四
数列の参加者が、次々に矢を射る。時々、的に中ると歓声が上がっていた。
「いよいよ、俺たちの番だぜ」と高橋が、一段と目を輝かせる。それを茶化すように長谷川が、「高橋さんよ、そんなに意気込んでは駄目だぜ。平常心で取り組まにゃ怪我するよ。的に当てようとは思わず、気軽に教えて貰った通りの動作をきちっとやればいいんだ。そうすれば、まぐれで中ることもあるから」気を落ち着かせようと、小声でアドバイスする。
「おお、分かったよ。当たるも八卦、当たらぬも八卦の気持ちで臨めばいいんだな」高ぶる気持ちを抑えて、高橋が射る順番を待っていた。緊張する中で実射練習は時間を忘れる程の中で、あっという間に過ぎて行った。
「いや、参ったな。頭で考えるより難しいもんだ。こんな近くでも的に当たらんのだからよ。難しさを肌で感じる。でも、行射初回にしてはこんなものか」とほっとし、ある意味納得する。
「まあ、これからだとは思うが、今回が教室最後だし、どんなもんかな」と思いを巡らせていると、打ち終えた長谷川が高橋に近づきのたまう。「うむ、まあまあかも知れん。的に中ったし、昔取った杵柄は捨てたもんでもないぜ。まあ、これならこんな中途半端な所ではなく、射位からでも行けるんじゃないか」と胸を張り、自信あり気にほざいた。
「さすがだな。ブランクがあったとは言え大したもんだ。ばっちり的に当てたもんな」と、高橋が褒める。すると長谷川が、「如何するもんか。弓道教室も今日で終わりだし、これで君たちとお別れすんのもなんだしな。少し寂しい気がするよ。それに、この道場が俺を呼んでいるような気もするんだ」
そうほざく長谷川を、高橋が茶化す。
「おいおい、そんなに懐かしいのかよ。この道場が呼んでるんじゃなくて、お前が未練たらたらなんじゃねえか。待てよ、昔取った杵柄が忘れられねだけだろ」とこけおろし、さらに「長谷川さんよ、昔の郷愁に溺れないよう、現実をしっかり見なけりゃならんぞ。ここから射て中ったからと言って、射位からでは倍以上、的迄二十八メートルもあるんだ。せめて射位からバチバチと中てたら素直に褒めてやるよ。人間謙虚でなけりゃ、人生上手くいかねえぞ」と告げ、思い直す。
「ううん、待てよ。あんたも俺も六十歳以上の高齢者だったな。先が長くないから、謙虚も擦ったくれもねえか。素直に今喜ばなければ、後で後悔するもんな。けれど俺も、弓道と言うものが充分理解出来たわけではないし、今日が最終日となれば、もやもやした気持ちのままで終了することになるから、何だかすっきりしないよ」と、若干の未練さに陥っていた。すると横から市川が、「この弓道教室も今日で終わりか」と呟き、昔話を始める。
「四十年前になるが、社会人になり二年程経ってから、三年間近所の弓道場へ通っていた時のことが蘇って来たよ。ああ、懐かしいな。けれど今日で教室も終わると思うと少し寂しい。それに、自信家の長谷川さんや能天気の高橋さんとお別れするのもな…」ぼそっとこぼした。そんなたわいのない話をしている間に、すべてのグループが打ち終え射場の板の間に全員が集合すると、白下先生の講評まで時間があったのか、皆の前で教育担当の村越がやおら勧誘しだす。
「皆様、ご苦労様でした。経験者の方々には射法八節の一つ一つを再確認し、遠ざかっていた行射を思い起こしたことと存じます。また、初めての方には弓道と言うものがどの様なものか、素晴らしさを体験されたと思います」そこまで言い、パンフレットを見ながら、「この機会に出会えたことは何かの縁と考え、川越市弓道連盟への入会をお勧めしたいと思います。皆さん、これからパンフレットと入会申込書を配りますので、是非検討してください。宜しくお願い致します。勿論、今すぐ申込みすることはありません。充分検討していただいた上で、私たちと共に稽古をご希望される方がおりましたら、お申込みいただきたいと思います」
さらに、村越の説明が続く。
「御覧のように、既存会員は長い方が多く、ここに皆様のような若い方が入会していただくことにより、フレッシュアップさせて行きたいと考えていますので、積極的にご入会下さい」入会勧誘の説明を終えた。
すると高橋が反応し、隣にいる長谷川に小声で尋ねる。
「長谷川さん、如何する?」
「そうだな、昔を思い出させてくれたんで。若返った気もするし、最近運動不足で身体を持て余している時だ。日課にしている散歩もマンネリ化し飽きが来ているところなんで。この際入会し、運動不足解消とリフレッシュする意味で入会しようかな」と前向きの言葉がでたところで、二人に問いかける。
「それで、高橋さんや市川さんは如何するの?」
その問いに市川が反応する。「私も昔の経験を思い出したし、入会しようと考えています」と応えた。
「ところで、高橋さんは如何する?」長谷川が尋ねると、「そうだな、まあ初めての弓道だし、どんなものかの一辺を覗かせて貰ったんで、良い経験が出来たと思うが、ガサツな俺なんかに、弓道など合わないんじゃないかと思うんだが…」さらに続けて、「けれど、せっかく今回の教室で弓道に出会えたことだし、これでお終いと言うのも若干未練が残るな」
「しかし実際入会して、本格的にその道を進むことなんか難しい気もするんだ。ましてや若くもない。もし入会して、この歳で一から始めることが出来るか不安だよ」と吐露し、さらに「そんな気力が一時的に出ても、長続きしないかも知れん」と、迷う気持ちを打ち明ける。
すると、珍しく市川が後押しする。
「高橋さん、迷う気持ちは分かるけど、やってみなけりゃ始まらないよ。年齢のことは後にして、まず始めること。トライしてみることがボケ防止になるし、若返りのチャンスと言うか秘訣と捉えなきゃ」と言いつつ、長谷川と目くばせする。
すかさず、長谷川がのたまう。「高橋さん、市川さんの言う通りだと思うよ。見ず知らずの者同士が、この弓道教室を通じて知り合えたんだし、俺なんか弓道経験者と言っても、高校時代に二段になっただけで、その後まったく弓を弾いていないから、未経験者と同じようなものだ。その意味からすれば新入部員だし、高橋さんと同じだよ」さらに、「あなただって、今の話じゃ弓道に未練たらたらじゃないか。この際一緒に入会して楽しもうじゃありませんか。ねえ、市川さんも入会するでしょ」
「ええ、ああ。勿論、入会しますよ」市川が即答し、高橋に向かって「そんなんで、三人で頑張りましょう。一人で入会しても、話し相手がいないとつまらないし、長続きしないもんな」
「そうだ、そうだよ。一緒にやろうぜ。なあ、高橋さん。持てない君だが、弓道人と名乗れば意外と好かれるかもしれないよ」と長谷川が後押ししけなすと、高橋が反論する。
「後の言葉は余計なお世話だ。君のような不細工に言われたくないね。むしろ俺の容姿から言えばマッチしてると思う」とのたまい、「そんなんで、俺も川越市弓道連盟に入会することになったんだが、まあ何とかなるだろう」
またもや深く考えず、高橋は入会を決めた。他の参加者達も迷う者あり、また入会を決める者もいた。そんな中で村越が告げる。
「それでは皆さん、よく検討していただき、是非とも仲間になってくださるようお願いいたします」皆の視線が、積極的に誘う村越に注がれていた。その後白下先生から今回の弓道教室全体の講評がなされ、先生の経験談などが披露されて閉会となった。「共に弓道を楽しもうじゃないか」と、講評の中に入会への勧誘も忘れなかった。
最後に感謝を込めた全員の「有難うございました」の返答が、道場内に木霊していた。
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