〇第四十一話 闇祓いの詩~東雲雛子
「いったいどこで何をやっていたの?!」
いつもならここで謝る雛子だが、叔母を見据えてたまま黙っていた。
そんな雛子に、叔母は少したじろいだが、すぐに顎を上げて怒鳴った。
「何よっその態度は!!どうなるかわかってるんでしょうね!!」
「…………」
叔母はにやりと笑うと、蛇のような嫌な笑みを浮かべた。
「あんたなんか、真っ暗な家の中で泣いてるだけのみそぼらしい子どもだったのに」
雛子の表情は変わらない。叔母から笑みが消え、憎悪に燃える顔になった。
「この恩知らずの親殺しが。そんな大きな態度を取っていられるのもいまのうち――」
「鬼の皮が剥がれたのに、まだ闇呪文を唱えるんですか。それじゃあ、また鬼の皮を被ることになっちゃいますよ」
叔母の目が驚愕に見開かれる。
「鬼の皮……な、なんでそのことを……あれは夢の中の話で――」
そのとき、背後にいた従姉妹たちが青い顔をしてリビングへ走っていってしまった。逃げるようにリビングへ行った自分の娘たちと雛子を交互に見て叔母は叫ぶ。
「あんたっ、あたしたちに何をしたのっ。おかしな
叔母は泡を飛ばして、目を
それは妖火に触れる前の、あの醜い異形のようだ。
かわいそうな人。
雛子は、心からそう思った。
「な、なによその目は!!生意気なのよっ!!あんたなんか、あんたなんか、姉さんを見殺しにしたくせに!」
ついに叔母が最後の切り札を出した。
闇呪文の最終形態。今まで、一度も叔母が口にしなかった、最強の闇呪文。
――そして、雛子はそれを待っていたのだ。
「あたしが母を見殺しにした?それは本当でしょうか」
「そ、そそうよっ!!決まってんでしょっ!!姉さんが死んでるのを発見したのはあんたなんだからっ!!」
「今、姉さんが死んでるのを発見した、って言いましたよね?」
ハッと叔母は手で口を押える。
「確かにあたしは、母が倒れているのを見つけた第一発見者です。でも、そのときに母が死んでいたかどうかは、あたしにはわからなかった。親族である叔母さんは、病院で正確な死亡推定時刻を医師から伝えられていたのでは?」
「そっ、そんなこと、だから何だって言うのよっ」
「母が運ばれた千葉の病院、あたし覚えてます。叔母さんがあくまでもあたしが母を見殺しにしたと言うなら、あたしも黙っていられません。病院に確認してもいいですか」
「なっ、なんなのよあんた急に!!こんな……あたしに逆らって、逆らっていいと思ってんのっ!!!」
「今までお世話になったことはお礼を言います。でも、お世話になったことを差し引いてもあまるくらい、あたし、けっこう
「はンっ、
雛子は、大きく息を吸った。
「ここにくる前に、児童相談所に行ったんです。こちらへ引き取ってもらってからも何度か面談に行った、あの児童相談所です」
叔母は顔色を変えた。
「薄々気付いていたんですが、里子には国から養育費が出るんですよね。でもあたし、習い事をしたこともないし、新しい洋服を買ってもらったこともないし、中学校の学用品は全部従姉妹たちのお下がりだったし、食事だって残飯だったし、高校に行ってからはアルバイトして授業料払って、食費や光熱費も叔母さんに渡しています。養育費が支給されているなら、あたしがお世話になっていることを差し引いても、おつりがくるんじゃないかなって思ったんです」
「なっ、なによっ、脅すつもり?! いったい何が言いたいのよっ」
叔母は完全に取り乱していた。その様子を見ているうちに、雛子の胸の内はどんどん冷めていく。
(こんな哀れで醜い人間のために、やさぐれたシンデレラみたいになる必要はない)
あたしは一生シンデレラかもしれないけど、いつかは幸せをつかむシンデレラがいい。王子様が迎えに来なくてもいい。猫を飼って、日々ささやかながらもご飯が食べられて、自分のごく身近な人と笑い合える、そんな幸せをつかむシンデレラ。
「べつに何か言いたいわけじゃないですし、脅すつもりもありません。叔母さんが里子の養育費を何に使ったかなんて、今さら興味もないです。児童相談所に、今までの経緯と叔母さんの家からは今すぐに出ていくことは伝えて、ひとまずの処置としてシェルターに入れてもらえることになりました。叔母さんのところには後で連絡があるかと思います」
体裁を異常に気にする叔母にとって、児童相談所から虐待調査が入るのは我慢がならないのだろう。唇がわなないている。
「う、うち、うちはねえっ、あんたの生まれた家庭と違って夫婦きちんと、きちんと揃った、子どもたちもきちんとした学校に行っている、きちんとした家庭なのよっ。きちんとしてるのっ、わかる?! あ、あんたの話なんて、誰もだーれも信じないんだからっ」
叔母はまくしたてた。
なんだか
「ええそうですね。きっと、きちんとしてない高校生の言うことなんて誰も信じないでしょう。でも、あたしは自分に誓って真実を話しただけです。叔母さんが児童相談所に何と言おうが、児童相談所がどう判断しようが、あたしにはもうどうでもいいんです」
雛子は叔母の横を通り過ぎ、懐かしい階段下の扉を開けた。改めて見ると、こんな狭い場所によく十年間も閉じこめられていたと感心するくらい狭い。
少ない荷物はすぐにまとまり、雛子は大きなボストンバッグを担いで靴を
叔母はそれを、気の抜けたような顔で呆然と見ていたが、雛子が靴を履いたとたんにボストンバッグを勢いよくつかんだ。
「こんなっ、こんなことしていいと思ってんの?!あんたはこの家の家畜なんだからっ!!ここにずっといるのよっ!!」
雛子は毅然と叔母の手を払い、叔母の濁った双眸を真っすぐ見据えた。
「いいえ。あたしは猫を飼うんです。あたしは家畜じゃない。だからここから出ていきます。――鬼を祓ったときにも言ったでしょう?」
最後の
「いままで、お世話になりました」
玄関扉を開けた。背中に叔母の怒鳴り声が聞こえたが、それはどこか遠くの工事現場の音のように、ただ雛子の上を通り過ぎていくだけだった。
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