四
武道館を出て、来た道である市役所の前を左折し暫らく走ると、交差点の信号機がありそこを左折しようとした時、黄色から赤に変わり停車した。丁度、信号機の左側に「うなぎ会席料理いちのや」がある。昼食時もあってか、煙突からうなぎを焼く煙が絶え間なく出て漂よい来て、その煙が車の中に入ってきた。
「うひゃ、これはたまらんぞ。参ったな、空きっ腹には効くぜ」と思わず小声をあげながら鼻の穴を膨らませると、腹の虫が「ぐうう…」と鳴った。
「あんな『いちのや』のところに、信号機があるからいけねえんだ」
「やれやれ、これからこんな良い匂いを、毎回かがなきゃならんのか。酷と言うもんだぜ」愚痴っていると、信号機が青に変わる。対向車線の切れたところで右に曲がり、川越日高街道を西に向かって走っていた。するとまた、空きっ腹のせいか「ぐ、ぐう…」と腹が鳴る。
「早く帰って、飯でも食うか」漏らすと同時に、慣れぬ練習のためか疲れが出てくる。緊張の輪が緩んで来たのか。はたまた一回目の練習が終わったせいか、安堵感が車内に満ちてきた。
「さて、気を付けて運転しよう。事故でも起こしたら大変だしよ。それにしても初めてとは言え、弓で矢を射るのは難しいもんだな。そう言えば長谷川さんがこんなことも言っていた、『若いうちから始めていれば、何年たっても身体に染みついているもんだと言われるが、五十年ぶりなんで慣れるまで大変だ。でも、折角始めたからには、記憶を呼び戻したいな』と振り返り、決意を新たにしていたな」
「それに、二段の有段者とも言っていた。やっぱり若い時から始めないと、厳しいんかな。俺、今七十歳だぞ。それに初体験だ。前途多難と言うことかも知れん」
「それにしても、偉いもんに飛びついたものだ。こりゃ、深く考えても如何にもならんし、兎に角、最後まで諦めずにやるっきゃねえか」
「何時も懲りずにこんなことして、如何する心算なんかいな…」あまり考えもせず飛び込んだことに、自身腹立たしく思えたが、それでも言い含めるように「しかし、もっと早く弓道と出逢っていれば、違った展開もあったかも知れねえな」
「でも若い頃は、登山以外何も考えていなかったし、十数年前の生きがい大学への入学やウクレレクラブ入会だって始めたんだから、今さら悔やんでも仕方ないか」
「そうだよな、弓道との出会いも何かの縁かも知れん。なんてきざなこと言っている自分が恥ずかしい気もするぜ」
さらに、ぼやきが続く。
「それに入会手続きも終わっているし、今さら辞退するのも大人げないし、白紙撤回はねえわな」自分に言い聞かせ、さらに「弓道教室に通うことに、若干の不安はあるにしても迷いはないが、まだ一回目の練習終了だけで、これからついていけるかが問題だ」そして何時ものように「まあ、何とかなるか」などと溜口を吐き、運転に集中していた。
「…そうだ、気分転換に音楽でも聴くか」と呟き、NHK放送からCDへと切り替えると、カーペンターズの軽やかな歌声が流れて来た。
そんなことで、随分と脇道にそれてしまったけれど、そろそろ本題へと入りましょうか。
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