな…」単純な動作を繰り返していた。

暫らくして村越が戻ってくる。

高橋が繰り返す足踏みを見て、「おお、良くなったではありませんか。射法八節の第一歩である足踏みは、基本中の基本です。しっかりと、身に付けてください。それでは、続いて胴造りに移ります」と言って、実際に足踏みで開いた両足に対し、両腕を腰の辺りに置く動作を示した。「これが胴造りの始めです。やってみてください」

促された高橋が見真似で両腰に左右の拳を添えると、「そうそう、その調子でいいですよ。少しリラックスして、肩の力を抜いてください。これから喧嘩をするのではありません。ふわっと握って、ゆっくりと両腰の辺りに添える感じで、置くようにするのです」

高橋が「こ、こうですか?」と、力を抜きそっと添えた。

「そうです。そのように力まずに行うのです」と村越が、高橋の胴造りを褒めた。

そして「この胴造りでは腰に拳を添えるだけでなく、弓に張った弦に矢番えをし、弦調べ矢調べを行なうことも含まれますので、これらも含めた動作として胴造りを習得してください」

「ところで、矢番えを行なう場合は弦を顔の正面で行い。さらにその位置を動かさず、このように弦調べと矢調べを行ないます」と実践して見せる。観ていた高橋に促す。

「それでは、胴造りの一連の動作を行なってみてください」と言われ高橋が試みる。

「こうですか」と村越が行ったように試してみるも、どことなくぎこちない。

「まあ、もう少し稽古しますか。これも慣れですから頑張って続けてください」

そう言われ、一連の動作を繰り返していた。

そして次にと、村越が弓構えの動作を示す。

「はい、やってみてください」

高橋が弓構えの形を作ると、村越が「こうやるのです」と実際にやってみる。

もう一度構える。「こ、こうですか?」多少ぎこちない。さらに村越が「両腕で円相の形を作るのです」と見本を示した。

「えっ、円相とは如何いうものですか?」と尋ねると、村越が説明する。

「円相というのは、両腕をこのようにすることです」両腕で木の幹を抱くような形を作る。「こうですから、やってみてください」

「こうですか」高橋が両腕で幹を囲うようにする。

「そんな感じです」

「うむ、なかなか難しいですね。こ、こうだな」弓構えの円相ポーズに悪戦苦闘する。さらに弓構えでの取懸け、手の内の決め方と物見を「このようにするのです」と教え込まれた。

一方長谷川らは、昔とは言え経験したこともあり難なくこなしていた。

「やはり経験者は違うな。ズバリ決まっているじゃねえか」二人を覗う目が輝いていた。

そんなこんなで、午前中だけとは言え、あっという間に時間が過ぎて行く。高橋がぼそっと呟く。

「しかし、難しいな。簡単なように見える動作だが、奥が深いと言うか思ったより大変だ。まだ、射法八節の三つの型だけでも、こんなに難しいのに。ええと、最後が残心だったから、あと五つもあるぞ。出来るんかいの…」眉間に皺を寄せる。

そんな様子を察してか、村越が励ます。

「高橋さん、そんなに難しい顔をしなくてもいいんですよ。最初は誰でも、そう感じるものです。何度も練習すれば、自然に身に付くものですから。これらの動作はどなたでも同じことですし、有段者や経験の長い方は、皆同じ道を歩いてきて今があるのです。あなたも一年後、戸惑うこともあったと思うように、当たり前になりますから心配しないでください。さあ、頑張りましょう」と、次の動作に移って行った。

「たしかに、村越さんの言う通りだ。指導者の白下先生にしても、初めは同じことを学んでいたんだろうからな。この基本なくして今の段位はないし、指導は出来んよ」と納得し、懸命に八節の打起しの動作に取り組んでいた。

その表情は真剣で若々しく、とても七十歳には見えず目の輝きは若者のような視線になっていた。

「うむうむ、射法八節の動作とは、その名の通り八節の射法から成り立っているのか。なるほどね…」


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